0289(49)
▼去ぬる文明第四初夏下旬之比の事なりしに、 或俗人法師なんどあまた同道してこの山中の為体を一見し申しけるは、 抑山の中の主はいかなる人ぞ、 俗姓はなにとまふすぞや、 又此多屋坊主達の名をばなにとまふすぞ。 此山とまふすは、 もとはまことに虎・狼・野干のふしどにて家の一もなかりつるよしを人かたりしを、 まのあたりきゝつるなり。 あら不思議や、 一都にいまはなりにけり。 そもこれは人間のわざとも覚へざりけり。 さてもこれは所領所帯にてもかくのごとくはならざりけり。 そのいはれはひたすら仏法不思議の威力なりしゆへなり。 それについてまづ浄土一家の宗義は、 昔より今にいたるまで退転なくこれありといへども、 当時いまの世は諸宗ともに八宗・九宗ことごとくすたれり。 しかりといへどもこの当山にをひては、 いよいよ念仏信仰さかりにして、 一切の万民等かや申す我等にいたるまでも、 此宗に心をかけざるはあるべからず。 末代の奇特ともいひつべし。 いかさまにも此宗にかぎりて殊勝なる後生のたすかる一理これありとしられたり。 あやまりても此宗をそしることあらば、 たゞちに罰をかうぶるべしと身にもおぼゑたり。 是非ともにしかるべき縁をとりて、 かの山の御弟子になるべし。 この宗体にならずしては、 又余のたすかるといへるみち、 ふつと今の世にはあるべからず。 あらたふとの此御山や、 あらうれしやと申して、 手をあはせてこの御山をおがみ、 いづくへともしらずかへりけりとみゆ。 これらの子細をあるみちのほとりにてねんごろにきゝしほどに、 あまりに不思議におもひはんべ0290るまゝかたりまふすなりといへり。 あなかしこ、 あなかしこ。
[文明五年十二月中旬]