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抑参河国に於て当流安心之次第は、 佐々木坊主死去已後は、 国之面々等之安心の一途さだめて不同なるべしとおぼへ侍べり。 期故は如何といふに、 当流の実儀うつくしく讃嘆せしむる仁体あるべからざるが故也。 たとひ又その沙汰ありといふとも、 たゞ人の上の難破ばかりをいひて、 我身の不足をば閣て、 我慢偏執のを以てこれを先とすべし。 如此の心中なるがゆへに、 当流に其沙汰なき秘事法門と云事を手作にして諸人をまよはしむる条、 言語道断之次第也。 此秘事を人に授けたる仁体においては、 ながく悪道にしづむべき者也。 然則自今已後おいては、 以前の悪心をすてゝ当流之安心をきゝて、 今度の報土往生を決定せしめんと思べし。 只以当流之一儀において秘事の法門と云事あるべからざる者也。

夫当流聖人の一代は、 ことに在家止住の輩をもて本とするがゆへに、 愚痴闇鈍の身なれども、 偏に弥陀如来之他力本願に乗じて一向に阿弥陀仏に帰命すれば、 即時に正定聚之位に住し、 又滅度に入しむるとこそつたへたり。 此故に超世の本願とも不可思儀の強縁とも申し侍べり。 是則摂取不捨の益にあづかりぬる真実信心をゑたる一念発起の他力の行者とは申す者也。 此土にはたゞ弥陀如来の御恩徳のふかき事をのみおもひて、 其報謝のためには行住座臥をいはず、 南無阿弥陀仏ととなへんより外の事はなきなり。 猶以此上にわづらはしき秘事ありといふやからこれあらば、 いたづら事とこゝろへて信用あるべからざるものなり。 あなかしこ、 あなかしこ。

0386文明拾貳年六月十八日(花押)