六(727)、 三昧発得記
▲また上人往生の時、 口称三昧を発得し、 つねに浄土の依正を見る、 みづからこれを筆するをもつて勢観房これを伝ふ。 上人往生の後、 明遍僧都これを尋ね、 一見を加へ随喜の涙を流す、 すなはち本処に送らる。 当時いささかこの由を聞き及ぶといへども、 いまだ本を見ざればその旨を記さず。 後かの記を得てこれを写す。 御生年六十六に当たる 長承二年癸の丑誕生。
○又上人在生之時、発得口称三昧、常見浄土依正、以自筆之勢観房伝之。上人往生之後、明遍僧都尋之、加一見流随喜涙、即被送本処。当時聊雖聞及此由、未見本者不記其旨。後得彼記写之。御生0728年当六十六 長承二年癸丑誕生。
建久九年正月一日、 山挑の法橋教慶の許より帰りて後、 未の時恒例の毎月七日念仏これを始行す。 一日、 明相少しきこれを現ず、 自然にはなはだ明らかなり。
◇建久九年正月一日、従山挑ノ法橋教慶之許帰後、未時恒例毎月七日念仏始↢行之↡。一日、明相少シキ現↠之、自然甚明也。
二日、 水想観自然にこれを成就す。 総じて念仏七箇日の内に、 地想観のなかに瑠璃の相少分これを見る。
◇二日、水想観自然成↢就之↡。総ジテ念仏七箇日之内ニ、地想観之中ニ瑠璃相少分見之。
二月四日の朝、 瑠璃地いま明らかにこれを現ず 云々。
◇二月四日朝、瑠璃地今明現↠之 云云。
六日後夜に、 瑠璃の宮殿の相これを現ず 云々。
◇六日後夜ニ、瑠璃宮殿ノ相現↠之 云々。
七日の朝、 かさねてまたこれを現ず。 すなはち宮殿の類に似てその相これを現ず。
◇七日朝、重テ又現↠之。即似↢宮殿ノ類ニ↡其相現↠之。
総じて水想・地相・宝樹・宝池・宮殿の五観、 始め正月一日より二月七日に至る、 三十七箇日の間也。 毎日七万反の念仏、 不退にこれを勤む。 これによりてこれらの相現ずるなり 云々。
◇総ジテ水想・地相・宝樹・宝池・宮殿之五観、始自正月一日至于二月七日、三十七箇日之間也。毎日七万反ノ念仏、不退勤↠之。依之此等ノ相現也 云云。
始め二月二十五日より、 明処にして開目。 眼根より仏出生す、 赤き袋瑠璃の壺をこれ見る。 その前には閉目にこれを見る、 目を開けばこれを失す。
◇始自二月廿五日、明処ニシテ開目。自眼根仏出生ス、赤袋瑠璃壺見之。其前ニハ閉目見之、開↠目失↠之。
二月二十八日、 念仏するによりてこれを延ぶ。 一万あるいは二万反、 左の眼にその後光明放つことあり、 また光の端赤し。 また眼に瑠璃あり、 その眼瑠璃の壺のごとし。 瑠璃の壺に赤き花あり、 宝瓶のごとし。 また日入りて後出でて四方を見るにあり、 また青き宝樹あり。 その高さ定まらず、 高下喜に随ふ、 あるいは四五丈、 あるいは二三丈 云々。
◇二月廿八日、依為念仏延↠之。一万或二万反、左眼ニ其後有↢光明放コト↡、又光ノ端赤シ。又眼ニ有↢瑠璃↡、其眼如↢瑠璃壺↡。瑠璃壺ニ有赤花、如↢宝瓶ノ↡。又日入テ後出見↢四方ヲ↡有、亦有↢青宝樹↡。其高无定、高下随↠喜、或四五丈、或二三丈 云云。
八月一日、 もとのごとく七万返これを始む。 九月二十二日の朝に及びて、 地想分明に現ず、 周囲七八段ばかりなり。 その後二十三日の後夜ならびに朝、 また分明にこれを現ず 云。
◇八月一日、如↠本七万返始之。及九月廿二日朝、地想分明ニ現ズ、周囲七八段計也。其後廿三日後夜并朝、又分明ニ現↠之 云。
正治二年二月の比、 地想等の五観、 行住坐臥に意に随ひ意に任せ、 任運にこれを現ず。
◇正治二年二月之比、地想等ノ五観、行住坐0729臥ニ随↠意ニ任↠意ニ、任運現↠之。
建仁九年二月八日の後夜に、 鳥の舌を聞く、 琴の音を聞く、 笛の音らを聞く。 その後日に随ひ自在に音を聴く。
◇建仁九年二月八日後夜ニ、聞↢鳥舌ヲ↡、琴ノ音ヲ聞、笛ノ音等ヲ↡聞。其後随↠日ニ自在聴↠音ヲ。
正月五日、 三度勢至菩薩の御後に、 丈六ばかりの御面現ず 云々。 西の持仏堂の勢至菩薩の形たり、 丈六の面現ぜり。 これすなはちこの菩薩すでに念仏法門をもつて所証の法門とするがゆゑに、 いま念仏者のためにその相を示現したまふことこれを疑ふべからず。
◇正月五日、三度勢至菩薩御後ニ、丈六計ノ御面現 云々。西ノ持仏堂ノ勢至菩薩ノ形タリ、丈六面現リ。是則此菩薩既以↢念仏法門↡為所証法門故、今為↢念仏者↡示現其相不↠可↠疑↠之。
同じき二十六日、 はじめて座処より下りて四方に一段ばかり、 青き瑠璃の地なり 云。 いまにおいては、 経ならびに釈によりて往生疑なし。 地観の文々に心得るに、 疑なきゆゑに 云々。 これを思ふべし。
◇同廿六日、始テ座処ヨリ下テ四方ニ一段許、青瑠璃地也 云。於今者、依経并釈往生無疑。地観ノ文々心得、無疑故 云云。可↠思↠之。
建仁二年二月二十一日、 高畠の少将殿持仏堂においてこれに謁す。 その間例のごとく念仏を修す。 阿弥陀仏を見て後、 障子より徹き通りて仏の面現ず。 大きさ長丈六の仏の面のごとし、 すなはちたちまちに隠れたまひぬ。 二十八日午の時なり。
◇建仁二年二月廿一日、高畠ノ少将殿於↢持仏堂ニ↡謁↠之ニ。其間如例修↢念仏ヲ↡。見阿弥陀仏之後、障子ヨリ徹通テ仏面而現。大如↢長丈六ノ仏ノ面ノ↡、即忽隠給ヌ。廿八日午時也。
元久三年正月四日、 念仏の間三尊大身を現じたまふ。 また五日前のごとし 云々。
◇元久三年正月四日、念仏之間三尊現↢大身ヲ↡。又五日如前 云々。
この三昧発得の記、 年来の間勢観房秘蔵して披露せず。 没後においてまのあたりならずにこれを伝へ得書きおはりぬ。
此三昧発得之記、年来之間勢観房秘蔵不披露。於没後不面伝得之書畢。