本書は、 源空 (法然) 聖人が 「浄土三部経」 の大意を講述した際の筆記録であるとされる。
 本書は、 大経釈・観経釈・小経釈の三段で構成されており、 各段でそれぞれの経の要文について解説されている。
 大経釈では、 初めに阿弥陀仏の四十八願の中、 称名念仏による衆生の往生が誓われた第十八願 (本願) が殊勝であり、 濁世の衆生が生死を出離するにはこの本願によるほかはないことを述べる。 そして、 本願文には 「乃至十念」 とあることから、 本願の成就は正しく一念にあるという。 次に往生の業について、 「一向専念无量寿仏」 と三輩に共通して説かれるのは、 阿弥陀仏の本願によるからであるとする。 また、 この本願の力用を 「往覲偈」 にある 「其仏本願力」 以下四句を挙げて明らかにしている。 最後に、 弥勒付属の文を引用して、 「乃至一念」 をもって大利を得ることこそ、 この経の肝要であると示している。
 観経釈では、 他の二経に比して分量が多く割かれている。 その内容は、 ¬観経¼ には定散二善が説かれるが、 主眼は阿難付属の念仏にあることを述べてはじまる。 そして、 第九真身観の 「光明遍照、 十方世界、 念仏衆生、 摂取不捨」 の文について、 光明の縁と名号の因が和合することで、 念仏の衆生は摂取不捨の利益を蒙るのであるとする。 次に善導大師の文に依拠して、 ¬観経¼ の三心 (至誠心・深心・回向発願心) を釈している。 至誠心釈では、 この心を定善・散善・弘願の三門にわたって理解すべきであるとし、 総別の二義を立てている。 総の義とは自力をもって定散二善を修して往生を願うこと、 別の義とは他力によって往生を願うことで、 自力を翻して他力弘願に乗じるべきであることを勧めている。 深心釈では、 「阿弥陀」 の三字について、 この名号はあらゆる功徳を具しており、 真言の阿字本不生、 天台の三諦一理等の経説をも含むと説明するのが特徴的である。 回向発願心釈では、 浄土往生に九品の差別があるとし、 下品、 中品、 上品の順に往生行を明かす。 そして、 菩提心について、 その理解は諸宗様々であるが、 浄土宗においては阿弥陀仏の浄土に往生することを願う心を指すのであると述べている。
 小経釈では、 ¬小経¼ に浄土の依正二報の功徳が説かれるのは衆生に願生心を発させるためであるとし、 往生の行は阿弥陀仏の名号を執持すること、 すなわち称名念仏であることを明かす。 そして、 ¬小経¼ の内容は六方の諸仏が証誠するところであり、 これを信じることは、 阿弥陀仏の本願のみならず、 釈尊の所説、 ひいては一切の諸仏・菩薩を信じることとなり、 その信は広大の信心であると結ばれている。
 本書には、 高田派専修寺に蔵される真仏上人書写本と、 神奈川県称名寺に蔵される良称書写本の二本の書写本が現存する。 この両書写本を比較すると、 前者は全体的に和文体であるが、 後者は漢文体の面影を残しており、 本書の原初形態が漢文であったことを彷彿とさせる。 特に、 専修寺蔵本には ¬往生礼讃¼ の 「彼仏今現在世成仏」 の文を 「彼仏今現在成仏」 とし、 ¬観経疏¼ 「散善義」 の 「不得外現賢善精進之相内懐虚仮」 の文を 「外賢善精進の相を現ずることをえざれ、 うちに虚仮をいだければなり」 と訓読するなど、 宗祖の著作にみる表現と同様の特徴がみられる。 これより、 真仏上人が宗祖の訓読を基調として本書を書写したことが窺える点、 貴重な書写本であるといえる。
 本書の成立については、 源空上人が文治六 (1190) 年に東大寺で 「浄土三部経」 を講説される以前とする説や、 ¬選択集¼ 執筆の以後とする説等があり、 いまだ定説をみない。
 また、 源空上人には本書以外にも、先述の東大寺での講説を記録したものや、 ¬西方指南抄¼ 上本・上末の 「法然聖人御説法事」、 ¬漢語灯録¼ 第七巻の 「逆修説法」 など、 「浄土三部経」 を解説したものが多く伝えられる。 その中、 ¬和語灯録¼ 第一巻には本書と同内容の 「三部経釈」 と題する一書が集録されているが、 その書の至誠心釈は簡潔にまとめられており、 その文言は本書と大きく相違している。
 なお、 本書には源空聖人の真撰か否かの疑論がある。 それは、 仏回向を説いていること、 光明・名号を因縁とすること、 至誠心を総別の二義に配して自力と他力とに分類すること等、 本書特有の教説によって惹起されたものである。