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▼信心のやうたづねうけ給候。 なにのわづらひもなく阿弥陀仏を一心にたのみまいらせて、 そのほかはいづれの仏も神も阿弥陀一仏をたのみまいらするうちにこもりたる事にて候とおぼしめして、 一心一向に弥陀を信じまいらさせたまひ候はんずるが、 すなはち他力の信心をよくこゝろゑたる人にてあるべく候。 このほかには0506なにのやうがましき事も候まじく候。 むかしは阿弥陀仏をもたふとくおぼしめして、 おろそかなる御心も候はねども、 それは浄華院の御心へどをりにて候ほどに、 わろく候。 いまは阿弥陀仏の御たすけによりて極楽に往生すべしとおぼしめしさだめ候べく候。 もとは我御申候念仏のちからにてほとけにならせ給候はんずるやうにおぼしめして候。 それは自力にてわろきこゝろにて候。 いまは阿弥陀ほとけの御ちからにて御たすけありたりとおぼしめし候べく候。 さるほどに阿弥陀如来の御ちからにて御たすけありつる御うれしさをば、 念仏を申て報じたてまつるものなりと御心へ候はんずるが、 すなはち報謝の念仏と申事にて候。 弥陀如来の他力本願のことはり、 信心をとると申す、 この事にて候。 なにのやうもなき事どもにて候。 御心やすくおぼしめし候べく候。 五障・三従の女人、 十悪・五逆の悪人は、 この弥陀如来の本願にあらずは、 極楽に往生するといふ事あるまじく候。 かゝる殊勝の本願にあひまいらせて候事、 まことに宿縁のもよほすところとありがたくこそ候へ。 よくよくこのとをりをまことゝ御心へ候て、 報恩謝徳のために御念仏候べく候。 あなかしこ、 あなかしこ。
誰人の御方へ共不成慥 文漳之様体御妹栃川殿歟
令以正御筆写之校合畢
天正九年 辛巳 二月廿六日実悟(花押)
於和州芳野郡笠著村超勝筆也
無正対者也 満九十歳