本経は後期無量寿経に含まれ、 ¬大中祥符法宝録¼ 巻八によれば、 淳化二 (991) 年十月に法賢によって訳出されたという。 法賢は、 北インドカシュミール出身の訳経僧で、 咸平四 (1001) 年に示寂した。 天息災と名のっていたが、 雍熙四年 (987) に法賢と改名したという。 ¬仏母実得蔵般若波羅蜜経¼ ¬菩鉢多酥哩捺野経¼ を本経と共に訳出している。
本経の具名は 「大乗無量寿荘厳経」 であり、 「荘厳経」 「無量寿荘厳経」 と略称される。 三巻からなる。
本経の上巻は、 序分では鷲峰山に参集した比丘の名が示され、 阿難の問いにより釈尊の説法が始められる。 正宗分では、 作法 (法蔵) 比丘の発心が示され、 世自在王如来に対する讃仏偈と世自在王如来の説法が示される。 それを受けた作法比丘が思惟し本願を建ててから五劫をかけて成就したことが示され、 三十六願の中、 三十願までが述べられて上巻が終わる。
中巻では、 引き続き三十一願以降が述べられ、 続けて重誓偈、 作法比丘の修行が説かれ、 その修行の果徳として、 今現に西方極楽で無量寿仏として説法していることが示される。 次に無量寿仏の光明、 極楽の聖衆、 宝柱や宝樹のことなどが説かれる。 そして、 諸天の所住について問答が起こされ、 宝河の荘厳や極楽の音声によって悪声を聞かないこと、 諸仏への供養が自在であることなどが示される。 続けて、 第十一願・第十七願・第十八願成就文が示される。 そして、 三輩往生が示されて中巻は終わる。
下巻では、 始めに往覲偈が置かれ再び極楽の描写である道場樹や宝樹のことが述べられ、 一生補処について説かれる。 そして、 観自在菩薩と大精進 (大勢至) 菩薩と、 極楽に往生した菩薩の功徳などについて述べられる。 これらを説き終わると、 阿難に対して西に向かって礼拝することが勧められ、 その勧めを受けた阿難の前に光明を放った無量寿仏が現れたことが示される。 続けて、 慈氏 (弥勒) 菩薩に対してこれまでの説法の内容が確認され、 胎生についての問答などが説かれる。 再び阿難に対して諸佛国土から菩薩たちが往生することが説かれる。 最後の流通分では、 慈氏菩薩に対して本経が付属されて流通偈が置かれ、 釈尊の説法を聞いた多くの菩薩が不退転を得たことなどが示されて、 本経は終わる。
本経の特徴としては、 願文が三十六願であることや、 三毒五悪段が存在しないことなどが挙げられる。 特に ª無量寿経º の他の漢訳では、 本願文の末に 「不取正覚」 などの文言があるのに対して、 本経では 「悉皆令得阿耨多羅三藐三菩提」 とあり、 衆生成仏に重点が置かれている点が特徴とされる。 また、 本経訳出の背景には空思想の影響があることが指摘されている。 また、 宗祖は本経を一度も引用されていない。