本鈔は、 覚如上人の撰述である。 覚如上人については ¬慕帰絵¼・¬最須敬重絵詞¼ を参照されたい。 題号の 「口伝」 とは、 口授伝持のことで、 口づてに師から弟子へと法義を伝える意味であり、 面授口決ともいう。
本鈔は、 冒頭に 「本願寺の鸞聖人、 如信上人に対しましまして、 をりをりの御物語の条々」 とあるように、 宗祖の明かされた真実の法義を、 本願寺第二代宗主如信上人より覚如上人が口伝えに伝授された法語を中心に集め記したものである。
本鈔の内容は、 大きく三つに分けることができる。 すなわち、 第一には源空 (法然) 聖人門下である鎮西・西山などの浄土異流に対して宗祖の一流が源空聖人の正統であることを示し、 第二には宗祖直弟の系譜を汲む各地の教団に対して大谷本願寺が一宗の根本であることを表し、 第三には真宗教義の中核が信心正因・称名報恩にあることを顕そうとしたものである。 また、 三巻二十一条から成る本鈔には、 一条ごとに宗祖の事蹟や法語、 門弟の行実などが取り上げられる。 そこには ¬歎異抄¼ や ¬恵信尼消息¼ と共通する内容がみられ、 両書の影響が指摘されている。
本鈔撰述の目的は、 大谷本願寺中心の教団形成を目指した覚如上人が、 五年前に撰述された ¬執持鈔¼ には説かなかった如信上人からの口伝相承を明かすことによって、 内外に対して ª源空-親鸞-如信º という三代伝持の血脈を主張し、 師資相承を表すことにあったと考えられる。 なお、 覚如上人に如信上人より法門の伝授があったことは ¬慕帰絵¼ 第三巻第三段に、 「弘安十年春秋十八といふ十一月なかの九日の夜、 東山の如信上人と申し賢哲にあひて釈迦・弥陀の教行を面授し、 他力摂生の信証を口伝す」 と記されてる。 宗祖が六十三歳の時に誕生した如信上人は、 幼少期よりその膝下において真宗の法義を学ばれたと考えられ、 門弟の系譜を示した ¬親鸞聖人門侶交名牒¼ においても直弟として 「奥州大網如信」 とその名前が挙げられている。
本鈔の制作の由来については、 覚如上人が自筆本の奥書に、 「元弘第一之暦 辛未 仲冬下/旬之候相当 祖師聖人/本願寺親鸞 報恩謝徳之七日七/夜勤行中談話先師上人/釈如信 面授口決之専心専/修別発願之次所奉伝持/之 祖師上人之御己証所/奉相承之他力真宗之肝/要以豫口筆令記之」 と記している。 これによれば、 元弘元 (1331) 年十一月下旬、 大谷本願寺においては、 七日七夜にわたって宗祖の報恩講が勤められ、 その期間中に覚如上人は、 如信上人が宗祖から聞いた他力真宗のいわれや肝要について口述した。 この一日三座、 全部で二十一座の法語を筆録したのが本鈔である。 ¬慕帰絵¼ や ¬最須敬重絵詞¼ によると、 この筆録を行ったのは覚如上人の門弟乗専で、 ¬浄典目録¼ にも 「口伝鈔上中下三巻 依乗専望申為彼執筆被記之」 とあるように、 本鈔はその所望に応じたものである。
また、 本鈔の古写本は数多く現存しており、 その特徴から乗専系統と覚如上人系統とに大別される。 両者の異同は各巻冒頭の首題の有無や、 第四条の 「大願業力にのりて増上縁とせざるはなしとなり」 の文の相違、 第八条の一切経校合時の幕府の人物が 「修理亮時氏」 と 「武蔵守泰時」 とで異なる点などにみられ、 調巻も上巻八条・中巻七条・下巻六条と上巻八条・中巻六条・下巻七条とで異なる。 このような異同から本鈔の成立過程については、 最初に筆録した乗専本を覚如上人が改訂し、 幾度かの書写を経て最終的な浄書を覚如上人自身が行ったのではなかと考えられている。