本鈔は、 上下二巻より成ることから 「二巻鈔」 とも称される。 特徴としては、 まず上下巻ともに、 冒頭で 「聞↢賢者信↡ 顕↢愚禿心↡ 賢者信 内賢外愚也 愚禿心 内愚外賢也」 と述べられている点が挙げられる。 これは従来 「愚禿鈔」 という題目を立てた意を宗祖が述べられたものとされ、 「愚禿」 とは宗祖の号、 賢者とは総じては七高僧、 別しては師である源空 (法然) 聖人を指していると考えられる。 すなわち題号の 「愚禿」 とは、 賢者によって明らかにされた横超の法によって自覚された宗祖の心境を示しているといえよう。 また本鈔は、 その大部分が散文体でも韻文体でもなく、 行頭に高低差をつけて箇条書きのように項目を列挙するという、 宗祖の他の著述には見られない特異な形態を持っている。 このことから本鈔の撰述目的については種々に議論されており、 源空上人門下での研鑽期における覚書を後に整理されたものとする説、 門弟に講義される際のノートのような役割を果たしたものとする説などがあるが、 いずれも確定しがたい。
内容について、 上巻では、 宗祖独自の教相判釈である二双四重判が具体的に示され、 仏教全体のなかでの浄土真宗の位置づけが明確にされている。 すなわち仏教を大乗・小乗、 頓教・漸教、 難行・易行、 聖道・浄土、 権教・実教等と分類する説をうけながら、 竪超・横超、 竪出・横出という二双四重の概念でさらに区分し、 本願他力の教えこそ横超の法門であり、 一実真如の道である旨が示されている。 上巻の前半では教法について、 後半ではその教法を受ける機についての分類がなされている。
下巻では、 善導大師の ¬観経疏¼ 三心釈を引かれ、 三心と行業との真仮分別等が詳説されている。 また二河白道の譬喩について、 独自の解釈が施され、 最後に二種の三心と対応する二種の往生とを示して真仮の因果が明らかにされており、 自力方便の法を捨てて、 他力真実の法に帰すべき旨があらわされている。
ところで本鈔には宗祖真筆本が伝わっていない。 また撰述年時についても、 五天良空の ¬高田開山親鸞聖人正統伝¼ (巻六) には、 宗祖八十一歳草案、 八十三歳八月下旬清書とあるものの、 確かなことは分かっておらず、 一般には、 現存する多くの古写本に、 上下巻ともに 「建長七歳乙卯八月廿七日書之/愚禿親鸞八十三歳」 との奥書があるため、 この建長七 (1255) 年の年時をもって撰述の時としている。 本鈔の宗祖真筆本については、 新潟県浄興寺造永享六 (1434) 年本の下巻の奥書に、 「観応三歳 壬辰 九月十日、 於此御鈔一部、 参州和田良円房聖人御自筆之本有随身上洛之事、 仍喜便宜奉交合、 愚本処々差異点付之訖、 今校合御真筆本、 上巻許有之、 下巻御奥書無之」 とある。 これによれば、 本鈔の真筆本はかつて三河の和田良円の所持となっていたようであり、 観応三 (1352) 年九月十日に、 良円が真筆本を携えて上洛した際に某がこれを披見して校合したとある。 そして注目されるのは、 この真筆本の奥書は上巻のみにあり、 下巻にはなかったという点である。 現存する古写本の、 上下両巻にある同日付の奥書に関しては、 両巻が同日に成ったとは考えにくいため、 清書の日ではないかとも言われるが、 この真筆本の情報と合わせて、 現存最古の書写本である高田派専修寺蔵顕智上人書写本も、 奥書はやはり上巻のみにしか存在していない。 これらのことから、 下巻に上巻と同じ奥書が当初からあったのかどうかについては、 疑問視する説もある。