0779◎一向専修停止事
延暦寺奏状
◎延暦寺三千大衆法師等、 誠惶誠恐謹言。
天裁を蒙りて一向専修の濫行を停止せらることを請ずる子細の状。
◎延暦寺三千大衆法師等、誠惶誠恐謹言。
請↠被↧蒙↢天裁↡停↦止一向専修濫行↥子細状。
延暦寺奏状 一
▲一 弥陀念仏をもつて別に宗を建つべからざる事
一 不可以弥陀念仏別建宗事
右謹んで旧典を検ぶるに、 教を建て宗を建つ、 法あり式あり。 あるいは外国の真僧化に帰して来り弥る、 あるいはわが朝の高位勅を奉けて往き諮らふ。 あらかじめ一朝の根機を知りぬ。 すでに八宗の教綱を張る、 その祖宗を論ずるに賢聖にあらざるはなく、 其濫觴を尋ぬるにみな勅定を待つ、 相承次第あり、 依馮忤ひ誤ることなし。
右謹検↢旧典↡、建↠教建↠宗、有↠法有↠式。或外国真僧帰↠化而来弥、或吾朝高位奉↠勅而往諮ラウ。予メ知ヌ↢一朝之根機↡。已張↢八宗之教綱↡、論↢其ノ祖宗ヲ↡無↠非↢賢聖↡、尋↢其濫觴↡皆待↢勅定↡、相承有↢次第↡、依馮無↢忤ヒ誤コト↡。
ここに頃年源空法師あり、 黒谷に卜居のはじめ、 いまだ博学の実あらず、 東山に移棲の後、 しきりに誑惑の言を吐く。 みだりがはしく愚鈍の性をもつて賢哲の蹤を追はんと欲し、 わたくしに一宗を建て還りて三宝を謗ず。 思袖衿に生じてあへて師説の稟承なし、 胸臆に任せて言ひ経論の誠説に依らず。
爰頃年有↢源空法師↡、卜↢居於黒谷↡之初、未↠有↢博学之実↡、移↢棲於東山↡之後、頻吐ク↢誑惑之言ヲ↡。猥以↢愚鈍之性↡欲↠追↢賢哲之蹤↡、私建↢一宗↡還謗↢三宝↡。思生テ↢於袖衿↡敢無↢師説之稟承↡、言↠任↢于胸臆ニ↡不↠依↢経論之誠説↡。
つひに邪風都鄙に煽にして、 ほとんど恵雲を天下に払ふ。 それよりこのかた源空没すといへども、 末学流を興し、 さらに一念・多念の門徒に分る、 おのおの謗法・破法の罪業を招く。 貴賎その教に趣き、 男女かの言に随ふ。 衆人狂ひたるがごとく、 万民酔へるに似たり。 善は心に慣ひがたし、 悪は神に染まりやすきゆゑなり。
遂煽ニシテ↢邪風於都鄙ニ↡、殆払↢恵雲於天下↡。自爾以来源空難↠没、末学興↠流、更分↢一念・多念之門徒↡、各招↢謗法・破法之罪業↡。貴賎趣↢其教↡、男0780女随↢彼言↡。衆人如↠狂、万民似↠酔ルニ。善ハ者難↠慣ヒ↢于心ニ↡、悪ハ者易↠染↢于神ニ↡之故也。
あるいはこれを念仏宗と称し、 あるいはこれを浄土宗と号す。 それ浄土は万善の期するところ、 念仏は諸宗の通規なり。 なんぞこの両事をもつて、 別して立てて一宗とするや。 そもそも件の輩、 鎮国の諸宗を謗り呼びて雑行といふ、 放逸の一法を立て正行と名づく。
或称↢之ヲ念仏宗↡、或号↢之浄土宗ト↡。夫浄土者万善之所↠期、念仏者諸宗之通規。何以↢此両事↡、別立為↢一宗↡哉。抑件輩、謗↢鎮国之諸宗↡呼曰↢雑行ト↡、立↢放逸之一法↡名↢正行↡。
奇怪のいたり、 禁遏するに余りあり。 いかにいはんや公家の処分を蒙らず、 ほしいままに新議の邪宗を建つるをや。 つとに厳重の紫泥を下され、 訴訟の丹地に伏せんと欲す 矣。
奇怪之至、禁遏有↠余。何況不↠蒙↢公家処分↡、恣建↢新議之邪宗↡。早被↠下↢厳重ノ之紫泥↡、欲↠伏↢訴訟之丹地↡ 矣。
延暦寺奏状 二
▲一 一向専修の党類神明に向背すること不当の事
一 一向専修党類向背神明不当事
右わが朝は神国なり、 神道を敬ふを国の勤となす。 百神のもとを謹討すれば、 諸仏の迹にあらざるはなし。 いはゆる伊勢大神宮・正八幡宮・賀茂・日吉・春日等、 みなこれ釈迦・薬師・弥陀・観音等の示現なり。
右吾朝者神国也、敬↢神道↡為↢国之勤↡。謹↢討レバ百神之本↡、無↠非↢諸仏之迹ニ↡。所謂伊勢大神宮・正八幡宮・賀茂・日吉・春日等、皆是釈迦・薬師・弥陀・観音等之示現也。
おのおの宿福の地を卜して、 もつぱら有縁の機を調ふ。 善悪の業印を糾さんがために、 さらに賞罰の権化を施す。 一陽一陰、 垂迹の風儀を闇くすといへども、 大慈大悲、 深く本地の月輪を仰ぐ。 これをもつてその内証に随ひ、 かの法施に資す。 念誦・転経、 神によりて事を異にす。 世を挙げて信を取る。 人ごとに益せらる。
各卜テ↢宿福之地↡、専調↢有縁之機↡。為↠糾↢善悪之業印↡、更施↢賞罰之権化↡。一陽一陰、雖↠闇↢垂迹之風儀ヲ↡、大慈大悲、深仰↢本地之月輪↡。是以随↢其内証↡、資ス↢彼法施↡。念誦・転経、依↠神ニ異ニス↠事。挙↠世取↠信。毎↠人被↠益。
しかるにいま専修の輩事を念仏に寄せ、 ながく明神を敬ふことなし、 さらに国の礼を失す。 なんぞ神の咎なきや。 まさに知るべし、 有勢の神祇、 さだめて降伏の鬼魄を廻らさん 矣。
而今専修ノ輩寄↢事於念仏↡、永無↠敬↢明神↡、更失↢国之礼↡。何無↢神之咎↡。当↠知、有勢之神祇、定廻↢降伏之鬼魄ヲ↡ 矣。
また ¬大集経¼ 等の説を案ずるに、 「仏一代の聖教をもつて十方の霊神に付属す、 すなはち仏勅を奉りて法宝を鎮護せしむ。 これをもつてもし経教を受持すればかならず衛護す、 また誹謗すればさだめて楚毒を与ふ。 かの謗法は、 その報知るべし。 なかんづく凶徒の行儀を聞くに、 肉味を食してもつて霊神の瑞籬に交はり、 穢気に触れてもつて垂迹の社壇に行く。 すなはちこれ十悪・五逆、 なほ弥陀の引接に預る、 神明・神道いかでか極楽の往生を妨げんや」 と。 云々
又0781案↢¬大集経¼等説↡、「仏以↢一代聖教↡付↢属十方霊神↡、即奉↢仏勅↡鎮↢護法宝↡。是故若受↢持経教↡者必衛護、又生↢誹謗↡者定与↢楚毒↡。彼謗法者、其報可↠知。就中聞↢凶徒之行儀↡、食↢肉味↡以交↢霊神之瑞籬↡、触↢穢気↡以行↢垂迹之社壇↡。即是十悪・五逆、尚預↢弥陀之引接↡、神明・神道争妨↢極楽之往生↡乎。」云云
有心の人、 なんぞこの言を誡めざる、 まさしく神国の法を犯す、 いづくんぞ王家の刑を避けんや。
有心之人、盍誡此言、正犯↢神国之法↡、寧避↢王家之刑ヲ↡哉。
延暦寺奏状 三
▲一 一向専修倭漢の例不快の事
一 一向専修倭漢例不快事
右慈覚大師の ¬入唐の礼記¼ (巻三・巻四)を案ずるに、 「唐の武宗皇帝、 会昌元年に勅して章敬寺の鏡霜法師をして諸寺において弥陀念仏教を伝へしむ、 寺ごとに三日巡輪して絶えず。 同じき二年、 廻鶻国の軍兵ら唐の堺を侵す。 同じき三年に、 河北道の節度使たちまちに乱に赴く、 その後土番国さらに命を拒み、 廻鶻国かさねて地を奪ふ。 およそ兵乱は秦項の代に同じ、 災火は邑里の際に起る。 いかにいはんや武宗おほいに仏法を破す、 多く寺塔を滅す。 乱を撥むることあたはざれば、 つひにもつて事あり」 以上意を取りてこれを載す と。
右案↢慈覚大師¬入唐ノ礼記¼↡、「唐ノ武宗皇帝、会昌元年ニ勅令↧章敬寺ノ鏡霜法師ヲシテ於↢諸寺ニ↡伝ヘ↦弥陀念仏教↥、毎↠寺三日巡輪シテ不↠絶。同二年、廻鶻国之軍兵等侵↢唐堺↡。同三年ニ、河北道之節度使忽ニ赴↠乱、其後土番国更拒ミ↠命、廻鶻国重テ奪フ↠地。凡兵乱ハ同↢秦項之代ニ↡、災火ハ起ル↢邑里之際ニ↡。何況武宗大ニ破↢仏法↡、多滅↢寺塔↡。不↠能↠撥↠乱、遂以有↠事。」已上取意載之
これすなはちなまじひに浄土の一門を信受するは、 護国の諸教を仰がざるによるなり。 しかもわが朝一向専修を弘通せんよりこのかた、 国衰微に属し、 俗艱難多し。 たまたま陛下伏明の徳に頼みて、 さいはひに海内安穏の時に遇へり。 つとに前非を改めて、 よろしく後悪を滅すべし。
是則憖ニ信↢受浄土之一門↡、依ナリ↠不↠仰↢護国之諸教↡。而吾朝弘↢通センヨリ一向専修ヲ↡以降、国属シ↢衰微↡、俗多シ↢艱難↡。偶頼テ↢陛下伏明之徳ニ↡、幸ニ遇ヘリ↢海内安穏之0782時↡。早改テ↢前非ヲ↡、宜クシ↠滅↢後悪↡。
それ会昌の天子のただ念仏を伝ふるや、 凶例万代に依る。 源空法師のひとへに称名を勧むや、 濫行を四方に貽す、 倭漢の風儀、 彼此雷同せり。 そもそも弥陀は娑婆有縁の如来、 称名はかの仏甚重の本願なり。 なんぞ専修称名の業によりて、 還りて国土衰乱の殃を招かんや。
夫会昌天子之但伝ヘル↢念仏↡也、依↢凶例於万代↡。源空法師之偏ニ勧ム↢称名↡也、貽ス↢濫行於四方↡、倭漢之風儀、彼此雷同セリ。抑弥陀者娑婆有縁之如来、称名者彼仏甚重之本願也。何依テ↢専修称名之業ニ↡、還テ招↢国土衰乱之殃↡哉。
いまこの申状、 深く子細あり。 牛乳は上薬なり、 もし毒を雑ふれば害をなすがごとし。 念仏は善本なり、 もし悪に雑はればさだめて殃を致す。 しかるにこのごろ専修の党、 名を念仏に仮りて、 思を謗法に懸く。 称名は心はなはだ弱し、 謗法は罪もつとも重し。 すでにこれ雑毒の乳なり、 いかでか現当の益あらんや。
今此申状、深有↢子細↡。牛乳者上薬也、若雑フレバ↠毒ヲ如↠成↠害ヲ。念仏者善本也、若雑レバ↠悪ニ定致ス殃ヲワザハヒ。而近来専修ノ党、仮↢名於念仏↡、懸↢思於謗法ニ↡。称名者心太弱シ、謗法者罪尤モ重シ。已ニ是雑毒之乳也、争有↢現当之益↡哉。
かれいはく、 たとひ諸経・諸仏を謗るといへども、 浄土の障にあらず。 ただ一声・十声を唱ふれば、 かならず往生の望を遂ぐ。 これをもつて釈迦・薬師等の尊容、 これに対して和南を致すことなし、 法花・般若等の経巻、 これを奪ひて猛火に投ぐと。 さらに平等の本誓に違背せり、 弥陀の弘願に順ふべからず。
彼云、設雖↠謗↢諸経・諸仏↡、非↢浄土之障↡。只唱↢一声・十声↡、必遂↢往生之望↡。是以テ釈迦・薬師等尊容、対↠之而無↠致コト↢和南↡、法花・般若等之経巻、奪↠之而投ト↢猛火ニ↡。更違↢背セリ平等之本誓↡、不↠可↠順↢弥陀之弘願ニ↡。
なかんづく弥陀如来、 久しく権実の法門を修し、 菩提の妙果を円満す。 これによりて一言、 法を謗るもの諸仏これを救はずと。 かの咎顕密の法輪を謗る、 あに弥陀の法身を破するにあらずや。 また般若経等を案ずるにいはく、 衆経とは仏母なり、 諸仏は法子なり。 もし一句の法を敬ふは、 十方の仏を喜ばしむ。 俗 (孝経) にいはく、 「所敬のものは寡く悦ぶものは衆し」 と。 矣 まさに知るべし、 二世の要道もっぱら帰法の誠にあり。 ¬法花¼ (巻四見宝塔品) にいはく、 「此経難持。 若暫持者、 我即歓喜、 諸仏亦然」 と。 矣 諸仏のなかに、 なんぞ弥陀を除くや。
就中弥陀如来、久修↢権実法門↡、円↢満菩提ノ妙果↡。因↠茲一言、謗↠法者諸仏不↠救↠之。彼咎謗↢顕密之法輪↡、豈非↠破↢弥陀之法身↡乎。又案↢般若経等↡云、衆経ト者仏母也、諸仏者法子也。若敬↢一句之法↡、令↠喜↢十方之仏↡。俗云、「所敬者寡ク而悦者ハ衆シ。」矣 当↠知、二世ノ要道専在↢帰法之誠↡。¬法花¼云、「此経難持。若暫0783持者、我即歓喜、諸仏亦然。」 矣 諸仏之中、何除↢弥陀↡乎。
およそ謗法の罪、 受持の福、 諸経の誠証、 勝計すべからず。 しかるにいま濫悪の輩国土に充満す、 十方の賢聖なんぞ感応を垂れんや。 これ一
凡謗法之罪、受持之福、諸経誠証、不↠可↢勝計↡。而今濫悪之輩充↢満国土↡、十方賢聖何垂↢感応↡。是一
またかの輩いはく、 真言・止観の修行、 法相・三論の学業、 ただ名利の道、 ながく出離の要にあらずと 云々。 愚痴の道俗深くこの言を信ず。 これによりて鎮国の高僧これを軽んずること芥蔕のごとく、 練行の名徳これを視ること泥土に同ず。 まつたく福田を敬はず、 なんぞ国家を安ずることを得んや。 これ二
又彼輩云、真言・止観之修行、法相・三論之学業、只為リ↢名利之道↡、永非↢出離之要↡ 云云。愚痴之道俗、深ク信↢此言↡。因↠茲鎮国ノ高僧軽コト↠之如↢芥蔕ノ↡、練行ノ名徳視↠之同↢泥土↡。全不↠敬↢福田↡、何得↠安↢国家ヲ↡乎。是二
それ人倫の行、 孝より大なるはなし、 孝道の道先例に遵ずるにあり。 これをもつて先王の法言にあらずはあへて言はず、 先王の徳行にあらずはあへて行はず。 しかるにわが朝は、 欽明の皇帝天下に王たりしよりこのかた、 蕃侯はじめて仏法を伝ふ、 儲君もつぱら聖典を弘む。 四海ことごとく鵝王に帰し、 八埏おなじく象教を敬ふ。 蘭寺国郡に並び、 鴈塔都鄙に多し。 その機感によりて、 おのおの本尊を定む。 あるいは薬師、 あるいは釈迦、 宿縁の所進、 さらにもつて一同ならず。 いはんやまた法花・般若の講会を始め置き、 来葉後昆の繁昌を祈請す。 先人の徳行それ来れること尚し。
夫人倫之行莫シ↠大ナルハ↠於↠孝、孝道之道在リ↠遵ニ↢先例ニ↡。是以非↢先王之法言ニ↡者弗ズ↢敢言↡、非↢先王之徳行↡者弗↢敢テ行↡。而吾朝者、欽明ノ皇帝王タリシヨリ↢於天下ニ↡以来、蕃侯初テ伝↢仏法↡、儲君専ラ弘ム↢聖典ヲ↡。四海悉帰↢鵝王↡、八埏同ク敬↢象教↡。蘭寺並↢国郡ニ↡、鴈塔多シ↢都鄙ニ↡。依↢其機感↡、各定↢本尊ヲ↡。或薬師、或釈迦、宿縁之所進、更以不↢一同↡。況又始↢置キ法花・般若之講会↡、祈↢請ス来葉後昆之繁昌ヲ↡。先人徳行其来コト尚シ矣。
しかるに一向専修興盛の後、 弥陀にあらずは尊容を拝せず、 念仏にあらずは法音を聴かず。 おほいに心諂曲にして、 祖業墜ちなんと欲す。 不孝の罪、 なにをもつてかくのごとし。 先霊恨を含み、 上天瞋を生ぜんか。 第三
而一向専修興盛之後、非↢弥陀↡者不↠拝↢尊容↡、非↢念仏↡者不↠聴↢法音↡。大心諂曲ニシテ、祖業欲↠墜ナムト。不孝之罪、以↠何如↠之。先霊含↠恨、上天生↠瞋ヲ歟。第三
音の衰楽をもつて国の盛衰を知る。 ¬詩¼ の序 (詩経) にいはく、 「治まる世の音は安らかにしてもつて楽しぶ、 その政ごと和せばなり。 乱世の音は怨みてもつて忿る、 その政ごと乖ければなり。 亡国の音は哀みてもつて思へり、 その民の困めばなり」 と。 云々 しかるにこのごろ念仏の音を聞くに、 理世撫民の音に背けり。 すでに哀慟の響をなす、 これ亡国の音なるべし 矣。 第四
以↢音ノ衰楽↡知↢国ノ盛衰ヲ↡。¬詩ノ¼序曰、「治ル世之音ハ安シテ以楽シブ、其政ゴト和セバナリ。乱世之音ハ怨テ以0784忿、其政ゴト乖レバナリ。亡国ノ之音ハ哀テ以思ヘリ、其民ノ困メバナリ。」云云 而聞↢近来念仏之音↡、背↢理世撫民之音↡。已成↢哀慟之響↡、是可↢亡国之音↡ 矣。第四
出家し世を厭ふ輩、 古来その人多し 矣。 名を朝市に銷し、 跡を山藪に晦めて、 閑かに浄業を修し、 みな往生を遂ぐ。 伝記に載するところ、 勝計すべからず。 しかるに当世の一向専修の為体なり。 党を結び群を成し、 城に闐ち郭に溢る。 槐門棘路多くこの教に帰し、 甕牖縄枢みなその道に入る。 耳目見聞、 これを怪まざるなし。 弓馬の客・筆硯の士、 多く箕裘の業を抛て、 なかば素食の身となりたり。
出家厭↠世之輩、古来其人多シ 矣。銷シ↢名於朝市↡、晦メテ↢跡於山藪ニ↡、閑修↢浄業↡、皆遂↢往生↡。伝記所↠載、不↠可↢勝計↡。而当世一向専修為↠体也。結↠党成↠群、闐チ↠城溢ル↠郭ニ。槐門棘路多帰↢此教↡、甕牖縄枢皆入↢其道↡。耳目見聞、莫↠不↠怪↠之。弓馬之客・筆硯之士、多ク抛ムテ箕裘之業ヲ↡、半バ作タリ↢素食之身↡。
もしなほ勅制に降せずは、 おそらくはつひに良人を失はんか。 諸宗の綾廃・わが朝の衰弊、 事の大概を案ずるに、 もとよりなほかくのごとし。 第五
若尚不ハ↠降↢勅制↡、恐終ニ失ハム↢良人↡歟。諸宗之綾廃・吾朝之衰弊、案↢事之大概↡、職而由↠斯。第五
延暦寺奏状 四
一 諸教の修行を捨てて弥陀仏を専念する広行流布の時節いまだ至らざる事
一 捨↢諸教修行↡而専念↢弥陀仏↡広行流布時節未↠至事
右 ¬双巻経¼ (大経巻下) に念仏の法門を説く文にいはく、 「当来の世に経道滅尽す、 我慈悲をもつて哀愍し、 特にこの経を留め止住すること百歳せん」 と。 云々 慈恩 ¬西方要決¼ (意) にこの文を釈していはく、 「如来の説教、 潤益に時あり。 末法万年に余経ことごとく滅して、 弥陀の一教のみ利物偏増ならん。 時末法満一万年を経、 一切諸経并びて滅没に従ふ。 釈迦の恩重くして、 教を留むること百年ならん」 と。 云々
右¬双巻経¼説↢念仏法門↡之文云、「当来之世経道滅尽、我以↢慈悲↡哀愍、特留↢此経↡止住百歳。」云云 慈恩¬西方要決¼釈↢此文↡云、「如来説教、潤益有↠時。末法万年余経悉滅シテ、弥陀一教ノミ利物偏増ナラム。時経↢末法満一万年↡、一切諸経并従↢滅没↡。釈迦恩重クシテ、留↠教百年ナラム。」云云
余経ことごとく滅するは、 すなはち末法万年の後を指すなり。 さらに時末法満一万年を経一切諸経并びて滅没に従ふといふ、 あに末法万年の内をもつて、 さらに経道滅尽の期とするや。 なかんづく慈恩の釈は、 ¬善見律¼ に依る。 かの律の文 (巻一八) にいはく、 「如来滅後一万年の中、 前の五千年をば名づけて証法とし、 後の五千年をば名づけて学法とす。 一万年の後、 経書滅没して、 ただ力頭を鬀り袈裟を著たる僧のみあり」 (取意) と。
余経悉滅者、即指↢末法万年之後↡也。更云↢時経末法万一万年一切諸経并0785従滅没↡、豈以↢末法万年之内↡、更為↢経道滅尽之期↡乎。就中慈恩釈者、依↢¬善見律¼↡。彼律文云、「如来滅後一万年中、前五千年ヲバ名為↢証法↡、後五千年ヲバ名為↢学法ト↡。一万年後、経書滅没シテ、唯有↧鬀リ↢力頭ヲ↡著タル↢袈裟↡僧ノミ↥。」
慈恩はまさしくこの時を指して余経悉滅と謂ふなり。 まさに知るべし、 正像末法の間においては、 念仏偏増の時にあらず (矣)。
慈恩ハ正指↢此時↡謂↢余経悉滅ト↡也。当↠知、於テハ↢正像末法之間ニ↡、非↢念仏偏増之時↡。
しかるにかれらのいはく、 釈尊滅後、 星霜眇なり。 たとひ帰命を致すもなんの験かあらん、 聖を去ること遠きのゆゑなり。 また時末法に入り、 余経すでに滅して、 弥陀念仏のほか、 さらに法として信ずべきなし。 これをもつて人師釈して (西方要決) いはく、 「末法万年余経悉滅、 弥陀一教利物偏増」 といへりと。 云々 魯愚の至、 晋退未度なり。
而彼等云、釈尊滅後、星霜眇焉。設致↢帰命ヲ↡有↢何之験カ↡。去聖而遠之故也。又時入↢末法↡、余経已滅シテ、弥陀念仏之外、更無↢法トシテ而可↟信。是以人師釈云、「末法万年余経悉滅、弥陀一教利物偏増トイヘリ。」云云 魯愚之至、晋退未度。
かの人師の釈その意右のごとし。 時経末法満一万年の文を隠し、 末法万年余経悉滅の言を称す。 その意趣を推するに、 時人を朦さんと欲するなり。
彼人師釈其意如↠右。隠↢時経末法満一万年之文↡、称↢末法万年余経悉滅之言↡。推↢其意趣↡、欲↠朦ムト↢時人↡也。
いかにいはんや如来の出世、 さらに異説あり。 天台の ¬浄名疏¼ 等のごとくは、 周の荘王ほかの代をもつて、 釈尊出世の時となす。 その代よりこのかた、 いまだ二千年を満てず。 像法の最中なり、 末法と言ふべからず。 たとひ末法のなかに入るといへども、 なほこれ証法の時なり。 もし修行を立つれば、 いづくんぞ勝利を得ざらん。
何況如来出世、更有↢異説↡。如↢天臺¬浄名疏¼等↡者、以↢周荘王他之代↡、為↢釈尊出世之時↡。自↢其代↡以来、未↠満↢二千年↡。像法ノ最中也、不↠可↠言↢末法ト↡。設雖↠入↢末法中ニ↡、尚是証法時也。若立↢修行↡、盍ゾラン得↢勝利ヲ↡。
しかのみならず ¬法花¼ (巻六常不敬品) には 「像法の中において」 の説あり、 ¬般若¼ (羅什訳仁王経巻下嘱累品) には 「八千年中」 の文あり。 大教の流行、 あにこの時にあらずや。 しかるに一向専修の輩、 説教繁昌の時において、 衆経滅尽の行を立つる事の反覆、 時変といふべし。
加之¬法花ニハ¼有↢「於像法中」之説↡、¬般若¼有↢「八千年中」之文↡。大教之流行、豈非↢是時↡乎。而一向専修之輩、於↢説教繁昌之0786時ニ↡、立↢衆経滅尽之行↡事之反覆、可↠謂↢時変↡。
そもそも大師釈尊は、 聖容満月の影、 鶴林の雲に隠るといへども、 法身慧日の光、 さかんに馬台の闇を耀かす。 もし釈迦の遺教に遇はずは、 なんぞ弥陀の悲願を知ることを得んや。 この重恩を知らず、 還りてその軽慢を生ず、 ながく恩儀を顧ざる、 なんぞこれ木石に異ならんや。 孔子 (孝経) のいはく、 「その親を敬はずして他人を敬ふ、 これを悖礼と謂ふ」 と。 深く諸教の主を忽にす、 等閑して他仏を敬ふ。 狐その塚に反らず、 葉その根を敞さずとは、 けだしこのいいか。
抑大師釈尊者、聖容満月之影、雖↠隠ト↢鶴林之雲ニ↡、法身慧日之光、盛ニ耀カス↢馬台之闇ヲ↡。若不↠遇↢釈迦之遺教↡者、何得↠知↢弥陀之悲願↡乎。不↠知↢此重恩ヲ↡、還生↢其軽慢ヲ↡、永不↠顧↢恩儀↡、何是異↢木石↡。孔子云、「不シテ↠敬↢其親↡而敬フ↢他人ヲ↡、謂フ↢之悖礼ト↡。」深ク忽ニス↢諸教主ヲ↡、等閑敬↢他仏↡。狐不↠反ラ↢其塚ニ↡、葉不↠敞サ其根↡者、蓋此謂歟。
つとに謗法の罪を誡めて禁遏の制を加へられんことを欲す 矣。
欲↧早誡テ↢謗法之罪ヲ↡被↞加↢禁遏之制↡ 矣。
延暦寺奏状 五
▲一 一向専修の輩経に背き師に逆ふ事
一 一向専修輩背↠経逆↠師事
右かの輩いはく、 もし戒律を持ち、 もし他仏を敬ふ、 あるいは観念を修し、 あるいは経論を読む、 称名のほかは、 みなこれ雑行なり。 精誡を致すといへども、 浄土に生ずることなし。 不浄を論ぜず、 心乱を論ぜず、 ただ弥陀を念ずればすなはち往生を得。 十悪・五逆、 なほ極楽の妨にあらず、 無慚無愧、 あに安養の業を簡ばんや。
右彼輩云、若持↢戒律↡、若敬↢他仏↡、或修↢観念↡、或読↢経論↡、称名之外ハ、皆是雑行也。雖↠致↢精誡↡、無↠生↢浄土↡。不↠論↢不浄↡、不↠論↢心乱↡、但念↢弥陀↡即得↢往生↡。十悪・五逆、尚非↢極楽之妨↡、無慚無愧、豈簡↢安養之業↡耶。
もし悪業を怖るるは、 仏願を疑ふ人なり。 偽妄の旨をもつて、 言語道断す。 ¬観無量寿経¼ を披きて九品の業を検ぶるに、 上品の三輩・中品の三生は、 大乗を読誦し、 浄戒を堅持す、 これその業因なり。 乃至もつて十二部経の首題を聞くを下品上生の業因とす。 ただ下品下生に至りて、 独り十声の称名を勧む。 かれらあながちに下品の業を執す、 還りて上品の因を謗るか。
若怖↢悪業↡者、疑↢仏願↡之人也。以偽妄之旨、言語道断ス。披テ↢¬観無量寿経ヲ¼↡検ルニ↢九品業ヲ↡、上品三輩・中品三生者、読↢誦大乗↡、堅↢持浄戒↡、是其業因也。乃至以聞↢十二部経之首題ヲ↡而為↢下品上生之業因ト↡。但至↢下品下生↡、独リ勧ム↢十声ノ称名ヲ↡。彼等強ニ執↢下品之業ヲ↡、還テ謗↢上品之因↡乎。
しかのみならずひとへに経典を誦して金蓮の迎を得、 もつぱら戒律を守りて白毫光に遇へる輩、 伝録緗帙に盈ち、 行状漂囊に溢る。 かの道綽・善導は、 専修の祖宗なり。 しかるに深く衆悪を怖れ、 兼ねて事善を修す。 もしこれ仏願を疑ふ人か、 はたまた悪趣に堕す輩か。
加之偏0787ニ誦↢経典↡得↢金蓮迎↡、専守↢戒律↡遇↢白毫光ニ↡之輩、伝録盈チ↢于緗帙ニ↡、行状溢ル↢於漂囊ニ↡。彼道綽・善導者、専修之祖宗也。而深怖↢衆悪↡、兼修↢事善↡。若是疑↢仏願↡之人歟、将又堕↢悪趣↡之輩歟。
世に一紙の書あり、 ¬善導遺言¼ と号す。 かの文 (意) にいはく、 「吾もろもろの禁戒を持ち、 一々の戒を犯さず。 未来世の比丘戒を捨てずして念仏せよ。 念仏すといへども戒を捨てて往生すなはち得がたし。 乃至 懺悔の心に至ることなければ万の万生ぜず」 と。 云々 かの党類造悪にして改悔の心なし、 破戒にして堅持の望なし。 経に背し師に違する、 依馮たれにかあらん。
世有↢一紙書↡、号↢¬善導遺言ト¼↡。彼文云、「吾持↢諸禁戒↡、不↠犯↢一々戒↡。未来世比丘不↠捨↠戒念仏セヨ。雖↢念仏↡捨テ↠戒往生即難↠得。乃至 無レバ↠至コト↢懺悔心↡万之万不↠生ゼ。」云云 彼党類造悪ニシテ而無↢改悔之心↡、破戒ニシテ而无↢堅持之望↡。背↠経違スル↠師、依馮在↠誰ニカ。
およそかの宗に入る人はまづ万善を棄置し、 その衆に交はる類はすなはち大罪を怖れず。 仏像・経巻に対して敬重の思をも生ぜず、 寺塔・僧房に入りても汚穢の行を憚ることなし。 いかでか懈怠放逸の行を立てて、 清浄善根の界に生ずることを得んや。 轅を北にしてまさに楚に適かんとし、 石を緘めて宝とするものか。
凡入↢彼宗↡之人者先棄↢置シ万善↡、交↢其衆ニ↡之類者即不↠怖↢大罪↡。対シテ↢仏像・経巻↡不↠生↢敬重之思ヲモ↡、入テモ↢寺塔・僧房ニ↡無↠憚↢汚穢之行↡。争立テヽ↢懈怠放逸之行↡、得↠生コトヲ↢清浄善根之界ニ↡。北ニシテ↠轅ヲ将↠適ムト↠楚ニ、緘ムデカヾメテ↠石ヲ而為↠宝者歟。
それ諸仏の大悲は悪逆を捨てず、 真如の理観は定散を辨ふることなし。 善悪不二、 邪正一徹、 これ説教の誡説なり。 しかりといへども悪を造ればかならず獄に堕し、 善を修せばさだめて天に生ず。 自業自得の報、 亡ぜず失せざる理なり。 これをもつて 「諸悪莫作諸善奉行」 は、 なんぞ七仏の通誡にあらずや。
夫諸仏大悲者不↠捨↢悪逆ヲ↡、真如ノ理観者無↠辨コト↢定散↡。善悪不二、邪正一徹、是説教誡説也。然而モ造↠悪必堕シ↠獄、修↠善定生↠天。自業自得之報、不↠亡不↠失之理也。是以「諸悪莫作諸善奉行ハ」、寧非↢七仏通誡ニ↡乎。
太陽は光明ありといへども盲者これを見ず、 大悲偏頗なしといへども罪人これに預らず。 しかるにいまただ微弱の称名を恃みて、 極重の悪業に憚らず、 詐偽の至、 責めても余りあり 矣。
太陽ハ雖↠有↢光明↡盲者不↠見↠之、大悲雖↠無↢偏頗↡罪人不↠預↠之ニ。而今只恃テ↢微弱之称名ヲ↡、不↠憚↢極重之悪業ニ↡、詐偽之至、責テモ而有↠余 矣。
延暦寺奏状 六
▲一 一向専修の濫悪を停止し護国の諸宗を興隆せらるべき事
一0788 可↠被↧停↢止一向専修濫悪↡興↦隆護国諸宗↥事
右仏法・王法、 互に守り互に助く。 たとへば鳥の二翅のごとく、 なほ車の両輪に同じ。
右仏法・王法、互守リ互助ク。喩バ如↢鳥ノ二翅↡、猶同↢車両輪↡。
¬大集経¼ (月蔵分巻五二魔敬信品) の説を案ずるに、 「仏法の精気をもつて、 鬼神の精気を益す。 鬼神に精気あれば、 すなはち五穀に精気多し。 五穀に精気あれば、 すなはち人倫豊楽なり。 これをもつて深く仏法を敬ひ、 王法に背かず。 この四つ輪転して、 互に国土を保つ。 もし仏法衰微に属すれば、 すなはち鬼神法味に飢ふ。 よりて草木の精を吸ひ、 穀麦の気を餐す。 人倫これを食して心正直ならず。 仏法僧の三宝を敬ふことを肯ぜず、 ながく貪瞋痴の三毒に迷悶す」 (取意載之) と。
案ルニ↢¬大集経¼説↡、「以↢仏法之精気↡、益↢鬼神之精気↡。鬼神有↢精気↡、則五穀多↢精気↡。五穀ニ有レバ↢精気↡、則人倫豊楽ナリ。是以深敬↢仏法↡、不↠背↢王法↡。此四ツ輪転シテ、互保↢国土ヲ↡。若仏法属レバ↢衰微ニ、則鬼神飢フ↢法味ニ↡。仍吸ヒ↢草木之精↡、餐↢穀麦之気↡。人倫食↠之心不↢正直↡。不↠肯↠敬↢仏法僧之三宝↡、永迷↢悶ス貪瞋痴之三毒↡。」
しかるにいま仏法を誹謗する輩、 諸国に往々これあり。 六字の称名を除きてのほかは、 衆善勤行の人なし。 国土の衰微、 これたれが過か。 宋の文帝仏法を讃歎して侍中の和尚之に談じて (梁高僧伝巻七) いはく、 「もし率度の賓をしてみなこの化を涼ならしむれば、 すなはち朕坐しながら尽平を被ると 云々。 尚之対へていはく、 悠々の徒、 多く法を信ぜず。 もし家々をして持戒ならしむれば、 すなはち一国刑を止む」 と。 云々
而今誹↢謗仏法↡之輩、諸国往々有↠之。除↢六字称名↡之外、無↢衆善勤行之人↡。国土衰微、此誰カ過乎。宋文帝讃↢歎仏法↡談↢侍中ノ何尚之ニ↡曰、「若使レバ↣率度之賓ヲシテ皆涼↢此化↡、則朕坐ナガラ被↢尽平ヲ↡ 云云。尚之対テ云ク、悠々之徒、多不↠信↠法。若使↢家々ヲシテ持戒↡、則一国止↠刑ヲ。」云云
まことなるかな、 この言最聞取すべし。 仏法に五戒あり、 世間に五常あり。 その言異なりといへどもその旨これ同じ。 もし仏家の戒行を破せば、 いかでか王者の律令を守らんや。 ここに源空邪宗を建立してもつて来る、 戒律さらに隠れ、 礼誼また廃たる。 つとに賢王の徳化を施して、 まさに闇民の危厄を救ふべし。
実哉、斯言最可↢聞取↡。仏法ニ有↢五戒↡、世間有↢五常↡。其言雖↠異ト其旨惟同ジ。若破↢仏家之戒行↡者、争守↢王者之律令↡乎。爰源空建↢立シテ邪宗↡以来、戒律更隠レ、礼誼又廃タル。早施シテ↢賢王之徳化↡、当ニ↠救フ↢闇民之危厄ヲ↡。
かさねて承和二年の官符を案ずるにいはく、 自今以後、 よろしく天台宗をして天下に弘博し、 諸国の講読師は天台宗の僧を任ぜしむべし (取意載之) と。 しかるに旧風やうやく絶え、 故儀忘れたるがごとし。
重テ案↢承和二年ノ官符ヲ↡云ク、自今以後、宜クシ↠令↧天臺宗ヲシテ弘↢博天下ニ↡、諸国講読師ハ任↦天臺宗ノ僧↥。而0789旧風漸絶、故儀如↠忘タルガ。
今上陛下、 政ごと幽玄に入りて三皇一を加ふ 矣。 徳淳素に反りて、 五帝六とせん。 絶えたるを継ぎ廃せらるを興ぜんこと、 さらにいづれの時をか期せん。 しかればすなはち戒定恵を諸国に弘通し、 仏法僧を一天に仰崇し、 専修の張本を遠流に処して、 ながく本郷に帰せしめざれば、 太平の化、 基年に得べし 矣。
今上陛下、政入テ↢幽玄ニ↡三皇加↠一ヲ 矣。徳反テ↢淳素ニ↡、五帝為ム↠六ト焉。継ギ↠絶ヲ興ゼムコト↠廃ヲ、更期↢何時ヲカ↡。然則弘↢通シ戒定恵ヲ於諸国ニ↡、仰↢崇シ仏法僧於一天↡、処シテ↢専修張本於遠流↡、永不↠令↠帰↢本郷↡者、太平之化、基年ニ可↠得 矣。
以前の条々言上件のごとし。 そもそも愚蒙の輩いはく、 時さらに衰微して人やうやく澆訛す。 仏法・人法、 救いがたく興しがたしと 云々。 悲しきかな、 一言まことに道を亡すに畿し。
以前条々言上如件。抑愚蒙輩云、時更ニ衰微シテ人漸ク澆訛ス。仏法・人法、難↠救難↠興 云云。悲哉、一言実ニ畿シ↠亡スニ↠道ヲ。
貞観七年の魏微 (貞観政要意) にいはく、 「亡ぶときはすなはち治を思ひ、 治を思ふときはすなはち教を易ふ。 五帝三王人を易へずして治まる。 帝の道を行ふときはすなはち帝なり、 王の道を行ふときはすなはち王なり」 と。 云々 太宗つねに力め行ひて倦まず、 数年の間に、 海内に康寧なり。
貞観七年ノ魏微ニ曰ク、「亡ブトキハ則思↠治ヲ、思フトキハ↠治ヲ則易フ↠教ヲ。五帝三王不シテ↠易ヘ↠人ヲ而治マル。行フトキハ↢帝ノ道ヲ↡則帝ナリ、行トキハ↢王ノ道ヲ↡則王ナリ。」云云 太宗毎ニ力メ行フテ不↠倦マ、数年ノ間ニ、海内ニ康寧ナリ。
ここに知りぬ、 国の興廃は、 いまだ時の前後によらず。 たとひ末代たりといへども、 たとひ乱世といへども、 明王仏神を敬ふ。 賢相礼楽を好むは、 国家の繁昌を待ちて得べし。 いかにいはんや如来の教籍は、 常住の法宝なり。 もし信心を致せば、 あに感応なきや。 ただ心の強弱を顧るべし、 なんぞさらに法の存没を疑はむ。
是知、国之興廃ハ、未↠依↢時之前後ニ↡。設雖↠為↢末代↡、設雖↠乱世↡、 明王敬↢仏神↡。賢相好↢礼楽↡者、国家繁昌待而可↠得。何況如来之教籍者、常住之法宝也。若致↢信心↡者、豈無↢感応↡乎。只可↠顧↢心之強弱ヲ↡、何更疑ハム↢法之存没ヲ↡。
望請す 恩裁、 一向専修を停止し八宗の教行を興隆せらるれば、 仏法・王法万歳の昌栄をなり、 天神・地神一朝の静謐を致す、 衆徒等法滅の悲に堪へず。
望請 恩裁、被↧停↢止一向専修↡興↦隆八宗教行↥者、仏法・王法成↢万歳之昌栄↡、天神・地神致↢一朝之静謐↡、衆徒等不↠堪↢法滅之悲↡。
誠惶誠恐謹言。
誠惶誠恐謹言。
*貞応三年五月十七日 都維那法橋上人位定尊
0790寺主法橋上人位良印
上座法橋上人位仁昇
貞応三年五月十七日 都維那法橋上人位定尊
0790寺主法橋上人位良印
上座法橋上人位仁昇
この日上奏せらる
此日被上奏
後堀河天皇宣旨(六月廿九日)
専修念仏の事。 停廃 宣下重畳のうへ、 ひそかになほ興行の条、 さらに公家の知りはべるところにあらず。 ひとへに司の怠慢にあり。 つとに先符に任せ禁遏せらるべし。 その上衆徒の蜂起においてはよろしく制止を加へしめたまふべきものなり、 天気によりて言上件のごとし。 信盛頓首恐惶謹言。
専修念仏事。停廃 宣下重畳之上、偸尚興行之条、更非公家之所知食。偏有司之怠慢。早任先符可被↢禁遏↡。其上於衆徒之蜂起者宣令加制止給者、依天気言上如件。信盛頓首恐惶謹言。
*六月二十九日 左衛門の権左信盛 奉
進上 天台座主大僧正の御房 政所
六月廿九日 左衛門権左信盛 奉
進上 天臺座主大僧正御房 政所
天台座主円基御教書(六月廿九日)
追言上
実の名を知らず兵衛の入道事、 日ならず関東を尋仰せらるべき由、 その沙汰候ふなり。 かさねて頓首謹言。
追言上
不知実名兵衛入道事、不日可被尋仰関東之由、其沙汰候也。重頓首謹言。
専修念仏の事。 勅答の趣、 論旨かくのごとし。 日ならず山上に披露せしめたまはば、 和尚の御房御気色かくのごとし。 よりて執達件のごとし。
専修念仏事。 勅答之趣、論旨如此。不日可令披露山上給者、和尚0791御房御気色如此。仍執達如件。
*六月二十九日 権大僧都
執当法印の御房
六月廿九日 権大僧都
執当法印御房
後堀河天皇綸旨(七月五日)
綸言に称せらる 専修念仏の行者は、 諸宗衰微の基なり。 これによりて代々の間、 しきりに厳旨を降さる、 殊に禁遏を加ふるところなり。 しかるに頃年また興行ありと称す、 山門訴申せしむあひだ、 先符に任せて停止せしむべき由、 仰せ下さりおはりぬ。 そのうへかつは仏法の綾夷を御示ぎ、 かつは衆徒の鬱訴を優ふによりて、 もつて根本となす隆寛・成覚・空阿弥陀仏等、 その身を遠流に処せしむべき由、 日ならず宣下せらるなり。 余の党においては、 その在所を尋ねながく帝土を追却せらるべきなり。 このうへはつとに愁訴を慰め蜂起の旨を停むべし。 時剋を廻らさず、 御下知あるべく候はば、 綸言かくのごとくこれを悉す。 頼隆誠恐謹言。
被 綸言称専修念仏之行者、諸宗衰微之基也。因茲代々之間、頻被降厳旨、殊所加禁遏也。而頃年又称有興行、山門令訴申之間、任先符可令停止之由、 被仰下先了。其上且御示仏法之綾夷、且依優衆徒之鬱訴、以謂根本隆寛・成覚・空阿弥陀仏等、可令処其身於遠流之由、不日所被宣下也。於↢余党↡者、尋其在所永可被追却帝土也。此上早慰愁訴可停蜂起之旨。不↠廻時剋、可有御下知候者、綸言如此悉之。頼隆誠恐謹言。
*七月五日 酉の剋 右中辨頼隆 奉
進上 天臺座主大僧正御房 政所
七月五日 酉剋 右中辨頼隆 奉
進上 天臺座主大僧正御房 政所
天台座主円基御教書(七月五日)
追言
兵衛の入道 実の名を知らず の事、 衆徒の奏聞に任す趣、 関東に仰せ遣られおはりぬ。 その状に随ひて左右あるべく候ふ。 この由同じく御下知あるべく候ふ。 かさねて恐惶謹言。
0792追言
兵衛入道 不知実名 事、任衆徒奏聞之趣、被仰遣関東了。随其状可有左右候。此由同可有御下知候。重恐惶謹言。
専修念仏の事。 綸旨かくのごとし。 時剋を廻らさず、 三塔に披露せしめたまふべくは、 和尚の御房に依る。
御気色執達件のごとし。
専修念仏事。 綸旨如此。不廻時剋、可令披露于三塔給者、依和尚御房。
御気色執達如件。
*七月五日戌の剋 権大僧都
執当の法印御房
七月五日戌剋 権大僧都
執当法印御房
校合畢りぬ
時に*寛永十九天極月吉日 書写しおはりぬ
校合畢
于時寛永十九天極月吉日 書写畢
御寺年預 奉上 これより五册の内 嵯峨二尊院尊慶
山門の執行探題天海大僧正殿
御寺年預 奉上 従是五册内 嵯峨二尊院尊慶
山門之執行探題天海大僧正殿
延書は底本の訓点に従って有国が行った。 なお、 訓(ルビ)の表記は現代仮名遣いにしている。
底本は栃木県輪王寺蔵寛永十九年尊慶書写本。