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そもそも当所山科の野村にいかなる宿縁ありてか、 不思議にさんぬる文明十年の春のころより、 この在所にをいて一宇の坊舎を建立せしめて、 当年明応五年まではすでに十九年ぞかし。 これすなはち諸国門徒中の懇志をはこびしゆへなり。 これによりて一心専念の行者もますますこれある歟のあひだ、 法喜禅悦のおもひまことにもてあさからざるものをや。 しかれば今月廿八日は開山聖人の御正忌として、 毎年をいはず親疎をいはず、 道俗男女のともがらこの御正忌を本と存ぜしむるあひだ、 諸国より来集の面々いまにをいてさらにその退転なし。 しかるにこのあひだ連々諸人のていたらくをうかゞひみるに、 まことに仏法にをいて真実信心を獲得せしめたるすがたこれなきかとみをよべり。 これ一大事、 またあさましき次第にあらずとおぼへはんべり。 さればみな報恩謝徳をいたすといへども、 まことにもて 「水いりてあかをちず」 といへるたぐひにて、 その所詮なきもの歟。 しかりといへどもこの一七ヶ日のうちに未安心のともがらはすみやかに改悔懺悔して、 心中の不審をもことごとくはれて、 真実信心をまふけて真実報土の往生をさだめて、 われわれの本国へ下向せんこと肝要たるべきもの歟。 まづ安心といふも信心といふも、 なにとやうにこゝろをもち、 なにとやうに信ずべきぞといふに、 たとへばいかなる罪業ふかきひとも、 さらにつみのおもきかろきをばうちすてゝ、 かゝる罪障の凡夫を摂取したまふ弥陀の本願ぞと信じて、 なにのわづらひもなく、 もろもろの雑行のこゝろをうちすてゝ、 一心一向に阿弥陀如来後生たすけたまへとふかくたのみたてまつらんひとは、 たとへば十人も百人も千人も、 みなことごとく浄土に往生すべきこと0441さらにうたがひあるべからず。 かやうによくこゝろえたるひとをば信心決定のひとゝなづくべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応五年十一月廿一日