本書は、 存覚上人の撰述である。 存覚上人については ¬存覚一期記¼ を参照されたい。 本書は題号が示すように、 女人の往生について伝え聞いたところを記録した書である。 女人の往生については、 阿弥陀如来の四十八願のうち第三十五願に誓われているとされ、 本書はこの第三十五願を中心に、 女人の浄土往生を論じたものである。
本書は、 はじめに第十八願とは別に第三十五願が誓われた所以について問答し、 女人が罪悪深重であるとされてきた理由として五経二論をあげ、 さらに当時の中国・日本の社会通念にしたがって女人は障りが重いとする事例をあげている。 しかし結論として、 最後にはそうした女人も弥陀の本願により救済されることを述べ、 専修念仏の道をすすめている。
はじめに ¬大経¼ に説かれる阿弥陀如来の四十八願の中で、 特に第三十五願を選んで訓釈をほどこしている。 次に二つの問答があり、 第一の問答では第十八願においては十方衆生を救うと誓われているのに、 重ねて第三十五願に女人成仏を誓う理由を問うている。 これに答えて 「第十八の念仏往生の願に男女をえらばずみな摂すべき条は勿論なり、 しかれどもかさねてこの願をたてたまへることは如来の大慈大悲のきはまりなり」 と述べ、 さらに女人は罪悪深重であるが故に特に第三十五願をたてたとする解釈例をあげている。 第二の問答では、 女人の罪障が重いとされる事例について ¬涅槃経¼・¬心地観経¼・¬優塡王経¼・¬大宝積経¼・¬阿含経¼・¬大智度論¼・¬唯識論¼ の五経二論を引用している。 そして道宣などの訓戒や、 さらに比叡山・高野山・東大寺・笠木寺・金峰山等、 当時の霊地霊場の事縁をあげて女人の相の事例を示している。
それに対して、 善導大師の ¬観念法門¼ における第三十五願の解釈を引用して女人の浄土往生を示し、 また 「弥陀の大悲ふかければ 仏智の不思議をあらはして 変成男子の願をたて 女人成仏ちかひたり」、 「弥陀の名願によらざれば 百千万劫すぐれども いつゝのさはりはなれねば 女身をいかでか転ずべき」 と、 宗祖の ¬浄土和讃¼ と ¬高僧和讃¼ を引いて、 女人が仏果に至ることを説いている。 さらに源空 (法然) 聖人における女人教化の事縁をあげ、 女人の浄土往生を 「浄土三部経」 の所説に基づいて証明する。 そして、 阿弥陀如来の大悲は一切の衆生に注がれ、 浄土の機縁は十方の群生にわたるが、 ことに女人を救うことを本とすると説いている。 そして最後に、 本願の念仏こそが女人の救われる道であると結んでいる。
つまり本書に説くところは、 女人が阿弥陀仏の本願によって救われて成仏するという、 女人救済の道を開顕することにあるが、 事例としてあげられているものの思想は異計には、 古代インド以来の社会通念が深く関わっている。 すなわち、 古代インドでは、 性差に関する誤った譬喩がなされてきた歴史があるが、 こうした差別思想は否定されるべきものであり、 「念仏往生の願に男女をえらばずみな摂すべき条は勿論なり」 という言葉の意図を正しく受け止めなければならない。
本書の成立については、 存覚上人自身の述作である ¬浄典目録¼ に 「女人往生聞書一巻 已上依空性房 了源 望草之」 とあり、 了源上人の所望によって存覚上人が執筆されたことが知られる。 このことは ¬存覚一期記¼ 並びに寂恵が享保六 (1721) 年に撰述した ¬鑑古録¼ にも伝えるところである。 しかしながら、 制作年代については、 撰述を記す奥書を有さないため明らかではなく、 元応二 (1320) 年とする説や元亨四 (1324) 年とする説がある。
元応二年とする説は、 ¬存覚一期記¼ と ¬鑑古録¼ によるものである。 すなはち、 ¬存覚一期記¼ には、 存覚上人三十一歳の条に 「仏光寺空性初参……依↢所望↡、 数十帖聖教或新草或書写、 入↢其功↡了」 とあるように、 存覚上人三十一歳の時、 すなわち元応二年に上人のもとを訪れた了源の求めにより、 存覚上人が数十帖の聖教を写し、 また撰述などして了源に授与したことが記されている。 また ¬鑑古録¼ には、 同じく存覚上人三十一歳の条に 「空性房了源初テ先師上人ヘ参謁ス……ソレヨリ段々存師ノ勧化ヲカウブリ、 時々入来セリ。 カレガ望ニマカセテ数部ノ聖教ヲ述作シタマヘリ。 即持名鈔並ニ浄土真要鈔、 諸神本懐集、 破邪顕正鈔、 辨述名体鈔、 女人往生聞書コレナリ」 との記述がある。 このように、 存覚上人が三十一歳の時に了源の所望に応じて撰述した一連の聖教の中に本書も含まれるとみれば、 本書の撰述年代は元応二年となる。
元亨四年とする説は、 ¬浄典目録¼ に列記される聖教と存覚上人撰述の聖教奥書との関連によるものである。 すなわち、 ¬浄典目録¼ に了源の所望として列挙される一連の聖教のうち ¬持名鈔¼・¬浄土真要鈔¼・破邪顕正抄¼・¬諸神本懐集¼ が何れも 「元亨四年」 の撰述とされていることを根拠に、 本書もこれらの聖教と同時期の成立とみて元亨四年とする。
なお、 撰述の背景には、 釈尊所説の一代経のうち ¬法華経¼ に説かれた 「龍女成仏」 をもって女人成仏の大道を顕示するものと主張した日蓮宗徒を意識していたとの見方もある。 そのことは、 先に述べた女人の罪障に関する問答で、 諸経論からの引文とする文言はほとんどが原典では確認できず、 実際にはその多くが日蓮の著作中で諸経論の文言として引かれるものと一致することから窺える。