かん 観 梵語ヴィパシュヤナー (vipaśyanā) の意訳。 毘婆舎那・毘鉢舎那・毘波奢那・毘婆沙那などとも音訳し、 観察かんざつ・妙観・しょうけんなどと意訳する。 智慧で物事の道理をありのままに観ること。 とあわせて止観という。 天親てんじんは ¬浄土論¼ に 「いかんが観察する。 智慧をもつて観察し、 正念にかしこを観ず。 如実に毘婆舎那を修行せんと欲するがゆゑなり」 といい、 観察門を菩薩のすがたや荘厳相を思いうかべ、 毘婆舎那の如実に修しようとすることとしている。 曇鸞はこれをうけて ¬論註¼ には毘婆舎那を 「観」 と意訳することについて、 ①三種荘厳を観察すれば間違いなく浄土往生できるということ、 ②浄土に往生すれば阿弥陀仏を見ることができ、 さとりを得ることができるということ、 の二義が含まれると示している。 →五念門