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そもそも去年きよねんふゆのころ、 あるひとのいはく、 路次ろしにてけうあるばうにゆきあひぬ。 さるほどにこのばうをみるに、 くだんもんのかたよりものとり信心しんじむばかりをぞんせられたるひとなり。 それがしおもふやう、 よきついでにて0253さふらふあひだ、 ゐちたづねまふすやう、 いかやうにりふの安心をばおんこゝろえさふらふや、 これにてまひりあひさふらふことも思議しぎ宿縁しふえんとこそぞんじさふらふあひだ、 おそれながら信心しんじむのやうまふしいれべくさふらふ、 またりやうさふらふぶんさいうけたまはりさふらへとまふすところに、 おほせられさふらふやうは、 もろもろのざふぎやうをすてゝ一向ゐちかう一心ゐちしむ弥陀みだくゐするが、 すなはち信心しんじむとこそぞんじおきさふらへとまふされけり。 このぶんならばさいなくぞんじさふらひつれども、 このばうはまさにさやうのこゝろえまでもあるまじく心中しむちうぞんじさふらふあひだ、 かさねてまふすやうは、 さいはひにまひりあひさふらふうへは、 なにごとも心底しむていをのこさずまふしうけたまはるべくさふらふ。 所詮しよせんぜんおほせさふらふおんことばに、 もろもろのざふぎやうをすてゝ一心ゐちしむ一向ゐちかう弥陀みだくゐするとうけたまはりさふらふは、 ざふぎやうをすてゝさふらふやうをも、 また一心ゐちしむ一向ゐちかう弥陀みだくゐするやうなんどをもよくぞんさふらふて、 かくのごとくうけたまはりさふらふやらん。 こたへていはく、 いまのぶんみな人々ひとびとのおなじくちにまふされさふらふほどに、 さてまふしてさふらふ。 そのいはれをばぞんせずさふらふ。 われらがことはなまじゐにばうにてさふらふあひだ、 あまりに貴方くゐはうにむかひまふしてそのおんへんまふさではいかゞとぞんじさふらひてまふしてさふらふなり。 さらに信心しんじむだいをばかつてぞんせずさふらふあひだ、 あさましくさふらふ。 さいはひにまひりあひさふらふあひだ、 ねんごろに信心しんじむのやううけたまはるべくさふらふ。 かやうにうちくつろぎおほせさふらふあひだ、 まふしいれべくさふらふ。 よくよくき0254こしめさるべくさふらふ。 そもそももろもろのざふぎやうをすてゝ一心ゐちしむ一向ゐちかう弥陀みだくゐすとまふすはことばにてこしさふらへ。 もろもろのざふぎやうをすてゝとまふすは、 弥陀みだ如来にょらい一仏ゐちぶちをたのみ、 ぶちさちにこゝろをかけず、 またどく善根ぜんごんにもこゝろをいれず、 一向ゐちかう弥陀みだくゐ一心ゐちしむほんぐわんをたのめば、 思議しぎぐわんりきをもてのゆへに弥陀みだにたすけられぬるとこゝろえて、 この仏恩ぶちおんのかたじけなさにぎやうぢゆぐわ念仏ねむぶちまふすばかりなり。 これを信心しんじむ決定くゑちぢやうひととまふすなりとかたりしかば、 くわんのいろふかくして、 感涙かんるいをもよほしけり。 またばうまふされけるは、 せん同朋どうぼう教化けうくゑつかまつりさふらふことのさふらふつる、 これもいまはあやまりにてさふらふ。 懺悔さむぐゑのためにかたりまふすべくさふらふ、 おんきゝさふらへ。 所詮しよせんもんとくなる俗人ぞくじんのさふらふなるを随分ずいぶんくわんくゑつかまつりさふらふこゝちにてまふすやうは、 貴方くゐはうはさらに信心しんじむがなきよしまふしさふらふところに、 かの俗人ぞくじんおほきなるまなこにかどをたてまふすやうは、 すでにわれらがおやにてさふらふものは、 ばうにおいて忠節ちうせちのものにてさふらふ。 そのいはれは、 せうしんなんどもまふしさふらふ、 またいえなんどつくられさふらふときも、 じよじやうをもまふしさふらふ。 またわれらにおきてもぜんのときはがふりよくもまふしさふらふ。 そのほかときおりふしのれいなんども今日こむにちにいたるまでそのこゝろざしをはこび、 ものばうにまひらする信心しんじむをいたしまふしさふらふ。 そのうへにはしやうのためとては念仏ねむぶちをよくとなへさふらふ。 なにごとによりてわれらが信心しんじむがなきなんどうけたまはりさふらふやらん。 さやうになにともなきことをおほせさふらはゞ、 もんをはなれまふすべくさふらふよしまふしさふらふあひだ、 かのじんはわれらがためにはゐちのちから同朋どうぼうにてさふらふあひだ、 万一ばんゐちもんへゆきさふらはゞちからをうしなふべくさふらふあひだ0255、 さては貴方くゐはうだうにてさふらふひとが、 さやうにまふすよしきゝさふらふあひだ、 さてこそまふしつれ、 きやうこうにおきてさやうにまふすべからず。 あひかまへてあひかまへてもんへゆくべからざるよしまふしさふらひき。 これもいまはわれらがあやまりにてさふらふあひだ、 おなじく懺悔さむぐゑまふすなり。

文明五年二月一日書之