本書は、 本願寺第三代宗主覚如上人の撰述である。 覚如上人については ¬慕帰絵¼・¬最須敬重絵詞¼ を参照されたい。 本書は、 ¬慕帰絵¼ や ¬最須敬重絵詞¼ にあるように ¬報恩講式¼ とも示され、 単に ¬式文¼ とも略称される。 覚如上人最初の著作であり、 存覚上人の ¬嘆徳文¼ とともに、 古くから報恩講の際に諷誦されてきた。 「講式」 とは、 ¬太子講式¼ や ¬往生講式¼ などで知られるように、 仏・菩薩や祖師の徳を讃嘆する儀式の次第や表白を定めたものである。 構成上の類似点などから、 源空 (法然) 聖人の遺徳を讃嘆した ¬知恩講私記¼ にならって制作されたものともいわれている。
覚如上人はその生涯を通して宗祖の遺徳の顯彰に努められ、 その姿勢は後の著作にもみられる。 本書では宗祖の洪恩に対する深謝の意が表明されるとともに、 源空聖人の正統な継承者であることが強調されている。
その構成は、 総礼・三礼・如来唄・表白・回向から成る。 総礼とは、 声明における各作法の初めに諷誦する偈文のことで総礼頌、 総礼伽陀ともいい、 本書では ¬十二礼¼ の四句がこれにあたる。 三礼とは、 三敬礼、 三宝礼ともいい、 仏法僧の三宝帰依を述べる敬礼文、 如来唄とは、 如来の微妙身を讃嘆した文である。 表白とは、 法要の際にその趣旨を述べるもので、 本書では序としてその総意を示し、 その後の三段で宗祖の遺徳を讚仰されている。 回向とは、 最後にとなえられる文で、 本書では 「六種回向等」 とされる。
本書の中核をなす序とその後の三段では、 宗祖の遺徳を、 真宗興行の徳、 本願相応の徳、 滅後利益の徳の三つに分けて示されている。
第一段では、 宗祖の生涯について略述し、 源空聖人の正意を伝えるために浄土真宗を興行されたことが讃えられている。 宗祖は、 慈鎮和尚のもとで顕密の教えをはじめとして学び、 修行を重ねられたが、 ついに煩悩の惑いを絶つことができなかった。 しかし、 源空聖人に出あい、 聖道難行を捨て浄土易行の教えに帰入されて、 その後は関東に赴いて教化活動をされた。 こうして、 浄土真宗の教えがひろく伝えられたのは、 宗祖によることが示されている。
第二段では、 宗祖によって明らかにされた浄土真宗の教えこそ、 阿弥陀仏の本願に相応するものであることが讃えられる。 念仏修行のものは数多くいるが、 専修専念のものは稀であり、 聖道門の教えや自力の心にとらわれるものもいる。 しかし、 宗祖は他力回向の信を得て、 往生浄土の教えを人々に示された。 その教えは、 阿弥陀仏の本願、 釈尊・諸仏の教えに相応するものであることが述べられてる。
第三段では、 宗祖の教化はいよいよ盛んに人々を導くことが述べられる。 宗祖の示寂後は、 諸国から教えを受けた数多くの人々が、 追慕の念をもって廟堂を訪れ絶えることがない。 そして、 宗祖の真影を仰ぎ、 聖教を拝読して、 その教法を伝えていくことが述べられている。
本書の成立については、 それを知ることのできる覚如上人の自筆本や書写奥書が記された古写本は伝存していない。 しかし、 ¬慕帰絵¼ 第五巻第二段には、 「永仁三歳の冬応鐘中旬の候にや、 報恩謝徳のためにとて本願寺聖人の御一期の行状を草案し、 二巻の縁起を図画せしめしより以来、 門流の輩、 遠邦も近郭も崇て賞翫し、 若齢も老者も書せて安置す。 将又往年にや、 ¬報恩講式¼ といへるを作せり」 とある。 まず 「本願寺聖人の御一期の行状」、 すなわち ¬親鸞聖人伝絵¼ の記述があり、 それを受けて本書について 「。 将又往年にや」 と述べられている。 また、 本願寺第十七代宗主法如上人の命により慶証寺玄智が本願寺派の沿革を詳細に記した ¬大谷本願寺通紀¼ 第一巻には、 覚如上人の事蹟を示して 「永仁二年著報恩講式三章是年当祖師三十三回忌」 とある。 この点から ¬親鸞聖人伝絵¼ が制作された永仁三 (1295) 年の前年である宗祖三十三回忌の永仁二年 (1294) に本書が制作されたと考えられている。
なお、 真宗において 「報恩講」 の語が用いられるのは、 本書が最初である。 先の ¬慕帰絵¼ には続けて 「是も祖師聖人を嘆徳し奉れば、 遷化の日は月々の例事としていまもかならず一座を儲て三段を演るものなり」 とある。 また、 ¬最須敬重絵詞¼ 第七巻第二十六段にも 「本願寺聖人の化導の始終を記せられたる一巻の式文あり、 ¬報恩講式¼ となづく。 本所の例事として毎月の御忌に勤行せられ、 当流の聖典に加て諸国の道場にこれを安置す」 とあることから、 覚如上人の頃には、 大谷廟堂において毎月の宗祖の命日に、 本書を拝読して報恩講を勤めていたことが知られる。