親鸞聖人血脈文集
 本集所収の通数は一般に五通とされる。 このうち、 (2)の慈信房の義絶を性信に伝えた一通や、 (4)の鎌倉での念仏訴訟を伝えるものなどは他の消息集にはない。 (5)には御消息以外のものとして、 流罪記録、 ¬教行信証¼ 後序が置かれ、 性信が宗祖より 「彼本尊選択集真影之銘文等」 を譲られたとある点は大きな特徴である。 (6)は当初からのものかについて議論があり、 富山県専琳寺蔵賢心本影写本にはないが、 愛知県上宮寺蔵室町時代末期書写本・大谷大学蔵江戸時代中期恵空写伝本によった。 また上宮寺本の一部は明らかな後世の補い部分である。
 編者は、 本集所収の御消息のうち、 四通は性信宛で一通は慶西宛であることから性信を中心とした横曾根系の門徒であるとされる。 編集意図については、 「血脈文集」 という書名や本来消息ではない宗祖との関わりを示すものが含まれることから、 源空・親鸞・性信という三代伝持の血脈を示すことにあるといわれ、 その背景には唯善が起こした大谷廟堂横領事件があるとされる。 すなわち、 横曾根門徒は、 唯善に与した者が多く、 事件解決後に不利な状況に陥り、 従来の地位を保つために血脈伝持を標榜する本書を制作したといわれる。 よって、 成立年時も事件解決後の延慶二 (1309) 年以降とする説が有力である。 一方、 本集は宗祖の晩年頃に性信が編集したもので、 血脈の相承を主張したのではないとする説もある。