0763◎興福寺奏状
◎九箇条の失の事
第一 新宗を立つる失。 第二 新像を図する失。
第三 釈尊を軽むる失。 第四 万善を妨ぐる失。
第五 霊神に背ける失。 第六 浄土に暗き失。
第七 念仏を誤れる失。 第八 釈衆を損なふる失。
第九 国土を乱るる失。
◎九箇条之失事
第一立新宗失。 第二図新像失。
第三軽釈尊失。 第四妨万善失。
第五背霊神失。 第六暗浄土失。
第七誤念仏失。 第八損釈衆失。
第九乱国土失。
興福寺の僧綱大法師等、 誠惶誠恐謹みて言す。
興福寺ノ僧綱大法師等、誠惶誠恐謹テ言。
ことに天裁を蒙りて、 ながく沙門源空勧むるところの専修念仏の宗義を糾改せられんと請ずる状。
請↠被ト↧殊ニ蒙テ↢ | 天裁ヲ↡、永ク糾↦改沙門源空 |
| 所ノ↠勧ル専修念仏ノ宗義ヲ↥状。 |
右謹みて案内を考ふるに一りの沙門あり、 世に法然と号す。 念仏の宗を立てて、 専修の行を勧む。 その詞古師に似たりといへども、 その心多く本説に乖けり。 ほぼその過を勘ふるに、 略して九箇条あり。
右謹テ考ルニ↢案内ヲ↡有↢一リノ沙門↡、世ニ号ス↢法然↡。立テ↢念仏之宗ヲ↡、勧ム↢専修之行ヲ↡。其詞雖0764↠似タリト↢古師ニ↡、其心多乖ケリ↢本説ニ↡。粗勘ニ↢其過ヲ↡、略シテ有↢九箇条↡。
一
▼第一に新宗を立つる失。
第一ニ立↢新宗ヲ↡失。
それ仏法東漸の後、 わが朝に八宗あり。 あるいは異域の神人来りて伝受し、 あるいはは本朝の高僧往きて益を請く、 時に上代の明王勅して施行し、 霊地名所縁に随ひて流布す。 それ新宗を興し一途を開くことは、 中古よりこのかた絶えて聞かず。 けだし機感すでに足り、 法将応ぜざるゆゑか。
夫仏法東漸ノ後、我朝ニ有↢八宗↡。或異域ノ神人来而伝受シ、或ハ本朝ノ高僧往而請ク↠益ヲ、于↠時上代ノ明王勅而施行シ、霊地名所随↠縁ニ流布ス。其興シ↢新宗ヲ↡開コト↢一途ヲ↡之者、中古ヨリ以降絶而不↠聞。蓋シ機感已ニ足、法将不↠応之故歟。
およそ宗を立つる法、 まづ義道の浅深を分ち、 よく教門の権実を辨へ、 浅きを引きて深きに通じ、 権を会して実に帰す。 大小前後、 文理繁しといへども、 その一法に出でず、 その一門に超えず。 かの至極を捈きて、 もつて自宗となす。 たとへば衆流の巨海に宗するがごとく、 なほ万郡の一人に朝するに似たり。 もしそれ浄土の念仏をもつて別宗と名づくれば、 一代の聖教ただ弥陀一仏の称名のみを説き、 三蔵の旨帰ひとへに西方一界の往生のみにあらんか。
凡立↠宗ヲ之法、先ヅ分チ↢義道之浅深↡、能ク辨ヘ↢教門之権実ヲ↡、引テ↠浅ヲ兮通ジ↠深ニ、会シテ↠権ヲ兮帰↠実ニ。大小前後、文理雖↠繁ト、不↠出↢其一法ニ↡、不↠超↢其一門ニ↡。捈テ↢彼至極ヲ↡、以テ為ス↢自宗ト↡。譬バ如ク↣衆流之宗↢巨海ニ↡、猶似↣万郡之朝スルニ↢一人ニ↡矣。若夫以↢浄土ノ念仏ヲ↡名↢別宗ト↡者、一代ノ聖教唯説キ↢弥陀一仏之称名ノミヲ↡、三蔵ノ旨帰偏ニ在ラン↢西方一界之往生ノミニ歟。
いま末代に及びてはじめて一宗を建てしむるは、 源空それ伝灯の大祖か。 あに百済の智鳳・大唐の鑑真のごとく、 千代の軌範と称す。 なんぞ高野の弘法・叡山の伝教に同じて、 万葉の昌栄あるものか。 もし古より相承していまに始めずとならば、 たれの聖哲に逢ひてまのあたり口択を受け、 いくばくの内証をもつて示導を教誡するや。
今及テ↢末代ニ↡始テ令ル↠建↢一宗ヲ↡者、源空其伝灯之大祖歟。豈如ク↢百済智鳳・大唐ノ鑑真↡、称ス↢千代之軌範ト↡。寧同↢高野ノ弘法・叡山ノ伝教ニ↡、有↢万葉之昌栄↡者乎。若自↠古ヘ相承シテ不トナラ↠始↠于↠今者、逢テ↢誰ノ聖哲ニ↡面リ受ケ↢口択ヲ↡、以↢幾ノ内証ヲ↡教↢誡示導ヲ↡哉。
たとひ功あり徳ありといへども、 すべからく公家に奏してもつて勅許を待つべし。 わたくしに一宗と号する、 はなはだもつて不当なり。
縦雖↢有リ↠功有ト↟徳、須奏シテ↢公家ニ↡以テ待ベシ↢勅許ヲ↡。私ニ号スル↢一宗ト↡、甚以不当ナリ。
二
第二に新像を図する失。
第二ニ図スル↢新像ヲ↡失。
このごろ諸所に一つの画図を翫ぶ、 世に摂取不捨の曼荼羅と号す。 弥陀如来の前に衆多の人あり、 仏、 光明を放つ。 その種々の光、 あるいは枉げて横に照し、 あるいは来りてもとに返る。 これ顕宗の学生・真言の行者を本となす。 そのほか諸経を持し神呪を誦し、 自余の善根を造する人なり。 その光の照すところは、 ただ専修念仏の一類のみなり。
近来諸所ニ翫ブ↢一ノ画 ヱ 図 ヅ ヲ↡、世ニ号ス↢摂取不捨ノ曼荼羅ト↡。弥陀如0765来之前ニ有リ↢衆多人↡、仏放ツ↢光明ヲ↡。其種々ノ光、或ハ枉ゲテ而横ニ照シ、或ハ来而返ル↠本ニ。是顕宗ノ学生・真言ノ行者ヲ為ス↠本ト。其外持シ↢諸経ヲ↡誦シ↢神呪ヲ↡、造スル↢自余ノ善根ヲ↡之人也。其光ノ所ハ↠照、唯専修念仏ノ一類ノミ也。
地獄の絵像を見るもの、 罪障を作ることを恐る。 この曼荼羅を見るもの、 諸善を修することを悔ゆ。 教化の趣、 多くもつてこの類なり。 上人いはく、 「念仏衆生摂取不捨」 (観経) は経文なり、 われまつたく過なしと 云々。
見ル↢地獄ノ絵像ヲ↡之者、恐ル↠作コトヲ↢罪障ヲ↡。見ル↢此曼荼羅↡之者、悔ユ↠修コトヲ↢諸善ヲ↡。教化之趣、多以此類也。上人云、「念仏衆生摂取不捨」者経文也、我全ク無ト↠過 云々。
この理しからず。 ひとへに余善を修して、 まつたくに弥陀を念ぜざれば、 まことに摂取の光に漏るべし。 すでに西方を欣ひまた弥陀を念ずる、 なんぞ余行をもつてのゆゑに大悲の光明を隔てんや。
此理不↠然。偏ニ修シテ↢余善ヲ↡、全ニ不↠念↢弥陀ヲ↡者、実ニ可↠漏↢摂取ノ光ニ↡。既欣ヒ↢西方ヲ↡亦念ズル↢弥陀ヲ↡、寧以ノ↢余行ヲ↡故隔テン↢大悲ノ光明ヲ↡哉。
三
第三に釈尊を軽むる失。
第三ニ軽ムル↢釈尊ヲ↡失。
それ三世の諸仏慈悲均しといへども、 一代の教主恩徳独り重し。 心あらんもの、 たれかこれを知らざらん。 ここに専修 「身に余仏を礼さず、 口に余号を称せず」 (楽邦文類巻四意) といふ。 その余仏・余号とは、 すなはち釈伽等の諸仏なり。
夫三世ノ諸仏慈悲雖↠均シト、一代ノ教主恩徳独リ重シ。有ラン↠心之者、誰カ不↠知↠之ヲ。爰専修云↧「身ニ不↠礼↢余仏ヲ↡、口ニ不ト↞称↢余号ヲ↡。」其余仏・余号ト者、即釈伽等ノ諸仏也。
専修の専修といふは、 汝はたれが弟子ぞ。 たれ教ふる、 かの弥陀の名号ぞ。 たれ示す、 その安養浄土。 憐むべし、 末生本師の名を忘れたり。 かの覚親論師・法愛沙門この咎に及ばざるうへ、 なほ大聖の呵を蒙るものか。
専修ノ専修トイハ、汝ハ誰ガ弟子ゾ。誰教ル、彼ノ弥陀ノ名号ゾ。誰示、其安養浄土。可↠憐、末生忘タリ↢本師ノ名ヲ↡。彼覚親論師・法愛沙門不ルウヘ↠及↢此咎↡、尚蒙ル↢大聖ノ呵ヲ者歟。
善導 ¬礼讃¼ の文 (意) にいはく、 「南無釈伽牟尼仏等一切三宝。 我今稽首礼。 南無十方三世尽虚空遍法界微塵刹土中一切三宝。 我今稽首礼」 と。 云々 和尚の意趣、 これをもつてを知りぬべし。
善導¬礼讃ノ¼文ニ云、「南無釈伽牟尼仏等一切三宝。我今稽首礼。南無十方三世尽虚空遍法界微塵刹土中一切三宝。我今稽首礼。」云々 和尚ノ意趣、以↠之ヲ可↠知ヌ。
衆僧なほ帰命す、 いはんや諸仏においてをや。 諸仏なほ簡ばず、 いはんや本師においてをや。
衆僧猶帰命ス、況於テヲ↢諸仏ニ↡哉。諸仏尚不↠簡、況0766於↢本師ニ↡哉。
四
▼第四に万善を妨ぐる失。
第四ニ妨↢万善ヲ↡失。
およそ恒沙の法門機を待ちて開けて、 甘露の良薬縁に随ひて授く。 みなこれ釈伽大師、 無量劫のなかに難行苦行して得るところの正法なり。
凡恒沙ノ法門待テ↠機ヲ而開テ、甘露ノ良薬随↠縁ニ而授ク。皆是釈伽大師、無量劫ノ中ニ難行苦行シテ所ノ↠得正法也。
いま一仏の名号を執して、 すべて出離の要路を塞ぐ。 ただ自行のみにあらずあまねく国土を誡め、 ただ棄置するのみにあらずあまつさへ軽賎に及ぶ。 しかるあひだ浮言雲のごとく興り、 邪執泉のごとく涌く。 あるいは ¬法花経¼ を読むもの地獄に堕つといひ、 あるいはいふ ¬法花¼ を受持して浄土の業因といふものは、 これ謗大乗の人なりと 云々。
今執テ↢一仏之名号ヲ↡、都ベテ塞グ↢出離之要路ヲ↡。不↢唯自行ノミニ↡普ク誡メ↢国土ヲ↡、不↢唯棄置スルノミニ↡剰及ブ↢軽賎ニ↡。而間浮言ウツヲゴト雲ノ如ク興リ、邪執泉ノ如涌ク。或ハ云イ↧読↢¬法花経ヲ¼↡之者堕ト↦地獄ニ↥、或ハ云受↢持シテ¬法花ヲ¼↡浄土ノ業因ト云者ハ、是謗大乗人也 云々。
もと八軸・十軸を誦し千部・万部に及ぶ人、 この説を聞きてながくもつて廃退す。 あまつさへ前の非を悔ゆ。 捨つるところのもとの行ひ、 宿習まことに深く、 企つるところの念仏、 薫修いまだ積まず、 中途の仰天歎息のもの多し。
本誦シ↢八軸・十軸ヲ↡及↢千部・万部ニ↡之人、聞テ↢此説ヲ↡永以テ廃退ス。剰悔↢前非ヲ↡。所ノ↠捨ル本行ヒ、宿習実ニ深ク、所ノ↠企念仏、薫修未↠積、中途ノ仰天歎息ノ者多矣。
このほか花厳・般若の帰依、 真言・止観の結縁、 十の八、 九はみなもつて棄置す。 堂塔建立・尊像造図のごときをば、 これを軽めこれを笑ふこと、 土のごとく沙のごとし。 福恵ともに闕け、 現当憑少し。
此外花厳・般若之帰依、真言・止観之結縁、十之八、九ハ皆以棄置ス。如ヲバ↢堂塔建立・尊像造図ノ↡、軽メ↠之笑ウコト↠之、如ク↠土ノ如シ↠沙ノ。福恵共ニ闕ケ、現当憑少シ。
上人は智者なり、 みづからはさだめて謗法の心なきか。 ただし門弟のなかに、 その実知りがたし。 愚人に至りては、 その悪少からず、 根本枝末、 おそらくはみな同類なり。
上人者智者也、自ハ定テ無↢謗法ノ心↡歟。但門弟之中ニ、其実難↠知。至↢愚人ニ↡者、其悪不↠少、根本枝末、恐ハ皆同類也。
昔信行禅師の三階の行業を立てて、 孝慈比丘の一乗の読誦を止めし、 まつたくに大乗を軽めず。 末世の機を量りて、 その行を制止す。 しかれども信行大蛇身となりて、 百千の徒衆その口中に住し、 孝慈鬼神の害に当たりて、 士人同類たちまちに高座の下に臥す。
昔信行禅師之立テ↢三階ノ行業↡、孝慈比丘之止シ↢一乗ノ読誦ヲ↡、全ニ不↠軽↢大乗↡。量テ↢末世ノ機ヲ↡、制↢止ス其行ヲ↡。然レドモ信行成テ↢大蛇身ト↡、百千ノ徒衆住シ↢其口中ニ↡、孝慈当テ↢鬼神之害ニ↡、士人同類忽ニ臥ス↢高座下ニ↡。
大乗を謗ずる業、 罪のなかにも最大なり。 五逆罪といへども、 また及ぶことあたはず。 これをもつて弥陀の悲願引摂広しといへども、 誹謗正法捨てて救ふことなし。 ああ西方の行者、 馮むところたれにあるぞや。
謗ズル↢大乗ヲ↡業、罪ノ中ニモ最大ナリ。雖↢五0767逆罪ト↡、復不↠能↠及コト。是以弥陀ノ悲願引摂雖↠広ト、誹謗正法捨而無↠救コト。於戯西方ノ行者、所↠馮在ゾ↠誰ニ乎。
五
▼第五に霊神に背ける失。
第五ニ背↢霊神ニ↡失。
念仏の輩、 ながく神明を別る、 権化・実類を論ぜず、 宗廟・大社を憚らず。 もし神明を牒めば、 かならず魔界に堕すと 云々。
念仏之輩、永別ル↢神明ヲ↡、不↠論↢権化・実類ヲ↡、不↠憚↢宗廟・大社ヲ↡。若牒メバ↢神明ヲ↡、必堕ト↢魔界ニ↡ 云々。
実類の鬼神においては、 置きて論ぜず。 権化の垂迹に至りては、 これ大聖なり、 上代の高僧みなもつて帰敬す。 かの伝教宇佐の宮に参り、 春日社に参りて、 おのおの奇特の瑞相あり。 智証熊野山に詣でて、 新羅の神を請じて、 深く門葉の繁昌を祈る。 行教和尚の袈裟の上に三尊影を宿し、 弘法大師の画図のなかに八幡質を顕す。 これみな法然に及ばざる人か、 魔界に堕すべき僧か。
於↢実類ノ鬼神ニ↡者、置而不↠論。至↢権化ノ垂迹ニ↡者、是大聖也、上代ノ高僧皆以帰敬ス。彼伝教参↢宇佐ノ宮ニ↡、参テ↢春日社ニ↡、各有↢奇特之瑞相↡。智証詣テ↢熊野山ニ↡、請ジテ↢新羅ノ神ヲ↡、深祈↢門葉之繁昌ヲ↡。行教和尚ノ袈裟之上ニ三尊宿シ↠影ヲ、弘法大師ノ画図中ニ八幡顕ス↠質ヲ。是皆不↠及↢法然ニ↡之人歟、可↠堕↢魔界ニ↡之僧歟。
なかんづく行教和尚、 大安寺に帰りて二階の楼を造りて、 上階に八幡の御体を安じ、 下階に一切経論を持す。 神明もし拝するに足らざれば、 いかんぞ聖体を法門の上に安ずるや。
就↠中行教和尚、帰テ↢大安寺ニ↡造テ↢二階ノ楼ヲ↡、上階ニ安ジ↢八幡ノ御体ヲ↡、下階ニ持ス↢一切経論ヲ↡。神明若不↠足↠拝ニ者、如何安↢聖体於法門之上ニ↡哉。
末世の沙門なほ君臣を敬す、 いはんや霊神においてをや。 かくのごときの麁言、 もつとも停廃せらるべし。
末世ノ沙門猶敬ス↢君臣ヲ↡、況於テ↢霊神ニ↡哉。如ノ↠此麁言、尤可↠被↢停廃↡。
六
▼第六に浄土に暗き失。
第六ニ暗キ↢浄土ニ↡失。
¬観無量寿経¼ (意) を勘ふるにいはく、 「一切の凡夫かの国に生ぜんと欲はんものは、 まさに三業を修すべし。 一には父母に孝養し、 師長に奉事し、 慈心にして殺さず、 十善業を修す。 二には三帰を受持し、 衆戒を具足して、 威儀を犯さず。 三には菩提心を発して、 深く因果を信じ、 大乗を読誦すべし」 と。 云々 また九品生のなかに上品上生を説きて、 「もろもろの戒行を具し、 読誦大乗」 といひ、 中品下生は、 「孝養父母、 行世仁慈」。 云々
勘ニ↢¬観無量寿経ヲ¼↡云、「一切ノ凡夫欲↠生ト↢彼国ニ↡者、当↠修↢三業ヲ↡。一者孝↢養シ父母ニ↡、奉↢事シ師長ニ↡、慈心不↠殺、修↢十善業ヲ↡。二者受↢持シ三帰ヲ↡、具↢足シテ衆戒ヲ↡、不↠犯↢威儀ヲ↡。三者発シテ↢菩提心ヲ↡、深信ジ↢因果ヲ↡、読↢誦スベシ大乗ヲ↡。」云々 又0768九品生ノ中ニ説↢上品上生ヲ↡、云↧「具シ↢諸ノ戒行ヲ↡、読誦大乗ト↥」、中品下生ハ、「孝養父母、行世仁慈。」云々
曇鸞法師は念仏の大祖なり。 往生の上輩において五種の縁を出だせり。 その四 (略論) に 「修諸功徳」 といひ、 中輩の七縁のなかに、 「起塔寺、 飯食沙門」。 云々 また道綽禅師常修念仏三昧の文 (安楽集巻下) を会していはく、 「念仏三昧を行ふこと多きがゆゑに。 常修といふ。 まつたくに余の三昧を行ぜずといふにあらざるなり」 と。 云々 善導和尚は、 「見るところの塔寺、 修葺せずといふことなし。」 (端応伝)
曇鸞法師者念仏ノ大祖也。於↢往生ノ上輩ニ↡出セリ↢五種ノ縁ヲ↡。其四云↢「修諸功徳」↡、中輩ノ七縁之中ニ、「起塔寺、飯食沙門。」云々 又道綽禅師会シテ↢常修念仏三昧ノ文ヲ↡云、「行コト↢念仏三昧ヲ↡多ガ故。言フ↢常修ト↡。非ル↠謂↢全ニ不ト↟行↢余ノ三昧ヲ↡也。」云々 善導和尚者、「所ノ↠見塔寺、無↠不ト云コト↢修葺↡。」
しかれば上三部の本経より下一宗の解釈に至るまで、 諸行往生盛んに許すところなり。 しかのみならず曇融橋を亘し、 善晟路を造り、 常旻堂を修し、 善曽坊を払ひ、 空忍花を採み、 安忍香を焼き、 道如食を施し、 僧慶衣を縫ふ。 おのおの事相の一善をもつて、 みな順次の往生を得。 僧喩の阿含を持し、 行衍の ¬摂論¼ を講ぜん、 小乗の一経といへども、 凡智の講解といへども、 おのおの感応あり、 まことに浄土に詣す。
然者上自↢三部之本経↡下至マデ↢一宗之解釈ニ↡、諸行往生盛ニ所↠許也。加↠之曇融亘シ↠橋ヲ、善晟造リ↠路ヲ、常旻修シ↠堂ヲ、善曽払ヒ↠坊ヲ、空忍採ミ↠花ヲ、安忍焼キ↠香ヲ、道如施シ↠食ヲ、僧慶縫↠衣ヲ。各以↢事相ノ一善ヲ↡、皆得↢順次ノ往生ヲ↡。僧喩之持シ↢阿含ヲ↡、行衍之講ゼン↢¬摂論¼↡、雖↢小乗一経↡、雖↢凡智ノ講解↡、各有↢感応↡、実ニ詣ス↢浄土ニ↡。
沙門道俊は、 念仏隙なくして ¬大般若¼ を書せず。 覚親論師は、 専修ほかを忘れて釈迦の像を造らず。 みな往生の願を妨げ、 大聖の誡を蒙る。 ながくその執を改めて、 つひに西方に生ず。 まさに知るべし余行によらず念仏によらず、 出離の道、 ただ心にあり。
沙門道俊者、念仏無シテ↠隙不↠書↢¬大般若ヲ¼↡。覚親論師者、専修忘テ↠他ヲ不↠造↢釈迦ノ像ヲ↡。皆妨ゲ↢往生ノ願ヲ↡、蒙ル↢大聖ノ誡ヲ↡。永改テ↢其執ヲ↡、遂ニ生ズ↢西方ニ↡。当ニ↠知不↠依↢余行ニ↡不↠依↢念仏ニ↡、出離之道、只在↢于心↡矣。
もしそれ ¬法花¼ (巻六薬王品) に 「即往安楽」 の文ありといへども、 般若に 「随願往生」 の説ありといへども、 かれなほ総相なり、 少分なり。 別相の念仏にしかず、 決定の業因に及ばずとならば、 総はすなはち別を摂め、 上はかならず下を兼ぬ。 仏法の理、 その徳必然なり、 なんぞ凡夫親疎の習をもつて、 誤ちて仏界平等の道を失せんや。
若夫¬法花ニ¼雖↠有ト↢「即往安楽ノ」文↡、般若ニ雖↠有ト↢「随願往生」之説↡、彼猶総相也、少分也。不↠如↢別相ノ念仏ニ↡、不トナラ↠及↢決定ノ業因ニ↡者、総ハ則摂メ↠別ヲ、上ハ必兼↠下ヲ。仏法之理、其0769徳必然ナリ、何以テ↢凡夫親疎之習ヲ↡、誤テ失ヤ↢仏界平等之道ヲ↡。
もし往生浄土は、 行者の自力にあらずば、 ただ弥陀の願力を憑む。 余経・余業においては、 引摂の別縁なく来迎の別願なくは、 念仏の人に対するに及ぶことあたはざるもの、 弥陀の所化となして来迎に預るべし。 あに異人や、 この人なり。 釈迦の遺法に逢ひて大乗の行業を修す、 すなはちその体なり。 もしかの尊に帰せずは、 まことに無縁といふべし。
若往生浄土者、非↢行者之自力ニ↡者、只憑ム↢弥陀之願力ヲ↡。於ハ↢余経・余業ニ↡者、無ク↢引摂ノ別縁↡無クハ↢来迎ノ別願↡、於対ルニ↢念仏ノ人ニ↡不↠能↠及コト者、為シテ↢弥陀ノ所化ト↡可↠預↢来迎ニ↡。豈異人哉、是ノ人也。逢テ↢釈迦之遺法ニ↡修ス↢大乗ノ行業ヲ↡、即其体也。若不↠帰↢彼尊ニ↡者、実ニ可↠謂↢無縁ト↡。
もし念仏を兼ねずは、 しばらく闕業たるべし。 すでに二辺を兼ねたり、 なんぞ引摂に漏れん。 もし専念なきゆゑに往生せずとならば、 智覚禅師は毎日に一百箇の行を兼修せり、 なんぞ上品上生を得たるや。 およそ造悪の人は、 救ひがたくしてほしいままに救ふ。 口称の小善は、 生じがたくして倶に生ず。 「乃至十念」 (大経巻上大経巻下) の文、 その意知るべし。
若不↠兼↢念仏ヲ↡者、且可↠為↢闕業↡。既兼タリ↢二辺ヲ↡、何漏レン↢引摂ニ↡。若無↢専念↡故ニ不トナラ↢往生↡者、智覚禅師ハ毎日ニ兼↢修セリ一百箇之行ヲ↡、何得タル↢上品上生ヲ↡哉。凡造悪人者、難↠救而恣救。口称小善者、難↠生而倶ニ生ズ。「乃至十念」之文、其意可↠知。
しかるに近代の人、 あまつさへ本を忘れて末につき、 劣を馮みて勝を欺く。 なんぞ仏意に叶はんや。 かの帝王政ごとを布く庭、 天に代つて官を授くる日、 賢愚品に随ひ、 貴賎家を尋ぬ。 至愚のもの、 たとひ夙夜の功ありといへども、 非分の職に任ぜず。 下賎の輩、 たとひ奉公の労を積むといへども、 卿相の位に進みがたし。 大覚法王の国、 凡聖来朝の門、 かの九品の階級を授くるに、 おのおの先世の徳行を守る。 自業自得、 その理必然なり。
而近代之人、剰忘↠本ヲ而付キ末ニ、馮↠劣ヲ而欺ク↠勝ヲ。寧叶↢仏意ニ↡哉。彼帝王布ク↠政ゴトヲ之庭、代ツテ↠天ニ授クル↠官ヲ之日、賢愚随ヒ↠品ニ、貴賎尋↠家ヲ。至愚之者、縦雖↠有ト↢夙夜之功↡、不↠任↢非分之職ニ↡。下賎之輩、縦雖↠積ト↢奉公之労ヲ↡、難↠進↢卿相之位ニ↡。大覚法王之国、凡聖来朝之門、授ルニ↢彼九品之階級ヲ↡、各守ル↢先世之徳行ヲ↡。自業自得、其理必然ナリ。
しかるにひとへに仏力を馮みて涯分を測らざる、 これすなはち愚痴の過なり。 なかんづく仮名念仏の浄業熟しがたく、 順次往生の本意遺失あり。 戒恵倶に闕く、 所恃何事や。 もし生々を経てやうやく成就すべきとならば、 一乗の薫修・三密の加持、 なんぞまたその力なきや。 同じく沈むといへども愚団は深く沈み、 共に浮かむといへども智鉢は早う浮かむ。 いはんや智の行を兼ぬるは、 虎の翅あるなり。 一をもつて多を遮す、 仏よろしく照見すべし。
而ニ偏ニ馮テ↢仏力ヲ↡不ル↠測↢涯分ヲ↡、是則愚痴之過也。就↠中仮名念仏ノ浄業難ク↠熟シ、順次往生ノ本意有↢遺失↡。戒恵倶ニ闕ク、所恃何事哉。若経テ↢生々ヲ↡漸ク可ト↢成就↡者0770、一乗ノ薫修・三密ノ加持、何亦無↢其力↡哉。同ク雖↠沈ト愚団者深沈、共ニ雖↠浮ト智鉢ハ早浮ム。況智之兼ハ↠行ヲ、虎之有↠翅也。以↠一ヲ遮ス↠多ヲ、仏宜ク↢照見↡。
ただしかくのごときの評定、 もとより専修の党類を好まず。 謬りて井蛙の智をもつて、 みだりがはしく海虌の徳を斥ふあひだ、 黙して止みがたし、 つひに天奏に及ぶ。
但如ノ↠此評定、自↠本不↠好↢専修ノ党類↡。謬テ以↢井蛙之智ヲ↡、猥ク斥ウ↢海虌ミヅチ之徳ヲ↡之間、黙シテ而難↠止ミ、遂ニ及↢ 天奏ニ↡。
もし愚痴の道俗この意を得ず、 あるいは往生の道を軽め、 あるいは念仏の行を退け、 あるいはまた余行を兼ねずして、 浄土に生ずることなしとは、 まつたくに本懐にあらず、 還りて禁制すべし。 たとひまたこの事によりて念仏の瑕瑾となすといへども、 その軽重を比ぶるになほ宣下にしかざるか。
若愚痴ノ道俗不↠得↢此意ヲ↡、或軽メ↢往生之道ヲ↡、或退ケ↢念仏之行ヲ↡、或又不シテ↠兼↢余行ヲ↡、無ト↠生ズルコト↢浄土ニ↡者、全ニ非↢本懐ニ↡、還テ可↢禁制↡。縦又依テ↢此事ニ↡雖↠為↢念仏ノ瑕瑾↡、比ニ↢其軽重ヲ↡猶不↠如↢宣下ニ↡歟。
七
第七に念仏を誤れる失。
第七ニ誤↢念仏ヲ↡失。
まづ所念の仏において、 名あり体あり。 その体のなかに事あり理あり。 次に能念の相につきて、 あるいは口称、 あるいは心念。 かの心念のなか、 あるいは繋念、 あるいは観念。 かの観念のなか、 散位より定位に至り、 有漏より無漏に及びて、 浅深重々、 前劣後勝なり。
先於↢所念ノ仏ニ↡、有↠名有↠体。其体ノ中ニ有↠事有↠理。次付テ↢能念之相ニ↡、或口称、或心念。彼心念ノ中、或繋念、或観念。彼観念ノ中、自↢散位↡至リ↢定位ニ↡、自↢有漏↡及テ↢無漏ニ↡、浅深重々、前劣後勝ナリ。
しかれば口に名号を唱ふるは、 観にあらず定にあらず、 これ念仏のなかの麁なり、 浅なり。 もし世に随ひ人によりて、 これまた足るといへども、 まさしく校量に及ばば、 いかでか差別を辨へざる。 ここに専修かくのごときの難を蒙らん時、 万事を顧ず、 ただ一言に答へん、 これ弥陀の本願に四十八あり、 念仏往生第十八の願なり。 なんぞそこばくの大願を隠して、 ただ一種をもつて本願と号せんや。
然者口ニ唱ハ↢名号ヲ↡、不↠観ニ不↠定ニ、是念仏之中ノ麁也、浅也。若随↠世ニ依テ↠人ニ、此又雖↠足ト、正ク及↢校量ニ↡者、争カ不↠辨↢差別ヲ↡。爰専修蒙ラン↢如ノ↠此難ヲ↡之時、不↠顧↢万事ヲ↡、只答エン↢一言ニ↡、是弥陀ノ本願ニ有↢四十八↡、念仏往生第十八ノ願也。何隠テ↢爾許ノ大願ヲ↡、唯以↢一種↡号セン↢本願ト↡哉。
かの一願につきて、 「すなはち十念に至る」 (大経巻上) は、 その最下を挙ぐるなり。 観念をもつて本とし下口称に及び、 多念をもつて先となして十念を捨てず。 これ大悲のいたりて深く、 仏力のもつとも大なるなり。 それ導きやすく生じやすきは観念なり、 多念なり。
付テ↢彼一願ニ↡、「乃至↢十念ニ↡」者、挙ル↢其最下ヲ↡也。以テ↢観念ヲ↡為↠本ト下及ビ↢口称ニ↡、以↢多念ヲ↡為テ↠先ト不↠捨↢十念ヲ↡。是大悲ノ至テ深ク、仏力ノ尤大ナル也。其易0771↠導易↠生者観念也、多念也。
これによりて ¬観経¼ (意) にいはく、 「もし人苦迫に念仏を得ずは、 まさに無量寿仏と称ふべし」 と。 云々 すでに称名のほかに念仏の言あり。 知りぬその念仏はこれ心念なり、 観念なり。 かの勝劣両種のなかに、 如来の本願なんぞ勝を置きて劣を取らんや。
依↠之¬観経ニ¼云、「若人苦迫ニ不ハ↠得↢念仏ヲ↡、応↠称↢無量寿仏ト↡。」云々 既称名之外ニ有↢念仏ノ言↡。知ヌ其ノ念仏ハ是心念也、観念也。彼勝劣両種之中ニ、如来本願寧置テ↠勝ヲ而取ラン↠劣ヲ哉。
いかにいはんや善導和尚発心のはじめ、 浄土の図を見て嘆じて (端応伝) いはく、 「ただこの観門、 さだめて生死を超えん」 と。 つひにこの道に入りて三昧を発得せん。 さだめて知りぬかの師の自行十六想観なり。 念仏の名観と口とを兼ぬ。 もししからざれば、 ¬観経の疏¼ を作り、 また ¬観念法門¼ を作る。 本経といひ別草といひ、 題目になんぞ観の字を表せんや。
何況善導和尚発心之初、見テ↢浄土ノ図ヲ↡嘆テ云、「唯此観門、定テ超ム↢生死ヲ↡。」遂ニ入テ↢此道ニ↡発↢得セン三昧ヲ↡。定テ知ヌ彼師ノ自行十六想観也。念仏之名兼↢観与口↡。若不↠然者、作リ↢¬観経ノ疏ヲ¼↡、亦作ル↢¬観念法門¼↡。云↢本経ト↡云↢別草ト↡、題目ニ何表セン↢観ノ字ヲ↡哉。
しかるに ¬観経¼ 付属の文、 善導一期の行、 ただ仏名にあることは下機を誘ふる方便なり。 かの師の解釈の詞に表裏あり、 慈悲・智恵、 善巧一にあらず。 杭を守る党、 過を祖師に開するか。 誤りてまた口称につくといへども、 三心よく具し、 四修闕くることなき、 真実の念仏の名を専修とすべし。 ただ余行を捨つるをもつて専となし、 口手を動かすをもつて修とするは、 いふべし、 不専の専なり、 非修の修なり。 虚仮雑毒の行を憑み決定往生の思を作さば、 なんぞ善導の宗、 弥陀の正機ならんや。
而¬観経¼付属之文、善導一期之行、唯在コト↢仏名ニ↡者誘フル↢下機ヲ↡之方便也。彼師ノ解釈ノ詞ニ有↢表裏↡、慈悲・智恵、善巧非↠一ニ。守ル↠杭ヲ党、開スル↢過於祖師ニ↡歟。誤亦雖↠付ト↢口称ニ↡、三心能具シ、四修無キ↠闕コト、真実ノ念仏ノ名ヲ為ベシ↢専修ト↡。只以テ↠捨ヲ↢余行ヲ↡為シ↠専ト、以テ↠動スヲ↢口手ヲ↡為ルハ↠修ト、可↠謂、不専之専也、非修之修也。憑↢虚仮雑毒之行↡作サバ↢決定往生之思ヲ↡、寧善導之宗、弥陀之正機ナラン哉。
およそ浄土といひ念仏といひ、 業因といひ往生といふ、 江湖の浅深分ちがたく、 行道の遠近迷ひやすし。 もし諸宗の性相を学せざれば、 いかでかたやすく一門の真実を知らんや。 ここにわが法相大乗宗は、 源釈尊・慈尊の肝心より出でて、 つまびらかに本経・本論の誠文を載す。 印度にはすなはち千部の論師・十大菩薩有空の執を立破し、 震旦にはまた三蔵和尚・百本の疏主相承謬ることなし。
凡云↢浄土↡云↢念仏ト↡、云↢業因ト↡云↢往生ト↡、江湖之浅深難ク↠分、行道之遠近易シ↠迷。若不↠学↢諸宗之性相ヲ↡者、争輒ク知ラン↢一門之真実ヲ↡哉。爰我法相大乗宗者、源出テ↢釈尊・慈尊之肝心ヨリ↡、詳ニ載ス↢本経・本論之誠文ヲ↡。印度ニハ則千部論師0772・十大菩薩立↢破シ有空ノ執ヲ↡、震旦ニハ亦三蔵和尚・百本ノ疏主相承無↠謬コト。
道綽・善導の説たりといへども、 いまだ依馮に足らず。 しかれどもかれまた三昧発得の人なり、 あに一生補処の説に背かんや。 互に会通を求めて乖諍を好むことなかれ。
雖ドモ↢道綽・善導ノ説タリト↡、未↠足↢依馮ニ↡。然レ而彼亦為↢三昧発得之人↡、豈背カンヤ↢一生補処之説ニ↡。互ニ求テ↢会通ヲ↡勿↠好コト↢乖諍ヲ↡。
八
▼第八に釈衆を損ふる失。
第八ニ損ル↢釈衆ヲ↡失。
専修にいふ、 「囲基・双六専修に乖かず、 女犯・肉食は往生を妨げず。 末世の持戒は市中の虎なり、 恐るべし悪むべし。 若人罪を怖れ悪を憚るは、 これ仏を馮まざる人なり」 と。 かくのごときの麁言国土に流布して、 人の意を取らんがため還りて法の怨となる。
専修ニ云、「囲基・双六不↠乖↢専修ニ↡、女犯・肉食ハ不↠妨↢往生ヲ↡。末世ノ持戒ハ市中ノ虎也、可↠恐可↠悪。若人怖レ↠罪ヲ憚ルハ↠悪ヲ、是不↠馮↠仏ヲ之人也。」如ノ↠此麁言流↢布シテ国土↡、為↠取ンガ↢人ノ意ヲ↡還成ル↢法ノ怨ト↡。
それ極楽の教門さかんに戒行を勧む、 浄土の業因これをもつて最とす。 ゆゑはいかんとならば、 戒律にあらざれば六根守りがたく、 根門をほしいままにすれば三毒起りやすし。 妄縁身に纏れば念仏の窓静かならず、 貪瞋心を濁せば宝池の水澄みがたし。 この業の感ずるところ、 あにそれ浄土ならんや。 これによりて浄土の業因、 さかんに戒行を用ふ。 教文上に載するごとし。
夫極楽ノ教門盛ニ勧↢戒行ヲ↡、浄土ノ業因以テ↠之ヲ為↠最ト。所以者何ナラバ、非レ↢戒律ニ↡者六根難ク↠守、恣ニスレバ↢根門ヲ↡者三毒易シ↠起リ。妄縁纏ルレバ↠身ニ念仏之窓不↠静ナラ、貪瞋濁セバ↠心ヲ宝池之水難シ↠澄。此業ノ所↠感ズル、豈其浄土ナラン哉。依↠之浄土ノ業因、盛ニ用フ↢戒行ヲ↡。教文如シ↢上載↡。
ただし末世の沙門、 無戒・破戒、 自他許すところなり。 専修のなかにまた持戒の人なきにあらず。 いま歎くところはまつたくその儀にあらず。 実のごとくに受けずといへども、 説のごとくに持せずといへども、 これを怖れこれを悲しみて、 すべからく慚愧の処に生ずべし、 あまつさへ破戒を宗となして、 道俗の心に叶ふ。 仏法の滅する縁、 これより大なるはなし。
但末世ノ沙門、無戒・破戒、自他所↠許也。専修之中ニ亦持戒ノ人非↠無ニ。今所↠歎者全ク非ズ↢其儀ニ↡。雖↠不ト↢如ニ↠実ノ受↡、雖↠不ト↢如ク↠説ノ持セ↡、怖レ↠之ヲ悲テ↠之ヲ、須ク↠生↢慚愧之処ニ↡、剰破戒ヲ為テ↠宗ト、叶フ↢道俗之心ニ↡。仏法ノ滅ル縁、無シ↠大ナルハ↠於↠此。
洛辺近国は、 なほもつて尋常なり。 北陸・東海等の諸国に至りては、 専修の僧尼さかんにこの旨をもつてすと 云々。 おのづから勅宣せずは、 いかでか禁遏を得ん。 奏門の趣、 もっぱらこれらにあるか。
洛辺近国ハ、猶以尋常ナリ。至テ↢于北陸・東海等ノ諸国ニ↡者、専修ノ僧尼盛以ト↢此旨ヲ↡ 云々。自不↢勅宣↡、争得↢禁遏ヲ↡。奏門之趣、専在↢此等↡歟。
九
第九に国土を乱るる失。
第0773九ニ乱ル↢国土ヲ↡失。
仏法・法王はなほ身心のごとく互にその安否を見、 よろしくかの盛衰を知るべし。 当時浄土の法門はじめて興り、 専修の要行もつともさかんなり。 王化中興の時といふべきか。 ただし三学すでに廃し、 八宗まさに滅せんとす。 天下の理り乱る、 またいかん。
仏法・法王ハ猶如ク↢身心ノ↡互ニ見↢其安否↡、宜クシ↠知↢彼盛衰ヲ↡。当時浄土ノ法門始テ興、専修ノ要行尤盛ナリ。可↠謂↢王化中興之時↡歟。但三学已ニ廃シ、八宗将ニ↠滅セント。天下ノ理リ乱ル、亦復如何。
願ふところはただ諸宗と念仏とあたかも乳水のごとく、 仏法と王道とながく乾坤に均しからん。 しかるに諸宗みな念仏を信ず。 異心なしといへども、 専修して深く諸宗を嫌ふ。 同座に及ばず、 水火並びがたし、 進退ここに谷る。 もし専修の志のごときは、 天下海内の仏事法事、 早く停止せらるべきか。
所ハ↠願只諸宗与↢念仏↡宛如↢乳水↡、仏法与↢王道↡永ク均シカラン↢乾坤ニ↡。而諸宗皆信ズ↢念仏ヲ↡。雖↠無ト↢異心↡、専修シテ深嫌フ↢諸宗ヲ↡。不↠及↢同座ニ↡、水火難↠並ビ、進退惟ニ谷ル。若如↢専修ノ志↡者、天下海内仏事法事、早可↠被↢停止↡歟。
しかるに貴賎いまだ帰せず、 法命いまだ終尽せざるは、 まつたく他の力にあらず。 かたじけなくもわが后の叡慮動ずることなく、 明鑑のゆゑなり。 もし後代に及び専修隙を得る時、 君臣の心余を視ること芥のごとくば、 たとひ停廃に及ばずといへども、 八宗誠有若亡ならんか。
而貴賎未↠帰、法命未↢終尽↡者、全非↢他ノ力ニ↡。忝我后ノ叡慮無↠動コト、明鑑之故也。若及↢後代ニ↡専修得↠隙之時、君臣之心視コト↠余ヲ如芥者、縦雖↠不↠及↢停廃ニ↡、八宗誠有若亡ナラン歟。
いはんやまた弗沙蜜王の伽藍を壊せしなり、 愚臣の諌言を容い、 会昌天子の僧尼を殄せしなり、 道士の嫉妬より起れり。 法滅の因縁、 将来測りがたし。 この事を思ふがために天聴に泣達す。 もし当時の誡なくは、 いかでか後昆の惑を絶たん。
矧ヤ復弗沙蜜王之壊セシ↢伽藍↡也、容イ↢愚臣之諌イサメ言ヲ□ト□↡、会昌天子之殄シ↢僧尼↡也、起レリ↢道士之嫉妬ヨリ↡。法滅ノ因縁、将来難↠測。為↠思↢此事ヲ↡泣↢達ス天聴ニ↡。若無ハ↢当時之誡↡、争絶↢後昆之惑ヲ↡。
ああ両門随分の鬱陶、 古来多しといへども、 八宗同心の訴訟、 前代未聞なり。 事の軽重、 かたじけなく聖断を仰ぐ。 天裁七道諸国に仰を望請すらく、 沙門源空専修念仏の宗義を糾↢改せらるれば、 世尊付属の寄、 いよいよ法水を舜海の浪に和し、 明王照臨の徳、 ながく魔雲を尭日の風に払はん。
嗚呼両門随分之鬱陶、古来雖↠多ト、八宗同心之訴訟、前代未聞ナリ。事之軽重、恭ク仰グ↢聖断ヲ↡。望↣請スラク天裁仰ヲ↢七道諸国ニ↡、被↣糾↢改沙門源空専修念仏之宗義↡者、世尊付属之寄、弥和↢法水於舜海之浪ニ↡、明王照臨之徳、永払↢魔雲於尭日之風↡矣。
誠惶誠恐謹言す。
誠惶誠恐謹言ス。
副進
奏状一通
右件の源空一門に偏執し、 すべて八宗を滅す、 天魔の所為、 仏神痛むべし。 よりて諸宗同心に天奏に及ばんと欲せしところ、 源空すでに怠状を進ず、 鬱陶に足らざる由、 院宣によりて御制あり。 衆徒驚歎、 還りてその色を増す。 なかんづく叡山使を発し推問を加ふる日、 源空起請を染書せし後、 かの弟子ら道俗に告げていはいく、 上人の詞、 みな表裏あり中心を知らず、 外聞に拘ることなかれと 云々。 その後邪見の利口、 すべて改変なし。 このたびの怠状、 またもつて同前か。 奏事不実、 罪科いよいよ重し。 たとひ上皇の叡旨あれども、 いかでか明臣の陳言なくば、 望請す、 慈を息め早く奏聞を経て、 七道諸国に仰し、 一向専修条々の過失を停止せられ、 兼ねてまた罪科を行はれんことを。 源空 ならびに 弟子らにおいては、 ながく破法の邪執を止め、 還りて念仏の真道を知れ。 よりて言上件のごとし。
副0774進
奏状一通
右件源空偏↢執一門↡、都滅↢八宗↡、天魔所為、仏神可↠痛。仍諸宗同心欲↠及↢天奏↡之処、源空既進↢怠状↡、不↠足↢鬱陶↡之由、依↢ 院宣↡有↢御制↡。衆徒驚歎、還増↢其色↡。就中叡山発使加推問之日、源空染↢書起請↡後、彼弟子等告↢道俗↡云、上人之詞、皆有↢表裏↡不↠知↢中心↡、勿拘外聞 云々。其後邪見之利口、都無↢改変↡。今度怠状、又以同前歟。 奏事不実、罪科弥重。縦有↢上皇之叡旨↡、争無↢明臣之陳言↡者、望請、息慈早経↢奏聞↡、仰↢七道諸国↡、被↣停↢止一向専修条々過失↡、兼又行罪科。於↢源空 並 弟子等↡者、永止↢破法之邪執↡、還知↢念仏之真道↡ 矣。仍言上如件。
*元久二年十月 日
元久二年十月 日
延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は香川大学図書館蔵神原文庫天文八年良願書写本。