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▼そもそもさんぬる文明第三仲夏のころより、 すでに江州志賀◗郡大津近松の南別所をいでしよりこのかた、 なにとなくこの当山に居住せしむる根元は、 もはら仏0337法興行のためにして、 報恩謝徳のこゝろざしを本とせり。 ことにはまた不信懈怠の道俗男女をこしらへて、 あまねく本願他力の安心ををしへて、 真実報土の往生をとげさしめんと欲するところに、 この四、 五年のあひだは、 当国乱世のあつかひといひ、 つぎには加州一国の武士等にをいて、 やゝもすれば雑説を当山にまふしかくるあひだ、 朝夕はその沙汰のみにて、 この四、 五ヶ年をばすごしおはりぬ。 しかるあひだこの当山開白の由来は、 たゞ後生菩提のためにして念仏修行せしむるところに、 なにの科によりてか、 加州一国の武士等无理に当山を発向すべきよしの沙汰にをよばんや。 それさらにいはれなきあひだ、 多屋衆一同にあひさゝへべきよしの結構のみにて、 この三、 四ヶ年の日月ををくりしばかりなり。 これさらに仏法の本意にあらず。 これによりて当山退屈のおもひ日夜にすゝむ。 所詮自今已後にをいては、 こゝろしづかに念仏修行せんと欲する心中ばかりなり。 このゆへに門徒中面々にをいて十の篇目をさだむ。 かたく末代にをよぶまでこのむねをまもりて、 もはら念仏を勤修すべきものなり。
一 諸神・諸仏・菩薩等をかろしむべからざるよしの事。
一 外には王法をもはらにし、 内には仏法を本とすべきあひだの事。
一 国にありては、 守護・地頭方にをいてさらに如在あるべからざるよしの事。
一 当流の安心のをもむきをくはしく存知せしめて、 すみやかに今度の報土往生を治定すべき事。
一0338 信心決定のうへにはつねに仏恩報尽のために称名念仏すべき事。
一 他力の信心獲得せしめたらんともがらは、 かならず人を勧化せしめんおもひをなすべきよしの事。
一 坊主分たらんひとは、 かならず自心も安心決定して、 また門徒をもあまねく信心のとをりをねんごろに勧化すべき事。
一 当流のうちにをいて沙汰せざるところのわたくしの名目をつかひて法流をみだすあひだの事。
一 仏法について、 たとひ正義たりといふとも、 しげからんことにをいてはかたく停止すべき事。
一 当宗のすがたをもてわざと他人に対しこれをみせしめて、 一宗のたゝずまゐをあさまになせる事。
右この十ヶ条の篇目をもて、 自今已後にをいては、 かたくこのむねをまもるべきなり。 まづ当流の肝要はたゞ他力安心の一途をもて、 自心も決定せしめ、 また門徒のかたをもよくよく勧化すべし。 つぎには王法をさきとし、 仏法をばおもてにはかくすべし。 また世間の仁義をむねとし、 諸宗をかろしむることなかれ。 つぎに神明を粗略にすべからず。 また忌・不浄といふことは仏法についての内心の義なり、 さらにもて公方に対し他人に対して、 外相にその義をふるまふべからず。 これすなはち当宗にさだむるところのおきてこれなり。 しかれば他力の信をば一念に本願のことはりを聴聞するところにて、 すみやかに往生決定とおもひさだめて、 そのとき命終せば、 そのまゝ報土に往生すべし。 もしいのちのぶれば、 自然と仏恩報尽の多念の称名となるところなりとこゝろうべきものなり。 仍◗所↠定如↠件。
*文明七年五月七日