本書題号にある 「如来二種廻向」 とは、 阿弥陀如来の本願力回向の内容である往相と還相の二種の回向のことであり、 本書はこの二回向について、 ¬浄土論¼ や、 ¬大経¼ 及び ¬如来会¼ の願文を引用して明らかにし、 阿弥陀仏の救済の構造を略説されたものである。
すなわち、 初めに ¬浄土論¼ 「起観生信」 の釈によって本願力の回向に往相と還相との二種の回向があることが示され、 往相回向については、 真実の行業、 真実の信心、 真実の証果があると示される。 そして ¬大経¼ 所説の四十八願のうち、 真実の行について第十七願、 真実の信について第十八願、 真実の証について第十一願の三願がそれぞれ引用され、 「これらの本誓悲願を選択本願と申すなり」 と明かされている。 また ¬大経¼ の異訳である ¬如来会¼ の第十一願文が引用され、 真実信心の念仏者を 「正定聚」、 「次如弥勒」 と讃えられている。
次に、 還相回向については、 ¬浄土論¼ 「利行満足」 の出第五門の文が引用され、 その内容を、 その後に引用された ¬大経¼ 所説の第二十二願文にもとづいて明らかにされている。
最後に 「自利利他ともに行者の願楽にあらず、 法蔵菩薩の誓願なり」 と、 自利利他ともに法蔵菩薩の誓願にもとづいていることが述べられ、 更に、 源空 (法然) 聖人の 「他力には義なきをもて義とす」 との法義が引用され、 それは全く行者のはからいではないことが示されている。
ところで、 本書には宗祖の真筆本が現存せず、 古写本もわずかに、 高田派専修寺蔵正嘉元年真仏上人書写本と愛知県上宮寺蔵室町時代初期書写本とが現存するのみである。 本書は、 江戸時代に刊行された ¬真宗法要¼ や ¬真宗仮名聖教¼ には未収録となっているものの、 その存在は、 早くから宗祖の真撰として知られていたようであり、 宝暦七 (1757) 年に刊行された ¬大谷遺法纂彙¼ には、 この ¬如来二種廻向文¼ が、 上宮寺蔵本を底本として収められている。 また万延二 (1861) 年に真宗大谷派から刊行された ¬浄土文類聚鈔 (延書)¼ にも、 付刻として収録されている。
本書の成立に関しては、 上宮寺蔵本の奥書に 「康元元年丙辰十一月廿九日/愚禿親鸞 八十四歳/書之」 と記されており、 康元元 (1256) 年の撰述であることが知られる。 またその撰述にあたっては ¬浄土三経往生文類¼ の成立との密接な関係が指摘されている。 この点について述べると、 ¬三経往生文類¼ には略本と広本との二系統が伝わるが、 略本は本派本願寺蔵親鸞聖人真筆本の奥書によると 「建長七歳乙卯八月六日/愚禿親鸞 八十三歳/書之」 とあり、 建長七 (1255) 年に撰述されたことが知られる。 一方、 広本は興正派興正寺蔵伝宗祖真筆本の奥書によると 「康元二年三月二日書写之/愚禿親鸞 八十五歳」 とあり、 康元二 (1257) 年に撰述されたことが知られる。 つまりこの ¬如来二種廻向文¼ が撰述された 「康元元年」 とは、 ¬三経往生文類¼ の略本と広本とが撰述された間の年に当たることがわかる。 そして ¬三経往生文類¼ の広略二本の内容とこの ¬如来二種廻向文¼ の内容とを比べてみると、 ¬三経往生文類¼ 広本は、 ¬三経往生文類¼ 略本とこの ¬如来二種廻向文¼ とが、 統合整理されて成ったものであることがわかるのである。 すなわち、 略本では大経往生 (難思議往生)・観経往生 (双樹林下往生)・弥陀経往生 (難思往生) との表現を用いて三種の法義が説かれているが、 大経往生 (難思議往生) を明らかにした往相回向については、 信・証の二つによって示されており、 行については言及がなく、 また還相回向についても触れられていない。 一方、 広本では本書で明かされた内容や引用が合説されて明かされており、 略本に存在しなかった引用が本書によって補われ、 往相回向は行・信・証と明かされ、 還相回向についても本書によって増補されたものとなっており、 略本よりも整備されたものとなっているのである。