本書は、 源空 (法然) 聖人の法語とされ、 ¬一枚起請文¼ とともに伝持されてきたものである。 そのことは貞治四 (1365) 年に ¬一枚起請文¼ と合わせて開版されていることや、 蓮如上人が一具のものとして書写されていることからも窺える。
本書の題号については、 その由来は確定できないが、 ¬存覚上人袖日記¼ 貞治六 (1367) 年の条に 「黒谷聖人御誓言書 世号二枚消息」 とあることから、 本書は古くから 「二枚消息」 とも呼ばれており、 「二枚」 という呼称は一般に認知されていたようである。 その他、 内題とみられる 「黒谷上人御法語」 「法然上人御法語」 を用いて、 呼称されることもある。
本書の内容は、 称名念仏を実践する上で留意すべきことが述べられている。 まず、 阿弥陀仏の本願によらなければ往生を遂げることができない凡夫は、 大悲の願をあおぎ、 名号をとなえるべきことを示す。 次に、 念仏者は、 従来強調されてきた観念の念仏に従うのではなく、 名号を声に出してとなえるべきであるとする。 その理由として、 「称名の外には決定往生の正因なし。 称名の外には決定往生の正行なし。 称名の外には決定往生の正業なし」 などと示され、 称名念仏は浄土往生のための正因、 正行、 正業であることが強調されている。 また、 称名念仏は阿弥陀仏の本願に説かれており、 阿弥陀仏の自在ですぐれたはたらきを信じて、 念仏すべきであるとする。 このように称名念仏を勧めたのち、 結びの文として、 もしこの称名念仏のほかに奥深い教えがあると考えるならば、 日本国中の大小すべての神の処罰を受けることになると記されている。
以上のような念仏領解は、 ¬一枚起請文¼ と軌を一にしている。 しかし、 本書は、 末尾の体裁が ¬一枚起請文¼ と異なり、 古文書学における 「起請文」 の定義に合致している。
本書の成立については、 京都府百万遍知恩寺蔵本の 「建暦二壬申年正月廿四日辰刻 源空(花押) 鎮西聖光御房」 との奥書、 ならびにその添書の内容から、 本書は、 建暦二 (1212) 年に聖光房弁長に宛てられたものであると伝えられている。 しかし、 百万遍知恩寺蔵本は江戸時代の書写本とされ、 他本と比べて異同が多く、 その真偽については議論がある。 そのため、 本書の成立年代の特定には慎重な姿勢が必要であろう。
なお、 本書は、 ¬一枚起請文¼ と異なり、 源空聖人の遺文には収録されていない。 しかし、 ¬存覚上人袖日記¼ 貞治六年の条に、 西道なるものが ¬一枚起請文¼・¬二枚起請文¼ 等の摺本に奥書を求めてきたため、 存覚上人が書き与えられたことが記されており、 本書が汎く流布していたことが窺える。 また、 ¬一枚起請文¼ と一具で伝来しているものが多く、 蓮如上人も書写していることから、 源空聖人の重要な法語として伝えられてきたことがわかる。