本鈔は、 覚如上人の撰述である。 覚如上人については ¬慕帰絵¼・¬最須敬重絵詞¼ を参照されたい。 「出世元意」 という題号は、 釈尊がこの娑婆世界に出現された本意 (元意) の意味である。 しかし、 これは上述の ¬慕帰絵¼ およびその他の史資料に見られないことから、 後に付されたものではないかと考えられている。 ただし、 ¬口伝鈔¼ 第十五条には、 海徳仏から釈尊に至るまでの仏の出世の本意が、 阿弥陀仏の教えを説くことを根本としていることについて、 「海徳以来乃至釈迦一大の出世の元意、 弥陀の一教をもて本とせらるゝ太都也」 と述べられ、 覚如上人自身がすでに 「出世の元意」 の語を用いているため、 これに依ったのではないかとも考えられる。 また、 この題号が付された蓮如上人の書写本が現存していることから、 少なくとも蓮如上人の時代には本書が 「出世元意」 と称されていたことは明らかである。
本書は、 覚如上人の著作の中では極めて短く、 本文冒頭に 「法華念仏同体異名事」 と表示されているように、 全体の内容は法華の教えと念仏の教えとは同体異名であることを明かしたものである。 また、 その根拠を同味と同時の両面から説かれている。 なお、 同様の内容は ¬口伝鈔¼ 第十五条にも見られ、 本書と併せ考えると ¬法華経¼ を中心とする天台宗や日蓮宗などの教えに対して、 念仏の教えを説き明かそうとする意図が窺える。
まず同味の面では、 最初に五味が掲げられる。 これは天台宗の教判であるが、 釈尊一代の経説を五つの時期に分け、 その次第を乳の味が精製され深まっていく過程に譬えたものである。 乳味は華厳時、 酪味は阿含 (鹿苑) 時、 生蘇味は方等時、 熟蘇味は般若時、 醍醐味は法華涅槃時である。
この中、 醍醐味は最高の味で、 その味に譬えられるのは、 釈尊出世の本意を説いたとされる ¬法華経¼ であるが、 本書では浄土真宗を法華同味の教えと定め、 浄土真宗の教えを出世の本意としている。 それは 「浄土三部経¼ の ¬大経¼ に明白であるとして、 「爾時世尊、 諸根悦予、 姿色清浄、 光顔巍巍」 などと、 いわゆる五徳瑞現の内容を文証として引用している。 これによって、 法華・念仏同味の教えであることが明らかであるとし、 両者は同体異名で、 ともに醍醐味の教えであるとしているのである。 さらに、 そのことは ¬選択集¼ にみられるといわれている。
次に同時の面とは、 経典の説時である。 法華の教えは釈尊の最晩年の八年間に説かれたとされる一方で、 ¬観経¼ も王舎城において阿闍世太子が乳の頻婆娑羅王を殺害する事件が起こり、 韋提希夫人の請いに応じて、 釈尊が霊鷲山での法座を中止して王宮に降臨して説かれた教えである。 つまり、 説かれた時期が法華と念仏とは同じことから、 浄土真宗が醍醐味であり最高の教えであると重ねて明かしているのである。
本書の撰述年代は、 奥書などの年紀を知ることのできる記述がないことから不明である。 そのような中で、 本書が覚如上人の撰述とされるのは、 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段の記述によるところが大きい。 すなわち、 ¬慕帰絵¼ には覚如上人の著作である ¬口伝鈔¼・¬改邪鈔¼・¬願願抄¼・¬執持鈔¼・¬最要鈔¼・¬本願鈔¼ が列記された後に続いて、 「このほかに ¬法華念仏同体異名事¼ といへる薄双紙有之」 と示されている。 「法華念仏同体異名事」 とは、 本書の本文冒頭の表題と同一であり、 そのことから、 この記述が本書を指していると見られる。 また、 ¬真宗法要¼ や ¬真宗仮名聖教¼ にも覚如上人の著作に並べて収録される。 これらのことから今日では覚如上人の著作とされる。