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▼勢ひきゝ人のいはく、 先年京都上洛のとき、 高野へのぼるべき心中にて候ところに、 乗専申されけるは、 御流の儀はあながちに高野なんどへまひるは本儀にあらず、 当流安心決定せしめんときは、 いかにも御本寺0242に堪忍つかまつりたらんが、 報恩謝徳の道理たり。 しかれば我等もその義にて堪忍まふすなりと、 こまごまと仏法次第かたりたまふほどに、 それより御流の安心にはもとづきたてまつるなり。 さいはひに和田の御新発意、 その時分御在京候あひだ随逐まふし候て、 いよいよ仏法次第聴聞つかまつりさふらひて、 それよりこのかた御流の安心にはなをなをもとづきまふすなり。 これしかしながら御新発意の御恩いまにあさからざるなり。 さ候あひだ、 聴聞つかまつりさふらふ次第すこしはわろくもまふし候、 またはあらくもまふし候いはれにや、 越州・加州◗不信心の面々には件の心源とまふされ候て、 かぜをひき候き。 しかれども正法の御威光によりて儀理のちがひさふらふところをも、 うけたまはりわけさふらふによりて、 已前のごとくにはあひかはりて沙汰つかまつり候あひだ、 すでにはやその名をあらためて蓮崇とこそまふし候なり。 なほなほも相違の子細◗あるべくさふらふほどに、 たれびともよくよく御教訓にあづかりさふらはゞ、 まことにもて 「同一念仏无別道故」 (論註巻下) のことはりにあひかなひ候べきものなり。
文明三年九月十八日