八(674)、 往生用心
▲往生浄土用心 第四
一
一 毎日御所作六万遍、 めでたく候。 うたがいの心だにも候はねば、 十念・一念も往生はし候へども、 おほく申候へば、 上品にむまれ候。 釈にも 「上品花台見慈主、 到着皆因念仏多」 (五会法事讃巻本) と候へば。
0675二
一 宿善によりて往生すべしと人の申候らん、 ひが事にては候はず。 かりそめのこの世の果報だにも、 さきの世の罪・功徳によりて、 よくもあしくもむまるゝ事にて候へば、 まして往生程の大事、 かならず宿善によるべしと聖教にも候やらん。
たゞし念仏往生は、 宿善のなきにもより候はぬやらん。 父母をころし、 仏身よりちをあやしたるほどの罪人も、 臨終に十念申て往生すと、 ¬観経¼ にも見えて候。
しかるに宿善あつき善人は、 おしへ候はねども、 悪におそれ仏道に心すゝむ事にて候へば、 五逆なんどは、 いかにもいかにもつくるまじき事にて候也。 それに五逆の罪人、 念仏十念にて往生をとげ候時に、 宿善のなきにもより候まじく候。
されば ¬経¼ (観経意) に 「若人造多罪、 得聞六字名、 火車自然去、 花台即来迎。 極重悪人无他方便、 唯称念仏得生極楽。 若有重業障无生浄土因、 乗弥陀願力、 必生安楽国」。
この文の心、 もし五逆をつくれりとも、 弥陀の六字の名をきかば、 火の車自然にさりて、 蓮台きたりてむかふべし。 又きはめておもき罪人の他の方便なからんも、 弥陀をとなへたてまつらば極楽にむまるべし。 又もしおもきさはりありて浄土にむまるべき因なくとも、 弥陀の願力にのりなば、 安楽国にむまるべしと候へば、 たのもしく候。
又善導の釈には、 「曠劫よりこのかた六道に輪廻して、 出0676離の縁なからん常没の衆生をむかへんがために、 阿弥陀ほとけは仏になり給へり」 (散善義意) と候。
その 「常没の衆生」 と申候は、 恒河のそこにしづみたるいき物の、 身おほきにながくして、 その河にはゞかりて、 えはたらかず、 つねにしづみたるに、 悪世の凡夫をばたとへられて候。
又凡夫と申二の文字をば、 「狂酔のごとし」 (秘蔵宝鑰巻上意) と弘法大師釈し給へり。 げにも凡夫の心は、 物ぐるひ、 さけにゑいたるがごとくして、 善悪につけて、 おもひさだめたる事なし。 一時に煩悩百たびまじはりて、 善悪みだれやすければ、 いづれの行なりとも、 わがちからにては行じがたし。
しかるに生死をはなれ、 仏道にいるには、 菩提心をおこし、 煩悩をつくして、 三祇百劫、 難行苦行してこそ、 仏にはなるべきにて候に、 五濁の凡夫、 わがちからにては願行そなはる事かなひがたくて、 六道四生にめぐり候也。
弥陀如来、 この事をかなしみおぼして、 法蔵菩薩と申しゝいにしへ、 我等が行じがたき僧祗の苦行を、 兆載永劫があひだ功をつみ徳をかさねて、 阿弥陀ほとけになり給へり。
一仏にそなへ給へる四智・三身・十力・无畏等の一切の内証の功徳、 相好・光明・説法・利生等の外用の功徳、 さまざまなるを三字の名字のなかにおさめいれて、 「この名号を十声・一声までもとなへん物を、 かならずむかへん。 もしむかへ0677ずは、 われ仏にならじとちかひ給へるに、 かの仏いま現に世にましまして、 仏になり給へり。 名号をとなへん衆生往生うたがふべからず」 (礼讃意) と、 善導もおほせされて候也。
この様をふかく信じて、 念仏おこたらず申て、 往生うたがはぬ人を、 他力信じたるとは申候也。
世間の事も他力は候ぞかし、 あしなえ、 こしゐたる物のゝ、 とをきみちをあゆまんとおもはんに、 かなはねば船・車にのりてやすくゆく事、 これわがちかららにあらず、 乗物のちからなれば他力也。
あさましき悪世の凡夫の諂曲の心にて、 かまへつくりたるのり物にだに、 かゝる他力あり。 まして五劫のあひだおぼしめしさだめたる本願他力のふね・いかだに乗なば、 生死の海をわたらん事、 うたがひおぼしめすべからず。
しかのみならず、 やまひをいやす草木、 くろがねをとる磁石、 不思議の用力也。 又麝香はかうばしき用あり、 さいの角はみづをよせぬちからあり。 これみな心なき草木、 ちかひをおこさぬけだ物なれども、 もとより不思議の用力はかくのみこそ候へ。 まして仏法不思議の用力ましまさゞらんや。
されば、 念仏は一声に八十億劫のつみを滅する用あり、 弥陀は悪業深重の物を来迎し給ふちからましますと、 おぼしめしとりて、 宿善のありなしも沙汰せず、 つみのふかきあさきも返りみず、 たゞ名号となふるものゝ、 往0678生するぞと信じおぼしめすべく候。
すべて破戒も持戒も、 貧窮も福人も、 上下の人をきらはず、 たゞわが名号をだに念ぜば、 いし・かわらを変じて金となさんがごとし、 来迎せんと御約束候也。
法照禅師の愚者法事讃にも、
「彼仏因中立弘誓 | 聞名念我総来迎 |
不簡貧窮将富貴 | 不簡下智与高才 |
不簡多聞持浄戒 | 不簡破戒罪根深 |
但使廻心多念仏 | 能令瓦礫変成金」 |
たゞ御ずゞをくらせおはしまして、 御舌をだにもはたらかされず候はんは、 けだいにて候べし。
たゞし善導の、 三縁のなかの親縁を釈し給ふに、 「衆生ほとけを礼すれば、 仏これを見給ふ。 衆生仏をとなふれば、 仏これをきゝ給ふ。 衆生仏を念ずれば、 仏も衆生を念じ給ふ。 かるがゆへに阿弥陀仏の三業と行者の三業と、 かれこれひとつになりて、 仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに、 親縁となづく」 (定善義意) と候めれば、 御手にずゞをもたせ給て候はゞ、 仏これを御らん候べし。 御心に念仏申すぞかしとおぼしめし候はゞ、 仏も衆生を念じ給ふべし。 されば仏にみえまいらせ、 念ぜられまいらする御身にてわたらせ給はんずる也。
さは候へども0679、 つねに御したのはたらくべきにて候也。 三業相応のためにて候べし。 三業とは身と口と意とを申候也。 しかも仏の本願の称名なるがゆへに、 声を本体とはおぼしめすべきにて候。
さてわがみゝにきこゆる程申候は、 高声の念仏のうちにて候なり。 高声は大仏をおがみ、 念ずるは仏のかずへもなど申げに候。 いづれも往生の業にて候べく候。
三
一 御无言めでたく候。 たゞし无言ならで申す念仏は、 功徳すくなしとおぼしめされんはあしく候。
念仏をば金にたとへたる事にて候。 金は火にやくにもいろまさり、 みづにいるゝにも損せず候。 かやうに念仏は妄念のおこる時申候へどもけがれず、 物を申しまずるにもまぎれ候はず。
そのよしを御心えながら、 御念仏の程はこと事まぜずして、 いますこし念仏のかずをそえんとおぼしめさんは、 さんて候。
もしおぼしめしわすれて、 ふと物なんどおほせ候て、 あなあさまし、 いまはこの念仏むなしくなりぬとおぼしめす御事は、 ゆめゆめ候まじく候。 いかやうにて申候とも、 往生の業にて候べく候。
四
一 百万遍の事、 仏の願にては候はねども、 ¬小阿弥陀経¼ (意) に 「若一日、 若二日、 乃至七日、 念仏申人、 極楽に生ずる」 とはかゝれて候へば、 七日念仏申べきにて候0680。
その七日の程のかずは、 百万遍にあたり候よし、 人師釈して候時に、 百万遍は七日申べきにて候へども、 たへ候はざらん人は、 八日・九日なんどにも申され候へかし。
さればとて、 百万遍中さゞらん人のむまるまじきにては候はず、 一念・十念にてもむまれ候也。 一念・十念にてもむまれ候ほどの念仏とおもひ候うれしさに、 百万遍の功徳をかさぬるにて候也。
五
一 七分全得の事、 仰のまゝに申げに候。 さてこそ逆修はする事にて候へ。
さ候へば、 のちの世をとぶらひぬべき人候はん人も、 それをたのまずして、 われとはげみて念仏申して、 いそぎ極楽へまいりて、 五通三明をさとりて、 六道四生の衆生を利益し、 父母師長の生所をたづねて、 心のまゝにむかへとらんとおもふべきにて候也。 又当時日ごとの御念仏をも、 かつがつ廻向しまいらせられ候べし。
なき人のために念仏を廻向し候へば、 阿弥陀ほとけひかりをはなちて、 地獄・餓鬼・畜生をてらし給ひ候へば、 この三悪道にしづみて苦をうくる物、 そのくるしみやすまりて、 いのちおはりてのち、 解脱すべきにて候。
大経 (巻上) にいはく、 「若在三塗勤苦之処、 見此光明、 皆得休息无復苦悩。 寿終之後、 皆蒙解脱」。
六
一 本願のうたがはしき事もなし、 極楽のねがはしからぬにてはなけれども、 往生0681一定とおもひやられて、 とくまいりたき心のあさゆふは、 しみじみともおぼえずとおほせ候事、 ま事によからぬ御事にて候。
浄土の法門をきけどもきかざるがごとくなるは、 このたび三悪道よりいでゝ、 つみいまだつきざるもの也。 又経にもとかれて候。 又この世をいとふ御心、 うすくわたらせ給ふにて候。
そのゆへは、 西国へくだらんともおもはぬ人に、 船をとらせて候はんに、 ふねのみづにうかぶ事なしとはうたがひ候はねども、 当時さしているまじければ、 いたくうれしくも候まじきぞかし。
さて[か]たきの城なんどにこめられて候はんが、 からくしてにげてまかり候はんみちに、 おほきなる河海なんどの候て、 わたるべきやうもなからんおり、 おやのもとよりふねをまうけてむかへにたびたらんは、 さしあたりていかばかりかうれしく候べき。
これがやうに、 貪瞋煩悩のかたきにしばられて、 三界の樊篭にこめられたるわれらを、 弥陀悲母の御心ざしふかくして、 名号の利剣をもちて生死のきづなをきり、 本願の要船を苦海のなみにうかべて、 かのきしにつけ給ふべしとおもひ候はんうれしさは、 歓喜のなみだたもとをしぼり、 渇仰のおもひきもにそむべきにて候。
せめては身の毛いよだつほどにおもふべきにて候を、 のさにおぼしめし候はんは、 ほいなく候へども、 それもことはりにて候。 つ0682みつくる事こそおしへ候はねども、 心にもそみておぼえ候へ。
そのゆへは、 无始よりこのかた六趣にめぐりし時も、 かたちはかはれども心はかはらずして、 いろいろさまざまにつくりならひて候へば、 いまもうゐうゐしからず、 やすくはつくられ候へ。
念仏申て往生せばやとおもふ事は、 このたびはじめてわづかにきゝえたる事にて候へば、 きとは信ぜられ候はぬ也。 そのうゑ、 人の心は頓機・漸機とて二しなに候也。 頓機はきゝてやがてさとる心にて候。 漸機はやうやうさとる心にて候也。 物まうでなんどをし候に、 あしはやき人は一時にまいりつくところへ、 あしおそき物は日ぐらしにもかなはぬ様には候へども、 まいり心だにも候へば、 つゐにはとげ候やうに、 ねがふ御心だにわたらせ給ひ候はゞ、 とし月をかさねても御信心もふかくならせおはしますべきにて候。
七
一 日ごろ念仏申せども、 臨終に善知識にあはずは往生しがたし。 又やまひ大事にして心みだれば、 往生しがたしと申候らんは、 さもいはれて候へども、 善導の御心にては、 極楽へまいらんと心ざして、 おほくもすくなくも念仏申さん人のいのちつきん時は、 阿弥陀ほとけ聖衆とゝもにきたりてむかへ給ふべしと候へば、 日ごろだにも御念仏候はゞ、 御臨終に善知識候はずとも、 ほとけはむかへさせ給ふべ0683きにて候。
又善知識のちからにて往生すと申候事は、 ¬観経¼ の下三品の事にて候。 下品下生の人なんどこそ、 日ごろ念仏も申候はず、 往生の心も候はぬ逆罪の人の、 臨終にはじめて善知識にあひて、 十念具足して往生するにてこそ候へ。 日ごろより他力の願力をたのみ、 思惟の名号をとなへて、 極楽へまいらんとおもひ候はん人は、 善知識のちから候はずとも、 仏は来迎し給ふべきにて候。
又かろきやまひをせんといのり候はん事も、 心かしこくは候へども、 やまひもせでしに候人も、 うるはしくおはる時には、 断末魔のくるしみとて、 八万の塵労門より无量のやまひ身をせめ候事、 百千のほこ・つるぎにて身をきりさくがごとし。
されば、 まなこなきがごとくして、 みんとおもふ物をも見ず、 舌のねすくみて、 いはんとおもふ事もいはれず候也。 これは人間の八苦のうちの死苦にて候へば、 本願信じて往生ねがひ候はん行者も、 この苦はのがれずして悶絶し候とも、 いきのたえん時は、 阿弥陀ほとけのちからにて、 正念になりて往生をし候べし。
臨終はかみすぢきるがほどの事にて候へば、 よそにて凡夫さだめがたく候。 たゞ仏と行者との心にてしるべく候也。 そのうゑ三種の愛心おこり候ひぬれば、 魔縁たよりをえて、 正念をうしなひ候也。
この愛心をば善知識のちからばかりにてはのぞきがたく候。 阿0684弥陀ほとけの御ちからにてのぞかせ給ひ候べく候。 「諸邪業繋无能礙者」 (定善義) 、 たのもしくおぼしめすべく候。
又後世者とおぼしき人の申げに候は、 まづ正念に住して念仏申さん時に、 仏来迎し給ふべしと申げに候へども、 ¬小阿弥陀経¼ には、 「与諸聖衆現在其前。 是人終時、 心不顛倒、 即得往生阿弥陀仏極楽国土」 と候へば、 人のいのちおはらんとする時、 阿弥陀ほとけ聖衆とゝもに、 目のまへにきたり給ひたらんを、 まづみまいらせてのちに、 心は顛倒せずして、 極楽にむまるべしとこそ心えて候へ。
されば、 かろきやまひをせばや、 善知識にあはばやといのらせ給はんいとまにて、 いま一返もやまひなき時念仏を申して、 臨終には阿弥陀ほとけの来迎にあづかりて、 三種の愛をのぞき、 正念になされまいらせて、 極楽にむまれんとおぼしめすべく候。
さればとて、 いたづらに候ぬべからん善知識にもむかはでおはらんとおぼしめすべきにては候はず。 先徳たちのおしへにも、 臨終の時に阿弥陀仏を西のかべに安置しまいらせて、 病者そのまへに西むきにふして、 善知識に念仏をす[ゝ]められよとこそ候へ。 それこそあらまほしき事にて候へ。
たゞし人の死の縁は、 かねておもふにもかなひ候はず、 にはかにおほぢ・みちにておはる事も候。 又大小便利のところにてしぬる人も候。 前業のがれがたくて、 た0685ち・かたなにていのちをうしなひ、 火にやけ、 水におぼれて、 いのちをほろぼすたぐひおほく候へば、 さやうにしてしに候とも、 日ごろの念仏申て極楽へまいる心だにも候人ならば、 いきのたえん時に、 阿弥陀・観音・勢至きたりむかへ給べしと信じおぼしめすべきにて候也。
¬往生要集¼ (巻下) にも、 「時所諸縁を論ぜず、 臨終に往生をもとめねがふにその便宜をえたる事、 念仏にはしかず」 と候へば、 たのもしく候。
このよしをよみ申させ給ふべく候。 八つの事しるしてまいらせ候。 これはのちに御たづね候し御返事にて候。
八
一 所作おほくあてがひてかゝんよりは、 すくなく申さん一念もむまるなればとおほせの候事、 ま事にさも候ぬべし。
ただし ¬礼讃¼ のなかには、 「十声一声、 定得往生、 乃至一念无有疑心」 と釈せられて候へども、 ¬疏¼ (散善義) の文には 「念々不捨者、 是名正定之業」 と候へば、 十声・一声にむまると信じて、 念々にわするゝ事なく、 となふべきにて候。 又 「弥陀名号相続念」 (法事讃巻下) とも釈せられて候。 されば、 あひついで念ずべきにて候。
一食のあひだに三度ばかりおもひいでんは、 よき相続にて候。 つねにだにおぼしめしいでさせ給はゞ、 十万・六万申させ給ひ候はずと0686も、 相続にて候ぬべけれども、 人の心は当時みる事きく事にうつる物にて候へば、 なにとなく御まぎれのなかには、 おぼしめしいでん事かたく候ぬべく候。
御所作おほくあてゝ、 つねにずゞをもたせ給ひ候はゞ、 おぼしめしいで候ぬとおぼえ候。 たとひ事のさはりありて、 かゝせおはしまして候とも、 あさましや、 かきつる事よとおぼしめし候はゞ、 御心にかけられ候はんずるぞかし。
とてもかくても御わすれ候はずは、 相続にて候べし。 又かけて候はん御所作を、 つぎの日申いれられ候はん事、 さも候なん。 それもあす申いれ候はんずればとて、 御ゆだん候はんはあしく候。 せめての事にてこそ候へ。 御心えあるべく候。
九
一 魚鳥に七箇日のいみの候なる事、 さもや候らん、 えみおよばず候。
地体はいきとしいける物は過去のちゝ・はゝにて候なれば、 くふべき事にては候はず。 又臨終には、 さけ・いを・とり・き・にら・ひるなんどはいまれたる事にて候へば、 やまひなんどかぎりになりては、 くふべき物にては候はねども、 当時きとしぬばかりは候はぬやまひの、 月日つもり苦痛もしのびがたく候はんには、 ゆるされ候なんとおぼえ候。
御身おだしくて念仏申さんとおぼしめして、 御療治候べし。 いのちおしむは往生のさはりにて候。 やまひばかりをば療治はゆるされ候なんとおぼ0687え候。
二の事の御たづね、 しるしてまいらせ候。 よくよくよみ申させ給ふべく候。▽