(164)
▼そもそもこの在所大坂にをひていかなる往昔の宿縁ありてか、 すでにさりぬる*明応第五の秋のころよりかりそめながらかたのごとく一宇の坊舎を建立せしめ、 また当年*明応六年の仲冬下旬のふゆにいたり、 かつがつ周備満足のていたらく、 まことに法力のいたり歟、 ま0451た念仏得堅固のいはれか、 これしかしながら聖人の御用にあらずや。 これによりて門徒のともがら一同に普請造作にこゝろをつくして粉骨をいたさしむる条、 真実真実、 往生浄土ののぞみこれあるかのいはれ歟、 殊勝におぼえはんべりぬ。 しかれば当年聖人の報恩講中より来集の門徒のひと、 一向に往生極楽の他力信心を決定せしめて、 今度の一大事の報土往生をとべしめたははゞ、 これしかしながら今月廿八日の聖人の御本源にあひかなふべきものをや。 信ずべし、 よろこぶべし。 それ当流聖人の御勧化の安心といふは、 あながちに罪障の軽重をいはず、 たゞ一念に弥陀如来後生たすけたまへと帰命せんともがらは、 一人としても報土往生をとげずといふことあるべからずと、 をのをのこゝろうべし。 このほかにはさらに別の子細あるべからずとおもふべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
明応六年十一月廿五日