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そもそもさんぬるころ思議しぎなりしことのありけるは、 和泉いづみのくにとつとりといふ在所ざいしよに、 くわばたのしきゆうといひしをとこの、 としじふあまりなりしが、 成仁せいじんにはなれたるきざみ、 あまりのかなしさに、 所詮しよせんかわくわんおむにまいりてしやうのことをいのりまふすところに、 げんあらたにかうぶりけるは、 なんぢしやうゐちだいとおもひてわれにいのるあひだ、 まことにありがたきことなり。 しからば紀伊きのくにながふのごんのかみといふものあり。 そのところにゆきてしやうだいをあひたづぬべしとおほせられけるあひだ、 げんのむねにまかせてかのごんのかみ在所ざいしよへゆきてあひたづぬるに、 ごんのかみまふしける、 われらはくはしく仏法ぶちぽふだいぞんせざるあひだ、 所詮しよせん和泉いづみのくにかいしやう了真れうしんのところへゆきてくはしくたづぬべしといひけるあひだ、 かの了真れうしんのところへまいりて仏法ぶちぽふだいたづねまふすところに、 了真れうしんのいはく、 なにのやうもなくたゞ弥陀みだをふかくたのむべしとくはしくかたりたまふところに、 たちまちにたふとくおもひまいらせて、 一向ゐちかうわうじやう決定くえちぢやうつかまつりさふらひぬ。 そののちあまりに一心ゐちしむわうじやうぢやうせしめさふらふたふとさのあまり、 とつとりの面々めんめんにともにかたりさふらふところに、 みなみな信心しんじむ決定くえちぢやうつかまつりさふらひき。 さるほどにあまりありがたさに、 当年たうねん明応めいおう七年しちねんうるふじふぐわちじふにち不図ふとおもひたち、 大坂おほざか殿どのへすゝめをきさふらひつる人数にんじゆのうち、 まづあま一人ゐちにんをんな三人さむにんおとこにんあひともなひ参詣さむけいまふしさふらふなり。 さるほどにこのことを八十はちじふあまりのひとのきゝてかたりたまふあひだ、 ぶち0468ぽふ思議しぎとはまふしながら、 かゝるしゆしようなることはさらになし。 これについておもふやうは、 諸国しよこくにをいて、 さても仏法ぶちぽふとうりやうをもちたまふばうぶんのひとはおほくおんいりさふらふべきなれども、 はじめてひとをすゝめたまふといふことのをも八十はちじふあまりにまかりなりさふらへども、 うけたまはりをよばずさふらふ。 あさましあさまし。 まことに宿善しふぜんとはまふしながら、 かやうのしゆしようのことをば今日こむにちはじめてうけたまはりはじめてこそさふらへ。 これにつけてもみなみなりき信心しんじむいそぎ決定くえちぢやうめされさふらひて、 こむ一大ゐちだいほうわうじやうをとげましましてさふらはゞ、 しん得道とくだうのためとまふし、 または報恩ほうをん謝徳しやとくだうにもあひかなひましましさふらふべきなり。 よくよくおんこゝろをしづめてあんどもあるべくさふらふものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応七年閏十月下旬

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