三(392)、 御教書御請
▲御教書御請第三
御教書の旨、 謹んで承り候ひ畢りぬ。 仰せ下され候ふところの一々の御不審の事、 あるいは一たび信心を起してさらに疑心なきは、 一念・十念をもつて決定往生となす。 その後称念せずといへども、 順次の往生さらにもつて不審するべからず。 また信心決定の後、 四重・五逆等の重罪を犯すといへども、 往生の障とするべからずと 云々。
御教書之旨、謹承候畢。所↧被↢仰下↡候↥之一々御不審事、或ハ一ビ起シテ↢信心ヲ↡更無↢疑心↡者、以↢一念・十念ヲ↡為↢決定往生↡。其後雖↠不↢称念↡、順次往生更以不↠可↢不審↡。又信心決定之後、雖↠犯↢四重・五逆等ノ重罪ヲ↡、不↠可↠為↢往生ノ障ト↡ 云云。
この義勿論の事に候ふ。 たとひ決定の信心を起し候ふといへども、 その後念ぜずならびに小罪といへどもこれを犯して懺ぜざるは、 あへて往生を遂げがたく候ふか。 いかにいはんや四重・五逆等の重罪を犯し候ふ者においては、 往生に及ばず、 還りて悪趣を免れがたく候ふ。
此義勿論ノ事ニ候。縦雖↧起↢決定信心↡候ト↥、其後不↠念ゼ并ニ雖↢小罪ト↡犯↠之不↠懺者、敢テ難↠遂↢往生↡候歟。何況ヤ於↧犯↢四重・五逆等之重罪ヲ↡候者ニ↥、不↠及↢往生ニ↡、還テ難↠免↢悪趣↡候。
ちかごろ諸宗の衆徒・都鄙の道俗、 喧嘩断たず候ふは、 みなこの義より起り候ふか。 あるいはたとひ深信を起して専称せらるといへども、 重罪を犯して後さらに懺悔念仏せずは、 順次の往生遂げがたし 云々。
近来諸宗之衆徒・都鄙之道俗喧嘩不↠断候ハ、皆此義ヨリ起リ候歟。或雖↧縦起シテ↢深信ヲ↡被↦専称↥、犯↢重罪ヲ↡後更ニ不↢懺悔念仏↡者、難↠遂↢順次往生↡ 云云。
この義神妙に候ふ。 「乃至一念無有疑心」 (礼讃) の釈、 「上尽一形下至十声・一声等」 (礼讃)、 決定往生すべき信ずべき文なり。 しかりといへども一念の後また念ぜずならびに罪を犯すは、 なほ決定往生を信ぜざるにあらず候ふ。
此義神妙ニ候。「乃至一念無有疑心」之釈、「上尽一形下至十声・一声等」、可↢決定往生↡可↠信文也0393。雖↠然一念之後又不↠念并ニ犯罪者、猶非↠不↠信↢決定往生↡候。
かくのごとく信じ候ふは、 一重は深心に似候ふといへども、 還りて邪見になり候ふか。 ちかごろこの邪見に住するもの輩多く候ふか。
如↠此信候者、一重ハ雖↧似↢深心ニ↡候ト↥、還テ成↢邪見ニ↡候歟。近来住↢此ノ邪見ニ↡者輩多候歟。
また一生不退の念仏は不慮に重罪を犯した後、 いまだ懺悔念仏せず。 命終は前の念仏の功によりて往生すべきや、 はたまた後の犯罪の咎によりて往生せずや。 この御疑は、 不慮の罪障はその過すこぶる軽く候ふといへども、 往生においてなほ不定に候ふ。 そのゆゑはすでに作れる罪に懺悔を用ゐず、 善業に障らずいふことなく候ふゆゑなり。
又一生不退念仏者不慮ニ犯↢重罪ヲ↡後、未 ズ ダ懺悔念仏↡。命終者依↢前ノ念仏ノ功ニ↡可キヤ↢往生↡哉、将又依↢後ノ犯罪ノ咎ニ↡不↢往生↡哉。此御疑者、不慮之罪障ハ雖↢其過頗ル軽ク候ト↡、於↢往生ニ↡猶不定ニ候。其故者已作之罪不↠用↢懺悔ヲ↡、無↠不ト云コト↠障↢善業↡候故也。
かつは子細御使に言上せしむべく候ふ。 また召され候ふところの弟子善恵房と申し候ふもの、 今明の間に進上せしむべく候ふ。 愚意の所存といささかも違はずは、 この言申し上げしめたまふべく候ふ。 恐惶謹言。
且者子細御使可↠令↢言上↡候。又所↢被↠召候↡弟子善恵房申候者、今明ノ間ニ可↠令↢進上↡候。愚意所存聊不↠違者、此言可↧令↢申上↡給↥候。恐惶謹言。
二月二十一日 源空 あるにいはく、 正本二尊院にありと。 云々 これを尋ぬべし
二月廿一日 源空 或云、正本在↢二尊院ニ↡。云云 可尋之 ▽