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みぎこのさんねんあいだ、 この当山とうざんにおいてきょじゅう根元こんげんは、 さらにみょうもんようほんとせず、 えい栄耀えいようことせず、 ただねがふところはおうじょう極楽ごくらくのためばかりなり。 しかるあひだ当国とうごくしゅうえっちゅううちみん百姓ひゃくしょう已下いげらにおいて、 そのいちはいたづらに罪業ざいごうをのみつくりて、 一善いちぜんしゅすることさいこれなくして、 むなしくさんざいすべきあひだ、 あながちに便びんたるによりて、 さいわい弥陀みだ如来にょらい本願ほんがんは、 まことにもつてとういまのこんにおいて相応そうおう要法ようぼうたるうへ、 ひとへに念仏ねんぶつおうじょう安心あんじんすすむるほか他事たじなきところに、 近比ちかごろ牢人ろうにん出帳しゅっちょうにつきて諸方しょほうより雑説ぞうせつもうじょうごん道断どうだん迷惑めいわくだいなりしんさらにしょりょう所帯しょたいにおいてたゞそののぞみをなさざるあひだ、 なにをもつてかその罪咎つみとがしょすべきや、 うんいたかなしみてもなほあまりあるものか。 これによりてこころしずかに念仏ねんぶつしゅぎょうせしめんその在所ざいしょにおいて、 べっしてその要害ようがいなきときは、 一切いっさいしょじんその便たよりしむるゆへにふか要害ようがいかまふるものなり、 かつはまた盗賊とうぞく用心ようじんのためなり。 そのにおいては、 万一まんいちいまのぶん无理むりさいとうしゅつらいせしめんときのそのにおいては、 まことにこのたび念仏ねんぶつもうしてじゅんおうじょうげ、 またぶんなんひてきょせしむるも、 ともにもつて前業ぜんごう所感しょかんなり。 しかるうへは仏法ぶっぽうのためにいちみょうしむべからず、 合戦かっせんすべきよし兼日けんにち諸人しょにん一同いちどうじょうせしむるしゅならくのみ。

 の三ヶ年之間、 於↢此当 に↡居住之根元者、  に と↢名聞利 を↡、 不↠ と↢栄華栄耀 を↡、 只 は↠願 め↢往生極 の↡之 り也。 而 だ当国・加州・越中之 の て↢土民百姓已下 に↡、 其身一 は に て↢罪業↡、 をのみ 修↢  ること を↡子細无↠  くして之、 而 く き↣堕↢ す0274 に↡之間、  ちに て為↢ るに不便↡、  に弥陀如 の之本願、 誠 て当時 て の に↡為↢相応之要法↡上、  に る↢念仏往 の を か无↢他事↡之 に、 近比就↢牢人出帳之 に↡自↢諸方↡雑 を申条、 言語道断迷 の之次第也、 愚身 に て↢所領所 に↡但不↠作↢ の望↡之間、 以↠何可↠処↢ の に↡哉、 不 の りても る り者歟。 依↠之心静令↢ めん念仏修 せ て の に↡、 別 て无↢ の要害↡時者、 一切之諸魔・鬼神 る↠得↢ の便↡ りを に構↢ かまふる を の也、  は め↢盗賊用 の↡也。  て の に↡者、 万一 の時分无理之子細等令↢ めん せ↡時之於↢其 に↡者、  とに の び念仏 て げ↢順次往 を↡、 又 て↢非 の に令↢ るも死去↡、  に て の所感也。  る上者為↢ めに の↡不↠可↠惜↢一 を↡、  す し、 兼 に諸人一 に る↢治 せ↡之衆儀而已。

*文明五年十月 日

多屋衆