本書の 「尊号真像銘文」 という題号のうち、 「尊号」 「真像」 とは、 礼拝の対象となる阿弥陀仏の名号 (尊号) と、 浄土真宗伝統の先師の肖像画 (真像) のことであり、 「銘文」 とはその天・地部に書かれた経・論・釈の讃銘のことである。 すなわち本書は、 宗祖がそれらの銘文を集めて、 平易な言葉で註釈を施されたものである。
本書には二本の宗祖真筆本が現存している。 一本は一冊本であり、 奥書には 「建長七歳乙卯六月二日/愚禿親鸞 八十三歳/書写之」 とある。 もう一本は二冊本 (本・末) であり、 奥書には 「正嘉二歳戊午六月廿八日/書之/愚禿親鸞 八十六歳」 とある。 従来、 前者が一冊本、 後者が二冊本であるという形態の相違から、 それぞれを 「略本」 「広本」 と称することがあったが、 それぞれに編集意図が異なり、 単なる広略の相違ではないことから、 この解説では書写年代から、 前者を 「建長本」、 後者を 「正嘉本」 と称する。
ここで両本の体裁の違いについて触れると、 建長本では所釈となる銘文が置かれずに宗祖の註釈が始まるが、 正嘉本になると、 宗祖による註釈の前に所釈となる銘文が掲げられており、 また真像の場合は、 更にその所釈の前に 「大勢至菩薩御銘文」 「龍樹菩薩御銘文」 等と標記が置かれている。 この体裁の相違に関する理由は明らかではないが、 建長本には、 愛知県妙源寺所蔵の 「尊号真像銘」 のような銘文ばかりを集めた銘文集が添付してあったのではないかとされる。 また所釈の銘文についても、 建長本が十六文であるのに対し、 正嘉本は二十一文に及んでおり増広されている。 加えて釈の配列も、 建長本では、 源空 (法然) 聖人を讃えた 「劉官 (隆寛) 讃」 が、 善導大師を讃嘆する文の間に置かれているのに対し、 正嘉本では ¬往生要集¼ の文の後に配置されており、 明らかに建長本より整備されている。
内容は、 全般的に言えば、 冒頭に挙げる ¬大経¼ の第十八願に誓われた本願力によって、 そのような悪人も本願を信ずる一念に正定聚に住し、 往生を遂げて成仏の証果をうるという浄土真宗の肝要が、 それぞれの銘文によって様々に釈されたものであり、 またそのことを明らかにされた祖師方を讃嘆されたものである。
また宗祖が本尊として名号を依用されたことは広く知られているが、 本書冒頭の ¬大経¼ の讃銘については、 高田派専修寺蔵の黄地十字名号のものが該当する。 この讃銘は 「安城御影」 の上段讃銘と同文であり、 関係を指摘する研究もある。 一方で真像の銘についてはどの讃銘がどの真像の銘文にあたるのかは、 にわかには判断しがたい。
ところで、 宗祖が聖教を書写する際の特徴の一つに、 分別書方 (分かち書き) を用いるという点がある。 分別書方とは、 読解の便をはかって単語や文節ごとに間隔を空けて書写する書法のことであり、 一般に平安末期から鎌倉初期頃に見え始めるものとされている。 宗祖はこの方法の他にも、 間隔を空ける代りに文中に朱点を付していくという方法を取られることもあり、 用例としてはこちらの方が多い。 代表的なものとして、 前者では本派本願寺蔵の ¬唯信鈔¼、 高田派専修寺蔵 ¬唯信鈔文意¼ (正月十一日本) など、 後者では真宗大谷派蔵 ¬一念多念文意¼、 高田派専修寺蔵 ¬唯信鈔¼、 同寺蔵 ¬唯信鈔文意¼ (正月二十七日本) などを挙げることができる。