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かきをきし 筆のあとこそ あはれなれ
むかしをおもふ 今日の夕暮

このごろの信心がほの行者たち、 あらあさましや、 真宗の法をえたるしるしには学匠沙汰のえせ法門、 我身のほかは信心のくらゐをしりたるものなしと思こゝろは、 憍慢のすがたにてはなきかとよ。 その心むきはよきとおもふ安心か。 これよく経釈をしりたるふたつの勘文かや。

応仁貳年四月廿二日夜、 豫がゆめにみるやう、 たとへば0232ある俗人の二人あるけるが、 そのすがたきはめていやしげなるが、 一人の俗人に対してかくのごとく文を二、 三反ばかり誦しければ、 かの俗人この文の意をうちきゝて申やう、 あらあさましや、 さてはとしごろ我等がこゝろえのをもむきはあしかりけりとおもふなりといひはんべるとおぼえて、 ゆめさめをはりぬ。 この文をたしかにそらにおぼへけるまゝにかきしるしをはりぬ。 不思議なりしことなりと 云々

[応仁二年四月廿四日書之

釈蓮如御在判]

かきとむる 筆の跡こそ あはれなれ
わがなからんのちの かたみともなれ