本書は、 蓮如上人が 「此鈔の義肝要」 と敬重された聖教で、 南北朝期からの書写奥書を載せる書写本系統は存在するものの、 著者自身の自筆原本が現存しないため、 本書の著者や撰述年代は不明である。
 顕誓が著した ¬反故奥書¼ には、 第三代覚如上人の高弟である乗専が、 覚如上人に絵像本尊や ¬報恩講私記¼ ¬口伝鈔¼ ¬改邪鈔¼ とともに本書を所望したとある。 このためか、 乗専が書写したと伝えられる書写本が二点存在する。 その一つは兵庫県毫摂寺に所蔵されていた書写本で、 巻頭・巻尾の写真のみが現存しているが、 それには 「貞和三歳 丙戌 六月下旬候終漸写之/功遂校合之篇訖/願主比丘尼釈性妙」 との奥書があり、 筆致よりみて乗専の自筆本であることは間違いない。 これにより乗専は貞和二 (1346) 年、 了源の系統を引く性妙尼のために本書を書写したことが窺える。 またこれより先、 暦応元 (1338) 年二も乗専が善実のために書写授与されたことが大阪府願得寺蔵実語書写本から知ることができる。 その本巻奥書に 「暦応元歳 戊寅 十二月十日奉書写/安置之 願主釈善実/此鈔以乗専筆書写校合訖/永禄八年十一月十八日/釈実悟」 とあることから、 暦応元年以前に覚如上人の手許にあったことがわかり、 本書の成立はそれよりさらに遡ると考えられる。 これらのことから著者についても種々の説がある。 覚如上人説や存覚上人説、 書写本が残る乗専説、 高田の真仏上人説、 さらに浄土宗西山派の証空上人説、 本山義の示導、 実導説、 深草義の顕意説、 東山義の阿日房彰空説、 一遍上人の末弟説などの諸説がある。
 これらの中、 主なものは真宗の覚如上人説と西山系の撰述とみる説である。 覚如上人説は、 主に本願寺派の近世初期と近代の学者達がとる説で、 ¬反故裏書¼ を根拠として、 蓮如上人が本書を三部まで読み破られたことなどの上人の尊崇・伝持を基にしている。 これに対し知空や僧鎔は西山家の説と提示したが、 本書の内容を子細に検討して西山派の書であることを明らかにしたのは真宗大谷派の恵空である。 それは本書で説かれる機法一体や平信、 帰命の釈義などが西山派で用いる用語であることや、 親鸞聖人の著述からの引用がないことなどによる。 ¬安心決定鈔翼註¼ や滋賀県善立寺の恵空写伝本には 「右一冊恕三 (禅林寺四十代助参) 学道ノ所持ノ本ヲ以テ之。 恕三公常ニ語テ云安心決定鈔ハ我家ノ抄物也ト。 恕三ハ西山ノ西谷流ノ名老也…」 と西山家の書であることを示し、 この説を受けて大成したのが鳳嶺の ¬安心決定鈔記¼ であって、 それには四義を挙げて覚如上人等の真撰でないことを弁じ、 次いで十証を挙げて西山派の書であることを述べている。 この西山系の説の中で、 覚如・存覚両上人が西山派の教義を樋口安養寺の阿日彰空より受けたことから、 彰空から本書を伝えられたという説があり、 今日では西山派の学者からも、 はじめは東山義を学び、 ついで機法一体を強調した深草義の円空立信に師事した阿日房彰空を本書の作者として比定していることは注目される。
 本書は、 古来より三文四事の聖教といわれている。 三文とは本巻に引く ¬往生礼讃¼ 第十八願加減の文、 末巻に引く ¬往生論¼ の眷属功徳の文と ¬法事讃¼ 「極楽無為涅槃界」 の文である。 四事とは末巻に明かされている自力他力日輪の事、 四種往生の事、 泥中閻浮檀金の喩、 そして薪火不離の喩である。 はじめに ¬往生礼讃¼ を引用して衆生の往生と仏の正覚とが一体に成就していると往生正覚一体を明かし、 ついで名号は正覚の果体であって名体不二の弘願の行であり、 この阿弥陀仏が衆生の願行を成就したいわれを領解するのが信心であり、 領解すれば仏願の体にかえるとされる。 念仏三昧において信心決定する人は、 衆生の迷倒のこころの底に法界身の仏の功徳がみちて一体であることを示し、 そして仏の三業と衆生の三業は一体であると彼此三業不利一体を明かしている。 末巻では ¬往生論¼ を引いて往生正覚機法一体を示して仏の正覚華を心運華と説き、 仏の三業の功徳を信ずるから衆生の三業は仏智と一体であると論じている。 また ¬法事讃¼ を引用して無為無漏の念仏三昧に帰すべきことを明かし、 衆生が称礼念しても自らの行ではなく、 阿弥陀仏の行を行ずるのであると説いている。 ついで四事について、 闇夜と日輪の喩えで自力と他力を示し、 正念、 狂乱、 無記、 意念の四種往生について他力の仏智不思議によって往生することに疑いがないと明かし、 泥中の檀金を念仏三昧に喩えて凡夫を正機とすることを示し、 薪と火の喩えによって凡心と仏心の不離一体を明かしている。