¬教行信証¼ は六巻の構成で真仮偽という広い視野に立って浄土真宗の教相を明らかにし、 所依の経論釈だけでなく、 広く仏典や他の典籍まで引用しているため、 「広文類」 「広書」 と呼ばれる。 これに対して本書は、 真実の教法のみを一巻に要約して明らかにしているため、 「略文類」 「略書」 「略典」 と称される。 すなわち本書では、 ¬教行信証¼ の 「真仏土文類」 や 「化身土文類」 にあたる箇所がなく、 引用も 「浄土三部経」 及び異訳の ¬如来会¼ 「称讃浄土教¼ の五経と、 龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・善導大師の四組の論釈のみに限られている。 しかしながら、 本願力回向の往相・還相の二相と、 往相について具体的に行・信を明かして、 往因は本願を領受する三心即一の無疑の信心に帰することを説かれているところは ¬教行信証¼ と同じである。
 本書の内容は、 三法列釈と念仏正信偈の偈頌、 問答分の三段からなっている。 初めに序をおいて光明・名号摂化から起筆し 「敬信教行証」 と讃嘆して、 続く三法列釈では、 教・行・証の三法について宗義が明かされている。 すなわち教は釈尊出世の本懐である ¬大経¼ であり、 行は 「利他円満大行」 であり、 本願力回向の二相を挙げ、 往相について大行、 浄信があるとする。 第十七・十八願成就文を連引して、 大行より浄信を開き、 浄信とは 「利他深広信心」 であると示している。 この行信の因によって得る証果を 「利他円満妙果」 であると明示し、 さらに証果の悲用として還相が説示されている。
 次に三法列釈を受けて行信の二法に摂した偈頌である 「念仏正信偈」 をおく。 これは、 ¬教行信証¼ の 「正信念仏偈」 と同じく依経段、 依釈段の構成で、 六十行百二十句からなっている。
 ついで問答分では、 行信の二法を信心の一法に摂め、 三番の問答を通して信心の相を明らかにしている。 まず、 本願の三心と ¬浄土論¼ の一心について三心即一である旨を明らかにし、 ついで ¬大経¼ の三心と ¬観経¼ の三心と ¬小経¼ の一心の同異を論じ、 隠彰の立場から三経一致して往生成仏の正因は大悲回向心である、 三心即一の無疑の信心であることを明らかにしている。
 本書の撰述年代については、 宗祖の真筆本は現存しないが、 真宗大谷派蔵室町時代初期書写本の奥書には 「建長七歳七月十四日書之/愚禿釈親鸞八十三歳」 とある。 また高田派専修寺蔵真智上人書写本の奥書には 「建長四年三月四日/親鸞八十歳」 とあるとされており、 これにしたがえば、 八十歳で草稿が制作されたとみることができ、 八十三歳とは再治清書の時と考えることもできる。
 しかし、 この撰述年代には ¬教行信証¼ との関係から異論があり、 ¬教行信証¼ 以後の撰述とする広前略後説と、 以前の撰述とする略前広後説とがある。 前者は、 前掲した宗祖八十三歳の奥書や覚如上人または存覚上人の著といわれる ¬教行信証大意¼ に 「一部六巻の書をつくりて ¬教行信証文類¼ と号して、 くはしくこの一流の教相をあらはしたまへり。 しかれども、 この書あまりに広博なるあひだ、 末代愚鈍の下機においてその義趣をわきまへがたきによりて、 一部六巻の書をつゞめ肝要をぬきいでて、 一巻にこれをつくりて、 すなはち ¬浄土文類聚鈔¼ となづけられたり」 (この部分は蓮如上人の付加とされる) とある文などを論拠としている。 後者は、 三法四法や三経隠顕釈などについて、 ¬教行信証¼ のように完成されたものではなく前段階的、 草案的性格をもっているとし、 宗祖八十三歳の寿像である 「安城御影」 の讃銘や ¬尊号真像銘文¼ で釈されているのは 「正信念仏偈」 の一節であって 「念仏正信偈」 ではないこと、 また 「浄土文類聚鈔」 との名称は初期真宗においては、 ¬教行信証¼ の撰述が稿了したときに原案書である本書を 「浄土文類聚鈔」 と名づけたのではないかとする説などを論拠としている。 このように古写本の奥書や、 内容構成、 用語等にいたるまで綿密な研究がなされているが、 現段階ではいずれの説も決め手を欠いた状況である。