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そもそもこの在所ざいしよ大坂おほざかにをひていかなるわうじやく宿縁しふえんありてか、 すでにさりぬる*明応めいおうだいあきのころよりかりそめながらかたのごとくゐち坊舎ばうしや建立こむりふせしめ、 また当年たうねん*明応めいおう六年ろくねん仲冬ちうとうじゆんのふゆにいたり、 かつがつしう満足まんぞくのていたらく、 まことに法力ほふりきのいたり、 ま0451念仏ねむぶちとくけんのいはれか、 これしかしながらしやうにんゆうにあらずや。 これによりてもんのともがら一同ゐちどうしん造作ざうさくにこゝろをつくして粉骨ふのちをいたさしむるでう真実しんじち真実しんじちわうじやうじやうののぞみこれあるかのいはれしゆしようにおぼえはんべりぬ。 しかれば当年たうねんしやうにん報恩ほうおん講中かうちうより来集らいじふもんのひと、 一向ゐちかうわうじやう極楽ごくらくりき信心しんじむ決定くゑちぢやうせしめて、 こむゐちだいほうわうじやうをとべしめたははゞ、 これしかしながらこむぐわち廿にじふ八日はちにちしやうにんほんぐゑんにあひかなふべきものをや。 しんずべし、 よろこぶべし。 それ当流たうりうしやうにんくわんくゑ安心あんじむといふは、 あながちにざいしやうきやうぢうをいはず、 たゞ一念ゐちねむ弥陀みだ如来によらいしやうたすけたまへとくゐみやうせんともがらは、 一人ゐちにんとしてもほうわうじやうをとげずといふことあるべからずと、 をのをのこゝろうべし。 このほかにはさらにべちさいあるべからずとおもふべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応六年十一月廿五日