本書は、 宗祖が、 源空 (法然) 聖人門下の法兄にあたる聖覚法印の著、 ¬唯信鈔¼ の内容について註釈されたものである。 ¬唯信鈔¼ は、 総じて源空聖人の念仏往生の要義はただ信心を肝要とすることを明らかにされたものであり、 随所に経釈の文が引証されている。 その文について詳細に註釈されるのが本書である。
具体的には、 まずはじめに 「唯信鈔」 という題号の意味について釈され、 次いで法照禅師の ¬五会法事讃¼ の文と同書に引用される慈愍三蔵の文、 善導大師の ¬法事讃¼ の文、 さらに ¬観経¼ の文、 善導大師の ¬観経疏¼ 「散善義」 の文、 ¬大経¼ の第十八願文、 ¬観経¼ の文などを註釈されている。 しかしてこれらの文についての宗祖の釈義は、 単に言葉の意味を註釈するにとどまらず、 ¬唯信鈔¼ の法義をさらに展開した宗祖独自の仏教観が説き示されている。 「観音勢至自来迎」 についての解釈や 「極楽無為涅槃界」 の文などは、 宗祖晩年の思想の深まりとして特に注目されるところである。 そして末尾には、 関東の門弟たちに、 経釈の文の意味を容易に領解せしめんとする本書撰述の趣旨が述べられている。 これについては ¬一念多念文意¼ の末尾にも同様の文が置かれており、 両書の撰述意図が共通していたことが知られる。
本書には書写年時の異なる宗祖真筆本や古写本がそれぞれ複数現存しているが、 宗祖が本書を撰述された年時については必ずしも明らかでない。 現存する諸本のうち最も早い年時を伝えるものは、 岩手県本誓寺蔵伝宗祖真筆本であり、 宗祖七十八歳にあたる建長一 (1250) 年の奥書をもつ。 また最も新しい書写年時をもつものは、 高田派専修寺蔵鎌倉時代写本をはじめとする正嘉本系統の諸本であり、 宗祖八十五歳にあたる正嘉元 (1257) 年の奥書をもつ。 また一方で、 現存する宗祖の真筆は 「康元二年正月十一日」 の奥書をもつものと 「同年正月二十七日」 の奥書をもつ二本が高田派専修寺に伝わる。 従って、 その最も早い建長二年を本書撰述の年時とみる説もある。 しかし、 後述する ¬唯信鈔¼ (信証本) と ¬唯信鈔文意¼ (正月二十七日本) のように、 両者が一組で書写されて門弟に与えられていた例を鑑みると、 さらに早い時期との見方もある。
また、 諸本の本文を対比してみると、 相互に文字の異同出入りがあり、 宗祖が書写を重ねるごとに文言を訂正されていった様子を窺うことができる。 なかでも康元二年正月二十七日本と正嘉元年本との間では、 本文が大幅に改訂されている。