本書は、 元久二 (1205) 年十月に、 興福寺の上層部が朝廷へ進上した上奏文である。 起草にあたったのは、 当時の法相宗を代表する学僧の解脱房貞慶とされる。
本書の内容は、 源空 (法然) 聖人の専修念仏に対して、 全九ヶ条の過失を挙げて批判し、 その誤った教義を糾改するように求めたものである。 その九ヶ条の過失とは、 「第一立新宗失」、 「第二図新像失」、 「第三軽釈尊失」、 「第四妨万善失」、 「第五背霊神失」、 「第六暗浄土失」、 「第七誤念仏失」、 「第八損釈衆失」、 「第九乱国土失」 であり、 各条の具体的な批判内容は次の通りである。 第一条では、 一宗を立てるには、 教えの相承があり、 勅許を受けるべきであるにも関わらず、 源空聖人は勝手に浄土宗を立てたとして非難する。 第二条では、 阿弥陀仏の光明は、 行者を平等に照らすにも関わらず、 専修念仏者だけを照らす 「摂取不捨曼荼羅」 を考案して、 諸宗の人々に諸善の修行を後悔させたとして非難する。 第三条では、 諸仏の慈悲は等しく、 なかでも教主である釈尊が尊重されるべきであり、 浄土教も釈尊の経説であるにも関わらず、 専修念仏者は阿弥陀仏のみを体性として礼拝し、 あるいは弥陀の名号のみを称えているとして非難する。 第四条では、 諸行は全て釈尊の経説であり、 出離の要路であるにも関わらず、 専修念仏者はそれらを軽んじているとして非難する。 第五条では、 専修念仏者は本地垂迹をわきまえず、 神明を崇拝すれば魔界に墜ちると吹聴しているとして非難する。 第六条では、 ¬観経¼ および曇鸞大師・道綽禅師・善導大師の所説は諸行往生を許し、 実際に往生した人師がいるにも関わらず、 専修念仏者は阿弥陀仏の本願のみを憑み、 諸行を軽んじているとして非難する。 第七条では、 念仏とは、 口称のほかに観念等を含み、 勝劣の差があるにも関わらず、 専修念仏者は、 勝れた観念ではなく口称ののみが阿弥陀仏の本願所誓の念仏であるとしていると非難する。 第八条では、 戒を遵守することが浄土往生の主たる業因であるにも関わらず、 専修念仏者は破戒行為をも恐れずに振舞っているとして非難する。 第九条では、 諸宗と念仏が融和し、 仏法と王法は相互に永続するべきであるが、 専修念仏者は協調性がないと非難し、 このままでは将来的に国土は乱れ、 法滅の原因ともなると述べている。
このような非難は、 諸宗における念仏理解と、 専修念仏者の言動との相違に起因していると考えられる。 また、 その内容から、 諸宗と国家権力とが密接に関係していた様子も窺うことができる。 そして、 起草者とされる貞慶の仏教理解の一端を窺う上でも、 重要な史料と位置づけられている。
今日披閲できる本書は、 九ヶ条の過失を主文とし、 直後に副進状一通が添えられている。 そのため、 副進状までが本書の内容であるように見えるが、 様々な事情からこのような形態になったもので、 本来は別々に進上されたものであるというのが通説となっている。
本書の成立は、 「元久二年十月 日」 との年紀から、 元久二年に起草されたことがわかる。 ただし、 この年紀は、 主文と副進状のどちらに付属するものであるかは諸説ある。
本書は、 宗祖の ¬教行信証¼ 化身土巻に、 「斯以興福寺学徒、 奏↢達太上天皇 諱尊成 今上 諱為仁 聖暦、 承元丁卯歳仲春上旬之候↡」 とあることから、 古来より念仏弾圧、 殊に 「承元の法難」 のきっかけとなったものと見られてきた。 しかし、 今日では単なる宗教弾圧書ではないとの見解も提示されている。
なお、 本書には内容の大きく異なる異本が存在している。 近年、 数本伝わるうちの一本である龍谷大学図書館禿氏文庫蔵本に 「興福寺奏達状」 という内題が付されている点から、 その異本を本書の草稿本とする見解が提示された。 一方で、 それ以前から、 異本系統は構成の改竄本であるとの見解が示されている。 今日では改竄本とみる説が指示される傾向にあるようだが、 今後の更なる研究が待たれる。