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▼そもそもさんぬるころ不思議なりしことのありけるは、 和泉国とつとりといふ在所に、 くわばたのしき大夫といひしをとこの、 年の五十余なりしが、 成仁の子にはなれたるきざみ、 あまりのかなしさに、 所詮粉河の観音にまいりて後生のことをいのりまふすところに、 示現あらたにかうぶりけるは、 なんぢ後生を一大事とおもひてわれにいのるあひだ、 まことにありがたきことなり。 しからば紀伊国ながふの権守といふものあり。 そのところにゆきて後生の次第をあひたづぬべしとおほせられけるあひだ、 示現のむねにまかせてかの権守の在所へゆきてあひたづぬるに、 権守まふしける、 われらはくはしく仏法の次第存知せざるあひだ、 所詮和泉国海生寺の了真のところへゆきてくはしくたづぬべしといひけるあひだ、 かの了真のところへまいりて仏法の次第たづねまふすところに、 了真のいはく、 なにのやうもなくたゞ弥陀をふかくたのむべしとくはしくかたりたまふところに、 たちまちにたふとくおもひまいらせて、 一向に往生決定つかまつり候ぬ。 そののちあまりに一心の往生治定せしめさふらふたふとさのあまり、 とつとりの面々にともにかたり候ところに、 みなみな信心決定つかまつりさふらひき。 さるほどにあまりありがたさに、 当年明応七年閏十月十九日に不図おもひたち、 大坂殿へすゝめをき候ひつる人数のうち、 まづ尼一人・女三人・男四人あひともなひ参詣まふし候なり。 さるほどにこのことを八十あまりのひとのきゝてかたりたまふあひだ、 仏0468法不思議とは申ながら、 かゝる殊勝なることはさらになし。 これについておもふやうは、 諸国にをいて、 さても仏法の棟梁をもちたまふ坊主分のひとはおほく御いり候べきなれども、 はじめてひとをすゝめたまふといふことの議をも八十あまりにまかりなり候へども、 うけたまはりをよばず候。 あさましあさまし。 まことに宿善とはまふしながら、 かやうの殊勝のことをば今日はじめてうけたまはりはじめてこそ候へ。 これにつけてもみなみな他力の信心いそぎ決定めされ候て、 今度の一大事の報土往生をとげましまして候はゞ、 自身得道のためとまふし、 または報恩謝徳の道理にもあひかなひましまし候べきなり。 よくよく御こゝろをしづめて御思案どもあるべく候ものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
明応七年閏十月下旬
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