(153)
▼それ弥陀如来の本願と申す事は、 末代悪世のあさましき身をすくひまします誓願なり。 それにつきてはなにとやうにこゝろをもち、 又なにとやうに弥陀を信じまひらせて、 今度の一大事の後生をばねがふべきぞといふに、 なにのやうもなく、 まづ我身の悪業煩悩の心をばうちすてゝ、 たゞ弥陀にまかせまひらせて、 もろもろの雑行の心をとゞめて一すぢに弥陀如来今度の後生たすけたまへとひしとたのみ申さん人をば、 あやまたずたすけたまふべきことさらにそのうたがひあるべからず。 かやうにふかく信ぜん人をばもらさず御たすけあるべし。 さてこののちには、 南无阿弥陀仏南无阿弥陀仏ととなふべし。 これを仏恩報尽の称名念仏とは申すなり。 このほかにはなにといふこともあるべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
明応六年四月廿七日