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当流たうりふ念仏ねむびちぎやうじや安心あんじむ決定くゑちぢやうせしむるすがたをたづぬるに、 南无なもわあ弥陀みだぶちろくのこゝろをよくよくしりたるをもて、 安心あんじむ決定くゑちぢやうともまた真実しんぢち信心しんじむぎやうじやともなづくべきものなり。 そのゆへはいかんといふに、 たとへばひとありて、 われらごときのあさましきゐちしやう造悪ざうあくざいしやうなれども、 わあ弥陀みだぶちおんたすけさふらへとふかく一念ゐちねむにたのみたてまつらんものをば、 かならず十人じふにんひやくにんも、 みなことごとくおんたすけさふらふべきものなり。 これさらにうたがふこゝろあるべからず。 かやうにやすくたのむ一念ゐちねむちからにておんたすけさふらふことのたふとさうれしさをおもはゞ、 ぎやうぢゆぐわ念仏ねむぶちまふすべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

明応五年七月十四日