本書は、 蓮如上人の法語や行実を記録した言行録であり、 条数は三百を超えている。 内容は蓮如上人の日常の教化の様子や念仏者の生活のあり方を示されたものから、 本願寺の儀式や故実に関するものまで多岐にわたっているが、 その中心は、 信心を獲得することこそ肝要であるという教示にあるといえる。
 また、 本書は蓮如上人だけではなく、 第九代実如上人や蓮悟等の子息、 あるいは法敬坊や慶聞坊といった門弟たちの言行についても記されており、 本書によって蓮如上人とその周辺の人物の具体的な言行を窺い知ることができる。
 本書の編者については、 複数の説が存在している。 すなわち、 実如上人、 蓮如上人の第七男である蓮悟、 第十男の実悟、 実悟の子息である顕悟、 顕悟の子息である教悟などの、 いずれかを編者とする説である。
 まず実如上人を編者とする説とは、 本書の真宗法要所収本や龍谷大学蔵本の巻尾に 「実如御判」 とあることから、 本書の編者を実如上人とするものである。
 次に連語を編者とする説とは、 本書に連語の夢の記録や、 蓮如上人が連語に対して述べた言葉が記されていることから主張されるものである。 また、 本書では蓮如上人が 「前々住上人」 と呼称されているが、 連語は第十代証如上人の時代まで在世しており、 第八代宗主である蓮如上人をそのように呼ぶことが可能な人物である。 このことも連語を編者とする一つの根拠となっている。
 次に実如を編者とする説とは、 実悟が編集した蓮如上人の言行録と本書との関係から指摘されるものである。 実悟が天正二 (1574) 年に編纂した ¬蓮如上人仰条々連々聞書¼ の奥書には 「右此条々者蓮如上人御時之儀宿老衆兄弟中各御物語/儀等先年注置処享禄乱皆失畢」 とあり、 実悟はかねてより蓮如上人の言行録の編纂を行っていたことがわかる。 また右の奥書によると、 実悟は当初編纂していた蓮如上人の言行録を、 加賀一向一揆の内部抗争である享禄の錯乱により一度は失っており、 後に再び起筆して ¬仰条々¼ を完成させたようである。 実悟が享禄の錯乱前に編纂していた言行録とは、 ¬蓮如上人一語記 (実悟旧記)¼ のことであり、 現在ではその内容が明らかになっている。 その ¬一語記¼ の内容の多くが本書と一致しており、 また ¬仰条々¼ についても全二百七条の内、 百五十八条の内容が本書と一致していることから、 本書の編者を実悟とする説が主張されている。 加えて、 実悟もその在世年数が長いことから、 先の蓮悟と同じく、 蓮如上人を 「前々住上人」 と呼称することが可能な人物である。
 次に顕悟、 あるいは教悟を編者とする説であるが、 これは、 本書の流布本と内容が近似する大阪府願得寺蔵本との関係から指摘されるものである。 願得寺蔵本は、 内題に 「蓮如上人御物語聞書」、 外題に 「実悟覚書 天正十三年記」 とあり、 奥書には 「天正十三年四月十九日書写之者也」 とある。 これは一見すると実悟が天正十三 (1585) 年に当本を制作したようにも読むことができる。 しかし、 天正十三年は実悟の示寂後であることから、 当本は実悟に非常に近い人物によって編纂されたものであるとされ、 顕悟、 あるいは教悟を編者とする説が主張されている。
 このように、 本書の編者については複数の説が主張されているが、 この内、 最も有力とされているのは、 蓮如上人の言行録を精力的に編纂した実悟を編者とする説である。
 本書の成立年代は明らかではないが、 先に述べたように願徳寺蔵本の奥書に 「天正十三年四月十九日」 との年紀があることから、 この頃までに本書の原型が編纂されていたことがわかる。
 そもそも蓮如上人の言行録の編纂はかなり早い時期から始められており、 門弟の空善が記した ¬空善記¼ や、 第六男の蓮淳が記した ¬蓮如上人御若年砌事¼、 蓮悟が記した ¬蓮如上人御物語次第¼ 等が早々に成立している。 またその後、 実悟により ¬仰条々¼ ¬拾塵記¼ ¬山科御坊事其時代事¼ ¬天正三年記¼ ¬蓮如上人塵拾抄¼ ¬本願寺作法之次第¼ ¬蓮如上人御一期記¼ 等が編纂され、 あるいは受徳寺栄玄による ¬栄玄聞書¼、 編者未詳の ¬昔物語記¼ 等も編纂されている。 このように、 蓮如上人の言行録は数多く制作されているが、 これらの言行録の内容を抄出して編纂されたものが本書であり、 その乗数の多さや充実した内容から、 蓮如上人言行録の集大成として位置づけられている。
 また、 江戸期に入っても蓮如上人の言行録の改変や抜粋が行われ、 ¬蓮如上人御物語¼ ¬空善日記¼ 等が編纂されており、 元禄二 (1689) 年には本書の刊本が制作されている。