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▼抑今月廿八日者毎年為↢報恩謝徳↡如↠形 以↢諸国門徒之懇志↡所↠致↢一七日昼夜之念仏勤行↡也。 因↠茲当流に其号を懸たらん行者に於ては、 相↢当 此時節↡報恩をなし謝徳をいたさざらんもの无↠之哉。 まことに開山聖人之御恩徳の広大なる事は蒼瞑三千の海もかへりて浅しと可謂者歟。 夫つらつら当流の宗義を案ずるに、 鎮西・西山之両流にこえすぐれたり。 そのゆへは或は臨終往生を本とし、 或は念仏の数篇をもて一二、 三五の往生をゆるす家なり。 されば此等の宗義にをひて0436各別にして、 当流上人の立義はすでに一念発起平生業成の義をたてゝ宗の本意とする条、 他流には大にあひかはれるものなり。 就之もし我等も宿縁おろそかならば、 聖人之この一流にはあひたてまつりがたき者哉。 されば万が一も此流にあひまふさずんば、 すでに今度の一大事の報土往生はむなしからん事をおもふに、 誠になげきてもなげくべきもの歟。 このゆへに宿善のもよほすところ、 悦ても猶悦ぶべきはたゞ此一事なり。 依之諸国門徒之中に於て、 信不信の差別可在之歟の間、 所詮信不信の輩はすみやかに悪心をひるがへして、 善心をもとめて真実決定の他力信心をまふくべし。 もし不↠然 輩はたとひ今月聖人の報恩講御忌にまひりあひたりといふとも、 定而聖人の御意にはあひかなひがたき者歟。 依之いよいよ不信心の機は金剛堅固の大信心を決定して、 此一七ヶ日報恩講中にをいて報土往生の信心をよくよく決定せしめてのち、 遠国の人も近国の人もをのをの本国へ下向すべきものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。
明応三年霜月廿一日