(14)
▼一念多念◗事
これもぬきがき
一
「真宗の肝要は一念往生をもて淵源とし、 一念をもては往生治定の時剋とさだめて、 そのときのいのちのぶれば、 自然と多念におよぶ道理なり。 されば平生のとき一念往生治定のうへの仏恩報謝の多念の称名とならふところなり。 一念も多念もともに往生のための正因たるやうにこゝろえみだす条、 すこぶる経釈に違せるもの歟。 されば先達よりうけたまはりつたへしがごとくに、 他力の信をば一念に即得往生ととりさだめて、 そのときいのちをはらざらん機は、 いのちあらんほどは念仏すべし。 これすなはち上尽一形の釈にかなへり。 しかるに世のひとつねにおもへらく、 上尽一形の多念も宗の本意とおもひて、 それにかなはざらん機のすてがてらの一念とこゝろうる歟。 これすでに弥陀の本願に違し、 釈尊の言説にそむけり。 そのゆへは如来の大悲短命の根機を本とせば、 いのち一刹那につゞまる无常迅速の機いかでか本願に乗ずべきや。」 (口伝鈔意)
上尽一形下至一念事
二
「下至一念といふは、 本願をたもつ往生決定の時剋なり。 上尽一形といふは、 往生即得のうへの仏恩報謝0244のつとめなり。」 (口伝鈔意)
平生業成事
三
「そもそも宿善開発の機において、 平生に善知識のおしへをうけて、 至心・信楽・欲生の帰命の一心他力よりさだまるとき、 正定聚のくらゐに住し、 また即得往生住不退転の道理をこゝろえなん機は、 ふたゝび臨終の時分に往益をまつべきにあらず。 そののちの称名は仏恩報謝の他力催促の大行たるべき条、 文にありて顕然なり。
念仏往生は臨終の善悪を沙汰せず、 至心・信楽・欲生の帰命の一心他力よりさだまるとき、 即得往生住不退転の道理を善知識にあふて聞持する平生のきざみに、 往生は治定するものなり」 (口伝鈔意) と 云々。
*文明四年二月八日
(15)
▼善導云、
「諸衆生等久流↢生死↡不↠解↢安心↡。」 (礼讃意) 文
この文のこゝろは、 あらゆる衆生ひさしく生死に流転することはなにのゆへぞといへば、 安心決定せぬいはれなり。
又云、
「安心定 意◗生↢安楽↡。」 (礼讃意) 文
この文のこゝろは、 安心さだまりぬねば安楽にかならずむまるゝなりといへり。
これはみなぬきがきなり
四
一 「真宗においてはもはら自力をすてゝ他力に帰するをもて宗の極致とするなり。」 (改邪鈔意)
五
一 「三業のなかには口業をもて他力のむねをのぶるとき、 意業の憶念、 帰命の一念おこれば、 身業礼拝のために、 渇仰のあまり瞻仰のために、 絵像・木像の本尊を、 あるひは彫刻しあるひは画図す。 しかのみならず仏法示誨の恩徳を恋慕し仰崇せんがために、 三国伝来の祖師・先徳の尊像を図絵し安置すること、 これ0245つねのことなり。」 (改邪鈔意)
六
一 「光明寺の和尚の御釈をうかゞふに、 安心・起行・作業の三ありとみえたり。 そのうち起行・作業の篇をばなを方便のかたとさしおきて、 往生浄土の正因は安心をもて定得すべきよしを釈成せらるゝ条、 勿論なり。 しかるに吾大師聖人このゆへをもて他力の安心をさきとしまします。 それについて三経の安心あり。 そのなかに ¬大経¼ をもて真実とせらる。 ¬大経¼ のなかには第十八の願をもて本とす。」 (改邪鈔意)
七
一 「第十八の願にとりてはまた願成就をもて至極とす。 信心歓喜乃至一念をもて他力の安心とおぼしめさるゝゆへなり。 この一念を他力より発得しぬるのちには、 生死の苦海をうしろになして涅槃の彼岸にいたりぬる条、 勿論なり。 この機のうへは他力の安心よりもよほされて、 仏恩報謝の起行・作業はせらるべきによりて、 行住座臥を論ぜず、 長時不退に到彼岸のいひあり」 (改邪鈔) と 云々。
八
一 「¬観経¼ 所説の至誠・深信等の三心をば凡夫のおこすところの自力の三心ぞとさだむなり。」 (改邪鈔意)
九
一 「¬大経¼ 所説の至心・信楽・欲生等三信をば他力よりさづけらるゝところの仏智とわけられたり。 しかるに方便より真実へつたひ、 凡夫発起の三心より如来利他の信心に通入するぞとおしへおきましますなり」 (改邪鈔) と 云々。
廃立といへる事
十
一 「真宗の門においてはいくたびも廃立をさきとせり。 廃といふは捨なりと釈す。 聖道門の此土入聖得果、 己身の弥陀、 唯心の浄土等の凡夫不堪の自力の修道0246をすてよとなり。
立といふはすなはち弥陀他力の信をもて凡夫の信とし、 弥陀他力の行をもて凡夫の行とし、 弥陀他力の作業をもて正業として、 この穢界をすてゝかの浄刹に往生せよとしつらひたまふをもて、 真宗のこゝろとするなり」 (改邪鈔意) と 云々。
文明四年二月八日
(16)
十一
▼「一向専修の名言をさきとして、 仏智の不思議をもて報土往生をとぐるいはれをばその沙汰におよばざる、 いはれなきこと。
それ本願の三信心といふは、 至心・信楽・欲生これなり。 まさしく願成就したまふには聞其名号信心歓喜乃至一念とらとけり。 この文について凡夫往生の得否は乃至一念発起の時分なり。 このとき願力をもて往生決得すといふはすなはち摂取不捨のときなり。 もし ¬観経義¼ によらば安心常得といへる、 これなり。 また ¬小経¼ によらば一心不乱ととける、 これなり。 しかれば祖師聖人御相承弘通の一流の肝要これにあり。 こゝをしらざるをもて他門とし、 これをしれるをもて御門弟のしるしとす。 そのほかかならずしも外相において一向専修行者のしるしをあらはすべきゆへなし」 (改邪鈔意) といへり。
十二
一 「当教の肝要は凡夫のはからひをやめて、 たゞ摂取不捨の大益をあふぐべきものなり。」 (改邪鈔)
十三
「七箇条の御起請文には、 念仏修行の道俗男女、 卑劣のことばをもてなまじゐに法門をのべば、 智者にわらはれ愚人をまよはすべしと 云々。 かの先言をもていまを案ずるに、 すこぶるこのたぐひ歟。 もとも智者にわらはれぬべし。 かくのごときのことばもとも頑魯なり荒涼なり」 (改邪鈔) と 云々。
十四
一 「たゞ男女善悪の凡夫をはたらかさぬ本形にて、 本0247願の不思議をもてむまるべからざるものをむまれさせたればこそ、 超世の願ともなづけ、 横超の直道ともきこへはんべるものなり。」 (改邪鈔)
宿善開発の機◗事
十五
「そもそも宿善ある機は正法をのぶる善知識にしたしむべきによりて、 まねかざれどもひとをまよはすまじき法灯には、 かならずむつむべきいはれあり。 宿善もし開発の機ならば、 いかなる卑劣のともがらも願力の信心をたくはへつべし」 (改邪鈔意) と 云々。
无宿善の機◗事
十六
「宿善なき機はまねかざれどもおのづから悪知識にちかづきて、 善知識にはとをざかるべきいはれなれば、 むつびらるゝも、 とをざかるも、 かつは知識の瑕瑾もあらはれしられぬべし。 所化の運否、 宿善の有无も、 もとも能所ともにはづべきものをや。 しかるにこのことはりにくらきがいたすゆへ歟。 一旦の我執をさきとして宿善の有无をわすれ、 わが同行ひとの同行と相論すること愚鈍のいたり、 仏祖の照覧をはゞからざる条、 至極つたなきもの歟、 いかん。 しるべし」 (改邪鈔) と 云々。
十七
一 「曇鸞和尚、 同一念仏无別道故といへり。 されば同行はたがひに四海のうちみな兄弟のむつびをなすべきに、 かくのごとく簡別隔略せば、 おのおの確執のもとゐ我慢の先相たるべきものなり。」 (改邪鈔意)
[これまではぬきがきなり]
文明四年二月八日