(143)
▼南无阿弥陀仏六字不審の事
善0435導釈云、 「南無といふはすなはちこれ帰命、 またこれ発願廻向の義なり。 阿弥陀仏といふはすなはちこれその行なり。 この義をもてのゆへにかならず往生することをうるなり」 (玄義分) といへり。 このこゝろを案ずるに、 まづ南无の二字のこゝろはいかなるこゝろぞといふに、 罪業ふかきわれら衆生をたすけ給へと弥陀如来にまふすこゝろなり。 されば弥陀のわれら衆生のたのみたてまつる機をよくしろしめして、 大善大苦毒の法をあたへましますゆへに、 このいはれをすなはち発願廻向之義とはまふすなり。 このいはれあるがゆへにかならず往生することをうるなり。 このゆへに南无阿弥陀仏と申したてまつるものなり。 これをすなはち他力の大信心をえたる念仏行者とはいふなり。
これらのおもむきを了珍・浄泉、 在京のあひだ不審せらるゝほどに、 こゝろにうかむところをかきしるしあたふるものなり。
明応二年八月廿八日俄書之
以御筆直写申候也。 正本は加州小松了珍に御座候也。