高田派専修寺蔵国宝本(国宝本)は、 昭和二十八 (1953) 年十一月に国宝に指定されたことから 「国宝本」 と呼ばれる。 かつては全体にわたって宗祖の真筆とされてきた。 ところが ¬高僧和讃¼ 「源空讃」 の第十一首の 「源空ひじりとしめしつゝ」 の部分に 「グヱンクヒジリトシメシツヽトアソバシタルホンモアリ」 との校異情報が示してあり、 これが宗祖によるものとは考えにくいことと、 筆跡研究が進展したことによって、 むしろ大部分は真仏上人の筆であることが明らかとなった。 現在宗祖の真筆と認められているのは、 「浄土和讃」 との外題、 ¬浄土和讃¼ の旧表紙見返の ¬称讃浄土経¼ の文、 朱筆による顕発点や註記、 弥陀の徳号の右訓、 「勢至讃」 の右左訓の大部分、 「浄土高僧和讃」 との外題、 更には ¬正像末和讃¼ の始の九首の和讃本文、 右訓および顕発点である。
 ¬浄土和讃¼ は、 冠頭讃二首を欠き百十六首、 ¬高僧和讃¼ は 「結讃」 二首を欠き百十七首である。 ¬浄土和讃¼ ¬高僧和讃¼ については、 一連のものとして成立したと見られる。 しかし ¬浄土和讃¼ 後半にある 「現世利益讃」 と 「勢至讃」 との間に 「已上弥陀一百八首 釈親鸞作」 とあるが、 この 「一百八首」 との記述と、 奥書にある 「都合二百二十五首」 とは、 その後の 「勢至讃」 八首を含んでいない。 つまりこの 「勢至讃」 は宝治二年正月の段階では存在せず、 法治二年からあまり日を隔てない頃に加えられ、 それがこの国宝本として書写されたと推察される。 加えて 「現世利益讃」 と 「勢至讃」 は、 それまでの四行書きが、 五行書きとなって書写されており、 成立過程を知る上で注目されるところである。
 ¬正像末和讃¼ は、 三十五首を連ね、 「已上三十ママ首」 と一旦結んだ後 「夢告讃」 を含む別和讃六首があり、 総計四十一首で、 「自然法爾章」 はない。 旧表紙には 「正像末法和讃」 との外題と 「釈覚然」 との袖書があり、 真仏上人が書写して覚然に与えたものと推察される。 構成は解説で触れられている通りだが、 小口の破損や紙のやけ具合から、 もとの形態は現行とは異なり、 宗祖真筆の九首だけが独立した冊子として用いられていたのではないかとする説もある。