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▼そもそも毎朝この道場へ来集の人数にをいては、 あひかまへてこゝろにしかとおもひたもつべきやうはいかんといふに、 すでに弥陀如来の本願とまふすことは、 われら一切衆生を平等に極楽に往生せしめんがためにをこしたまへる誓願なりと信じて、 さて一念に弥陀をふかくたのみ、 このたびの後生あやまたずたすけたまへと信じたてまつるほかには、 さらに別のことあるべからずと信ずるべきものなり。 これすなはち真実の信心をえたるひとぞとおもひさだめてよりのちは、 たとひいかなるひとのまふしさまたぐることありといふとも、 これを信用すべからず。 このうへには行住座臥時処諸縁をきらはず、 ありがたくたふとくおもふこゝろあらんときは、 称名念仏まふすべきばかりなり。 このほかには少々のことをばあながちに耳にきゝいるべからず。 これすなはち当流の信心を獲得したる念仏の行者となづくべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
0467明応七年九月 日