本鈔は、 覚如上人の撰述である。 覚如上人については ¬慕帰絵¼・¬最須敬重絵詞¼ を参照されたい。 本鈔の題号にある 「最要」 とは、 第十八願を意味する。 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段に、 「¬最要鈔¼ とて小帖あり ……又 ¬本願鈔¼ と名て自筆を染るは、 名字格別なれども、 義理大旨さきの ¬最要¼ に同じきもの歟」 とあるように、 第十八願の願意を釈し、 真宗法義の肝要を明かしたものであり、 ¬本願鈔¼ と類似した内容をもつとされる。
 本鈔の内容については、 最初に第十八願およびその成就文を列記し、 成就文の 「信心歓喜」 と 「聞其名号」 の語を抜き出して、 それぞれに解釈を施している。 そこでは、 善導大師の ¬序分義¼ および ¬玄義分¼ の帰三宝偈の文を引用して、 「信心歓喜」 の信心とは他力回向の信心であることを強調している。 さらに、 ¬大経¼ から二文、 善導大師の ¬往生礼讃¼、 宗祖の ¬教行信証¼ 「信文類」 を連引して、 他力回向の信心によって往生治定するという一宗の要義を明らかにしている。
 続いて 「正信偈」 の 「憶念弥陀仏本願、 自然即時入必定、 唯能常称如来号、 応報大悲弘誓恩」 の四句を解釈して、 信心正因の義を明らかにし、 最後に称名について、 「応報大悲弘誓恩」 の文をもって、 報恩行であると述べている。
 すなわち、 本鈔は第十八願の意を開顕して、 信心正因・称名報恩の要義を明らかにしている。
 本鈔の成立については、 西法寺蔵本等の奥書に 「康永二歳 癸未 四月廿六日/大谷殿御法聞也為目良寂円/房道源於御病中従覚右筆/記之」 とあり、 また、 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段に、 「或は ¬最要鈔¼ とて小帖あり、 先年法印風痾に侵しとき目良寂円房道源 関東駿河法印栄海舎兄、 訪来れりし次に臥ながらしめしゝ法語を口筆す。 第十八の願意を釈する文なり」 とあることから、 本鈔は康永二 (1343) 年四月、 覚如上人七十四歳の時に、 目良の寂円房道源の求めによって制作されたものである。 覚如上人は風邪で病床に伏していたため、 覚如上人が口述したものを従覚上人が筆記したとされる。 寂円房道源については、 ¬慕帰絵¼ 第十巻第一段によれば、 駿河国教覚寺第三世栄海の兄である。 文筆に長じていたことから、 幕府の公文所に召し出され、 知行として房州目良の荘を賜ったといわれ、 後に幕府の職を辞して出家し、 京都に住して覚如上人に近事して教えを受けたと伝えられている。
 なお、 ¬最須敬重絵詞¼ 第七巻第二十六段にも覚如上人の著作のひとつとして本鈔が挙げられている。