本書は、 奥書に 「みぎ条々でうでう任↢まかせ遺言ゆひごん旨↡むねにきやうだいちうあり談合だんがう↡…明応八年 つちのとひつじ 四月廿五日/実如じちによ蓮綱れんかう蓮誓れんせいれんじゆんれん蓮応れんおう」 とあり、 蓮如上人の遺言を受けた五人の子息が申し合わせて蓮如上人の言行、 四十箇条を列挙した内容である。 蓮如上人の遺言に関する記事は ¬空善聞書¼ や ¬反古裏書¼ にも見られるが、 顕誓が著した ¬古今独語¼ のはじめに 「就↠中明応八年三月九日、 蓮如上人御病中、 賢息五人の御兄弟に対し て せのたまはく、 御在世の間におきて、 開山聖人の御法流たておほせられ畢ぬ。 この趣きかたく末代に至るまで、 あひまもりたまふべし。 第一兄弟の中よく、 真俗ともに仰せあはせらるべきむね、 ねんごろに命じましましければ、 実如上人蓮綱・蓮誓・蓮淳・蓮悟、 一同に御請をなされ侍りぬ。 その時御手を合せられ、 いよいよ御一流の儀御繁昌あるべきとの仰なりき」 とあるように、 蓮如上人は十三男十四女の兄弟が親和な関係をたもち、 法義が相続繁盛していくことを願っていたことが知られる。 また、 示寂の直前に遺言された五人の息男のうち、 第九代実如上人はこの時すでに本願寺を継職しており、 続く第三男蓮綱、 第四男蓮誓、 第六男蓮淳、 第七男蓮悟の四人は実如上人を支援していく立場にあったと考えられる。 本書の奥書にある 「蓮応」 とは坊官下間賴玄のことで、 兄弟の申し合わせた内容を、 蓮応立ち会いのもとで記録したことを示しているとされる。