二七(1043)、要義十三問答
▲まことにこの身には、 道心のなき事と、 やまひとばかりや、 なげきにて候らむ。 世をいとなむ事なければ、 四方に馳ハシル騁ハシルせず、 衣食ともにかけたりといゑども、 身命をおしむこゝろ切ならぬは、 あながちにうれへとするにおよばぬ。 こゝろをやすくせむためにも、 すて候べきよにこそ候めれ。
◇いはむや、 无常のかなしみはめのまへにみてり、 いづれの月日おかおはりのときと期せむ。 さかへあるものもひ1044さしからず、 いのちあるものもまたうれえあり。 すべていとふべきは六道生死のさかひ、 ねがふべきは浄土菩提なり。
◇天上にむまれてたのしみにほこるといゑども、 五衰*退没のくるしみあり。 人間にむまれて国王の身をうけて、 一四天下おばしたがふといゑども、 生ウマル 老オイタル病ヤマウ死シヌル・ 愛別ワカレハナ離苦ルヽクル・シミ 怨ウラミ 憎ソネム会苦クルシミの一事もまぬかるゝ事なし。 これらの苦なからむすら、 三悪道にかへるおそれあり。 こゝろあらむ人は、 いかゞいとはざるべき。
◇うけがたき人界の生をうけて、 あひがたき仏教にあひ、 このたび出離をもとめさせたまへ。
◇一 問。 おほかたは、 さこそはおもふことにて候へども、 かやうにおほせらるゝことばにつきて、 さうなく出家をしたりとも、 こゝろに名利をはなれたる事もなし。 持戒清浄なる事なく、 无道心にて人に謗をなされむ事、 いかゞとおぼえ候。 それも在家にありておほくの輪廻の業をまさむよりは、 よき事にてや候べき。
◇答。 たわぶれに尼アマのころもをき、 さけにゑいて出家をしたる人、 みな仏道の因となりにきと、 ふるきものにもかきつたえられて候。
◇¬往生の十因¼ (意) と申ふみには、 「勝如聖人の父母ともに出家せし時、 男はとし四十一、 妻オメは卅三なり。 修行の僧をもちて師としき。 師ほめていはく、 衰老にもいたらず、 病患ウレエにものぞまず、 い1045ま出家をもとむ。 これ最上の善根なり」 とこそはいひけれ。
◇釈迦如来、 当来導師弥勒慈尊に付属したまふにも、 「破戒・重悪のともがらなりといふとも、 頭をそり、 衣をそめ、 袈裟をかけたらむものは、 みな汝につく」 とこそはおほせられて候へ。
◇されば破戒なりといゑども、 三会得脱なほたのみあり。 ある経の文には、 「在家の持戒には、 出家の破戒はすぐれたり」 とこそは申候へ。
◇まことに仏法流布の世にむまれて、 出離の道をえて、 解脱幢相のころもを肩にかけ、 釈子につらなりて、 仏法修行せざらむ。 まことに▲宝の山にいりて、 手をむなしくしてかへるためしなり。
◇二 問。 まことに出家などしては、 さすがに生死をはなれ、 菩提にいたらむ事をこそは、 いとなみにて候べけれ。 いかやうにかつとめ、 いかやうにかねがひ候べき。
◇¬安楽集¼ (巻上意) に云く、 「大乗の聖教によるに、 二種の勝法あり。 一には聖道、 二には往生浄土也」。
◇穢土の中にして、 やがて仏果をもとむるは、 みな聖道門なり。 諸法の実相を観じて証をえむと、 法華三昧を行じて六根清浄をもとめ、 三密の行法をこらして即身に成仏せむとおもふ。 あるいは四道の果をもとめ、 また三明六通をねがふ、 これみな難行道なり。
◇往生浄土門といふは、 まづ浄土に1046むまれて、 かしこにてさとりおもひらき、 仏にもならむとおもふなり、 これは易行道といふ。 生死をはなるゝみちみちおほし、 いづれよりもいらせたまへ。
◇三 問。 さればわれらがごときのおろかなるものは、 浄土をねがひ候べきか、 いかに。
◇答。 ¬安楽集¼ (巻上意) に云く、 「聖道の一種は、 いまの時には証しがたし。 一には大聖をされる事はるかにとおきによる。 二には理はふかくして、 さとりはすくなきによる。 このゆへに ¬大集◗月蔵経¼ にいはく、 わが末法のときの中の億億の衆生、 行をおこし道を修するに、 一人もうるものはあらず。
◇まことにいま末法五濁悪世なり。 たゞ浄土の一門のみありて通入すべきなり。 こゝをもて諸仏の大悲、 浄土に帰せよとすゝめたまふ。 一形悪をつくれども、 たゞよくこゝろをかけて、 まことをもはらにして、 つねによく念仏せよ。 一切のもろもろのさはり、 自然にのぞこりて、 さだめて往生をう。 なむぞおもひはからずして、 さるこゝろなきや」 といふ。
◇永観ののたまはく、 「真言・止観は、 理ふかくしてさとりがたく、 三論・法相は、 みちかすかにしてまどひやすし」 (往生拾因) なむど候。
◇まことに観念もたえず、 行法にもいたらざらむ人は、 浄土の往生をとげて、 一切の法門おもやすくさとらせたまはむは、 よく候なむとおぼえ候。
◇四 1047問。 十方に浄土おほし、 いづれおかねがひ候べき。 兜率の上生をねがふ人もおほく候、 いかゞおもひさだめ候べき。
◇答。 天臺大師ののたまはく、
「諸教に讃むるところ多く弥陀に在すがゆへに、 西方をもて一順とす」 (輔行巻二)
「諸教所↠讃多在↢弥陀↡故、 以↢西方↡而為↢一順↡」
と。 また顕密の教法の中に、 もはら極楽をすゝむる事は、 称計すべからず。
◇恵心の ¬往生要集¼ に、 十方に対して西方をすゝめ、 兜率に対しておほくの勝劣をたて、 難易相違の証拠をひけり、 たづね御覧ぜさせたまへ。
◇極楽この土に縁ふかし、 弥陀は有縁の教主なり、 宿因のゆへ、 本願のゆへ。 たゞ西方をねがはせたまふべきとこそおぼえ候へ。
◇五 問。 まことにさては、 ひとすぢに極楽をねがふべきにこそ候なれ、 極楽をねがはむには、 いづれの行かすぐれて候べき。
◇答。 善導釈してのたまはく、 「行に二種あり。 一には正行、 二には雑行なり。 正の中に五種の正行あり。 一には礼拝の正行、 二には讃嘆供養の正行、 三には読誦正行、 四には観察正行、 五には称名の正行なり。
◇一に礼拝の正行といふは、 礼せむには、 すなわちかの仏を礼して余礼をまじえざれ。
◇二に讃嘆供養の正行といふは、 讃嘆供養して余の讃嘆供養をまじえざれ。
◇三に読誦の正行といふは、 読誦せむには、 ¬弥陀経¼ 等の三部経を読誦して余の読誦をまじえざれ。
◇四に観ミソナハス 察カヾミルの正行といふは、 憶念観察せむには、 か1048の土の二報荘厳等を観察して余の観察をまじえざれ。
◇五に称名の正行といふは、 称せむには、 すなわちかの仏を称して余の称名をまじえざれ。
◇この五種を往生の正行とす。 この正行の中にまた二あり。 一には正、 二には助。 称名をもては正とし、 礼誦等をもちては助業となづく。 この正助二行をのぞきて、 自余の衆善はみな雑行となづく」 (散善義意)。
◇また釈していはく、 「自余の衆善は、 善となづくといゑども、 念仏にくらぶれは、 またく比校にナラブルト あらず」 (定善義) とのたまへり。
◇浄土をねがはせたまはゞ、 一向に念仏をこそはまふさせたまはめ。
◇六 問。 余行を修して往生せむことは、 かなひ候まじや。 されども ¬法華経¼ (巻六薬王品) には 「即往安楽世界阿弥陀仏」 といひ、 密教の中にも、 決定往生の真言、 滅罪の真言あり。 諸教の中に、 浄土に往生すべき功力をとけり、 また穢土の中にして仏果にいたるといふ。
◇かたき徳をだに具せらむ教を修行して、 やすき往生極楽に廻向せば、 仏果にかなうまでこそかたくとも、 往生はやすくや候べきとこそおぼえ候へ。 またおのづから聴聞などにうけたまはるにも、 法華と念仏ひとつものと釈せられ候。 ならべて修せむに、 なにかくるしく候べき。
◇答。 ¬双巻経¼ (大経巻下) に三輩往生の業をときて、 ともに 「一向専念无量寿仏」 とのたまへり。
◇¬観无量寿経1049¼ に、 もろもろの往生の行をあつめてときたまふおはりに、 阿難に付嘱したまふところには、 「なむぢこのことばをたもて。 このことばをたもてといふは、 无量寿仏のみなをたもてとなり」 とときたまふ。
◇善導 ¬観経¼ を釈してのたまふに、 「定散両門の益をとくといゑども、 仏の本願をのぞむには、 一向にもはら弥陀の名号を称せしむるにあり」 (散善義) といふ。
◇同き ¬経¼ (観経) の文に、 「一一の光明、 十方世界の念仏の衆生をてらして、 摂取してすてたまはず」 ととけり。
◇善導釈してのたまふには、 「論ぜず、 余の雑業のものをてらし摂取す」 (観念法門) といふことおばとかず候。
◇余行のものふつとむまれずとはいふにはあらず、 善導も 「廻向してむまるべしといゑども、 もろもろの疎雑の行となづく」 (散善義) とこそはおほせられたれ。
◇¬往生要集¼ (巻上) の序にも、 「顕密の教法、 その文ひとつにあらず。 事理の業因、 その行これおほし。 利智精進の人は、 いまだかたしとせず。 豫がごときの頑カタクナ嚕のもの、 たやすからむや。 このゆへに、 念仏の一門によりて、 経論の要文をあつむ。 これをひらき、 これを修するに、 さとりやすく行じやすし」 といふ。
◇これらの証拠あきらめつべし。 教をえらぶにはあらず、 機をはからふなり。 わがちからにて生死をはなれむ事、 はげみがたくして、 ひとへに他力の弥陀の本願をた1050のむ也。
◇先徳たちおもひはからひてこそは、 道綽は聖道をすてゝ浄土の門にいり、 善導は雑行をとゞめて一向に念仏して三昧をえたまひき。 浄土宗の祖師、 次第にあひつげり、 わづかに一両をあぐ。
◇この朝にも恵心・永観などいふ、 自宗・他宗、 ひとへに念仏の一門をすゝめたまへり。
◇専雑二修の義、 はじめて申におよばず。 浄土宗のふみおほく候、 こまかに御覧候べし。
◇また即身得道の行、 往生極楽におよはざらむやと候は、 まことにいわれたるやうに候へども、 なかにも宗と申ことの候ぞかし。
◇善導の ¬観経の疏¼ (玄義分意) にいはく、 「般若経のごときは、 空慧をもて宗とす、 ¬維摩経¼ のごときは、 不思議解脱をもちて宗とす。 いまこの ¬観経¼ は、 観仏三昧をもちて宗とし、 念仏三昧をもちて宗とす」 といふがごとき。
◇¬法華¼ は、 真如実相平等の妙理を観じて証をとり、 現身に五品・六根の位にもかなふ、 これをもちて宗とす。 また真言には、 即身成仏をもちて宗とす。
◇¬法華¼ にもおほくの功力をあげて経をほむるついでに、 「即往安楽」 (法華経巻六薬王品) ともいひ、 また 「即往兜率天上」 (法華経巻七勤発品) ともいふ。 これは便宜の説なり、 往生を宗とするにはあらず。 真言もまたかくのごとし。
◇法華・念仏ひとつなりといひて、 ならべて修せよといはゞ、 善導和尚は ¬法華¼・¬維摩¼ 等を読誦しき。 浄土の一門1051にいりにしよりこのかた、 一向に念仏して、 あえて余の行をまじふる事なかりき。
◇しかのみならず、 浄土宗の祖師あひつぎて、 みな一向に名号を称して余業をまじへざれとすゝむ。 これらを按じて専修の一行にいらせたまへとは申すなり。
◇七 問。 浄土の法門に、 まづなになにをみてこゝろつき候なむ。
◇答。 経には¬双巻¼・¬観无量寿¼・¬小阿弥陀経¼ 等、 これを浄土の三部経となづく。 文には善導の ¬観経の疏¼・¬六時礼讃¼・¬観念法門¼、 道綽の ¬安楽集¼、 慈恩の ¬西方要決¼、 懐感の ¬群疑論¼、 天臺の ¬十疑論¼、 わが朝の人師恵心の ¬往生要集¼ なむどこそは、 つねに人のみるものにて候へ。
◇たゞなにを御覧ずとも、 よく御こゝろえて念仏申させたまはむに、 往生なにかうたがひ候べき。
◇八 問。 こゝろおば、 いかやうにかつかひ候べき。
◇答。 三心を具足せさせたまへ。 その三心と申は、 一には至誠心、 二には深心、 三には廻向発願心なり。
◇一に至誠心といふは、 真実の心なり。 善導釈してのたまはく、 「至といふは真の義、 誠といふは実の義。 真実のこゝろの中に、 この自他の依正二報をいとひすてゝ、 三業に修するところの行業に、 かならず真実をもちゐよ。 ほかに賢善精進の相を現じて、 うちに虚仮をいだくものは、 日夜十二時につとめおこなふこと、 かうべの1052火をはらふがごとくにすれども、 往生をえずといふ。 たゞ内外明闇おばえらばず、 真実をもちゐるゆへに、 至誠心となづく。
◇二に深心といふは、 ふかき信なり。 決定してふかく信ぜよ、 自身は現にこれ罪悪生死の凡夫なり。 昿劫よりこのかた、 つねにしづみつねに流転して、 出離の縁あることなし。
◇また決定してふかく信ぜよ、 かの阿弥陀仏の四十八願をもて、 衆生をうけおさめて、 うたがひなくうらもひなく、 かの願力にのりてさだめて往生すと。
◇あふぎてねがはくは、 仏のみことおば信ぜよ。 もし一切の智者百千万人きたりて、 経論の証をひきて、 一切の凡夫念仏して往生する事をえずといはむに、 一念の 疑ウタガフ 退シリゾクのこゝろをおこすべからず。 たゞこたえていふべし、 なむぢがひくところの経論を信ぜざるにはあらず。 なむぢが信ずるところの経論は、 なむぢが有縁の教、 わが信ずるところは、 わが有縁の教、 いまひくところの経論は、 菩薩・人・天等に通じてとけり。
◇この ¬観経¼ 等の三部は、 濁悪不善の凡夫のためにときたまふ。 しかれば、 かの ¬経¼ をときたまふ時には、 対機も別に、 所も別に、 利益も別なりき。 いまきみがうたがひをきくに、 いよいよ信心を増マシ長すマストナリ。
◇もしは羅漢・辟支仏、 初地・十地の菩薩、 十方にみちみち、 化仏・報仏ひかりをかゞやかし、 虚空にみしたをはき1053て、 むまれずとのたまはゞ、 またこたえていふべし、 一仏の説は一切の仏説におなじ、 釈迦如来のときたまふ教をあらためば、 制止したまふところの殺生十悪等の罪をあらためて、 またおかすべからむや。
◇さきの仏そらごとしたまはゞ、 のちの仏もまたそら事したまふべし。 おなじことならば、 たゞ信じそめたる法おば、 あらためじといひて、 ながく退する事なかれ。 かるがゆへに深心なり。
◇三に廻向発願心といふは、 一切の善根をことごとくみな廻向して、 往生極楽のためとす。 決定真実のこゝろの中に廻向して、 むまるゝおもひをなすなり。 このこゝろ深信なる事、 金剛のごとくにして、 一切の異見・異学・別解・別行の人等に、 動乱し破壊せられざれ。
◇いまさらに行者のためにひとつのたとひをときて、 外邪・異見の難をふせがむ。 人ありて西にむかひて百里・千里をゆくに、 忽然とタチマチニ して中路にふたつの河あり。 一にはこれ火の河、 南にあり。 二にはこれ水の河、 北にあり。 各ひろさ百歩モヽアユミ、 ふかくしてそこなし、 南北にほとりなし。
◇まさに水火の中間に一の白道あり、 ひろさ四五寸ばかりなるべし。 この道東の岸より西の岸にいたるに、 ながさ百歩、 その水の波浪まじオナミコナミトイフわりすぎて道をうるおす、 火炎またきたりて道をやく。 水火あひまじわりてつねにやむ事なし。
◇この人すでに空ムナシク 昿ハルカナリのはるかな1054るところにいたるに、 人なくして群賊・悪獣あり。 このひとひとりありくをみて、 きおいきたりてころさむとす。 この人死をおそれてたゞちにはしりて西にむかふ。
◇忽然としてこの大河をみるに、 すなわち念言すらく、 南北にほとりなし、 中間に一の白道をみる、 きわめて狭セバク少セバシなり。 ふたつの岸あいさる事ちかしといゑども、 いかゞゆくべき。 今日さだめて死せむ事うたがひなし。
◇まさしくかへらむとおもへば、 群賊・悪獣やうやくにきたりせむ。 南北にさりはしらむとおもへば、 悪獣・毒虫きおひきたりてわれにむかふ。 まさに西にむかひてみちをたづねて、 しかもさらむとおもへば、 おそらくはこのふたつの河におちぬべし。
◇この時おそるゝ事いふべからず、 すなわち思念すらく、 かへるとも死し、 またさるとも死しなむ、 一種としても死をまぬかれざるものなり。 われむしろこのみちをたづねて、 さきにむかひてしかもさらむ。 すでにこのみちあり、 かならずわたるべしと。
◇このおもひをなす時に、 東の岸にたちまちに人のすゝむるこゑをきく。 きみ決定してこのみちをたづねてゆけ、 かならず死の難なけむ。 住せば。 すなわち死しなむ。 西の岸の上に人ありてよばひていはく、 なむぢ一心にまさしく念じて、 身心いたりて、 みちをたづねて直にすゝみて、 疑怯退心をなさず。
◇あるいは一分二分ゆくに1055、 群賊等よばいていはく、 きみかへりきたれ、 このみちはけあしくあしきみちなり、 すぐる事をうべからず、 死しなむことうたがひなし、 われらが衆あしきこゝろなし。
◇このひとあひむかふに、 よばふこゑをきくといゑどもかへりみず。 直にすゝみて道を念じてしかもゆくに、 須臾にすなわち西の岸にいたりて、 ながくもろもろの難をはなる。 善友あひむかひてよろこびやむ事なし。
◇これはこれたとひなり。 次に喩を合すといふは、 東の岸といふは、 すなわちこの娑婆の火宅にたとふるなり。
◇群賊・悪獣いつわりちかづくといふは、 すなわち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大なり。
◇人なき空昿の沢といふは、 すなわち悪友にしたがひて、 まことの善知識にあはざるなり。
◇水火の二河といふは、 すなわち衆生の貪愛は水のごとく、 瞋憎は火のごとくなるにたとふるなり。
◇中間の白道四五寸といふは、 衆生の貪瞋煩悩の中に、 よく清浄の願往生の心をなすなり。 貪瞋こはきによるがゆへに、 すなわち水火のごとしとたとふるなり。
◇水波つねにみちをうるおすといふは、 愛心つねにおこりて善心を染汚するソメケガストナリ なり。 また火炎つねにみちをやくといふは、 すなわち瞋嫌のこゝろよく功徳の法財をノリノタカラ やくなり。
◇人みちをのぼるに直に西にむかふといふは、 すなわちもろもろの行業をめぐらして、 直に西にむ1056かふにたとふるなり。
◇東の岸に人のこゑのすゝめやるをきゝて、 みちをたづねて直に西にすゝむといふは、 すなわち釈迦はすでに滅したまひてのち、 人みたてまつらざれども、 なほ教法ありてすなわちたづぬべし。 これをこゑのごとしとたとふるなり。
◇あるいは一分二分するに群賊等よばひかへすといふは、 別解・別行・悪見人等みだりに見解をときてあひ惑乱し、 およびみづから罪をつくりて退失するなり。
◇西の岸の上に人ありてよばふといふは、 すなわち弥陀の願のこゝろにたとふるなり。
◇須臾にすなわち西の岸にいたりて善友あひみてよろこぶといふは、 すなわち衆生のひさしく生死にしづみて、 昿劫より輪廻し、 迷マドフ倒しタフルヽ、 身づから迷て解脱するによしなし。
◇あふぎて*発遣して、 西方にむかへしめたまふ。 弥陀の悲心まねきよばひたまふに、 二尊の心に信順して、 水火の二河をかへりみず、 念念にわするゝ事なく、 かの願力に乗じて、 このみちにいのちをすておはりてのち、 かのくににむまるゝ事をえて、 仏とあひみて、 慶楽するヨロコビタノシマム事きわまりなからむ。
◇行者、 行住座臥の三業に修するところ、 昼夜時節をとふことなく、 つねにこのさとりをなし、 このおもひをなすがゆへに廻向発願心といふ。
◇また廻向といふは、 かのくにゝむまれおはりて、 大悲をおこして生死にかへりいりて、 衆生を1057教化するを廻向となづく。
◇三心すでに具すれば、 行の成ぜざることなし。 願行すでに成じて、 もしむまれずといはゞ、 このことわりある事なけむ」 (散善義意) と。 已上善導の釈の文なり。
◇九 問。 ¬阿弥陀経¼ の中に、 「一心不乱」 と候ぞかしな。 これ阿弥陀仏を申さむ時、 余事をすこしもおもひまぜ候まじきにや。 一声念仏申さむほど、 ものをおもひまぜざらむ事はやすく候へば、 一念往生にはもるゝ人候はじとおぼえ候。 またいのちのおはるを期として、 余念なからむ事は、 凡夫の往生すべき事にても候はず。 この義いかゞこゝろえ候べき。
◇答。 善導この事を釈してのたまはく、 ひとたび三心を具足してのち、 みだれやぶれざる事金剛のごときにて、 いのちのおはるを期とするを、 なづけて一心といふと候。
◇阿弥陀仏の本願の文に、
「たとひわれ仏を得むに、 十方の衆生、 心を至し信楽して、 わが国に生れむと欲ふて、 乃至十念せむ。 もし生れずは、 正覚を取らじ」 (大経巻上)
「設我得↠仏、 十方衆生、 至↠心信楽、 欲↠生↢我国↡、 乃至十念。 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡」
といふ。 この文に 「至心」 といふは、 ¬観経¼ にあかすところの三心の中の至誠心にあたれり。 「信楽」 といふは、 深心にあたれり。 これをふさねて、 いのちのおはるを期として、 みだれぬものを一心とは申なり。
◇このこゝろを具せらむもの、 もしは一日もしは二日、 乃至一声・十声に、 かならず往生する事をうといふ。 いかでか凡1058夫のこゝろに、 散乱なき事候べき。 さればこそ易行道とは申ことにて候へ。
◇¬双巻経¼ (大経巻下) の文には、
「横に五悪趣を截る、 悪趣自然に閉づ、 道に昇るに窮極なし。 往きやすくして人なし」
「横截↢五悪趣↡ | 悪趣自然閉 | 昇↠道無↢窮極↡ | 易↠往而無↠人」 |
ととけり。 まことにゆきやすき事、 これにすぎたるや候べき。
◇劫をつみてむまるといはゞ、 いのちもみじかく、 みもたえざらむ人、 いかゞとおもふべきに、 本願に 「乃至十念」 (大経巻上) といふ、 願成就の文に 「乃至一念もかの仏を念じて、 こゝろをいたして廻向すれば、 すなわちかのくににむまるゝ事をう」 (大経巻下意) といふ。
◇造悪のものむまれずといはゞ、 ¬観経¼ の文に、 五逆の罪人むまるととく。
◇もしよもくだり、 人のこゝろもおろかなる時は、 信心うすくしてむまれがたしといはゞ、 ¬双巻経¼ (大経巻下) の文に、
「当来の世に経道滅尽せむに、 われ慈悲哀愍をもて、 ことにこの経を留めて止住すること百歳せむ。 それ衆生あてこの経に値はむ者、 意の所願に随てみな得度すべし。」 云云
「当来之世経道滅尽、 我以↢慈悲哀愍↡、 特留↢此経↡止住百歳。 其有↢衆生↡値↢此経↡者、 随↢意所願↡皆可↢得度↡。」 云云
◇その時の衆生は三宝の名をきく事なし、 もろもろの聖教は竜宮にかくれて一巻もとゞまることなし。 たゞ悪邪无信のさかりなる衆生のみあり、 みな悪道におちぬべし。 弥陀の本願をもちて、 釈迦の大悲ふかきゆへに、 この教をとゞめたまひつる事百年なり。 いはむや、 このごろはこれ末法のはじめなり。 万年のゝちの衆生におとらむや。
◇かるがゆへに 「易往」 といふ。 しかりといゑども、 この教にあふものはかたく、 また1059おのづからきくといゑども、 信ずる事かたきがゆへに、 しかれば、 「無人」 といふ、 まことにことわりなるべし。
◇¬阿弥陀経¼ (意) に、 「もしは一日もしは二日、 乃至七日、 名号を執持して一心不乱なれば、 その人命終の時に、 阿弥陀仏もろもろの聖衆と現にその人のまへにまします。 おはる時、 心不顛倒して、 阿タフレタフルヽコトナシトナリ弥陀仏の極楽国土に往生する事をう」 といふ。
◇この事をときたまふ時に、 釈迦一仏の所説を信ぜざらむ事をおそれて、 「六方の如来、 同心同時におのおの広長の舌相をいだして、 あまねく三千大千世界におほいて、 もしこの事そらごとならば、 わがいだすところの広長の舌やぶれたゞれて、 くちにかへりいる事あらじ」 (観念法門) とちかひたまひき。
◇経の文、 釈の文あらはに候、 たゞよく御こゝろえ候へ。 また大事を成じたまひしときは、 みな証明ありき。 法華をときたまひしときは、 多宝一仏証明し、 般若をときたまひし時は、 四方四仏証明したまふ。 しかりといゑども、 一日七日の念仏のごときに証誠のさかりなる事はなし。 仏もこの事をことに大事におぼしめしたるにこそ候めれ。
◇十 問。 信心のやうはうけたまはりぬ。 行の次第いかゞ候べき。
◇答。 四修をこそは本とする事にて候へ。 一には長時修、 二には慇重修、 また恭敬修となづく、 三1060には无間修、 四には无余修なり。
◇一に長時修といふは、 慈恩の ¬西方要決¼ (意) にいはく、 「初発心よりこのかた、 つねに退転なきなり」。 善導は、 「いのちのおはるを期として、 誓て中にとゞまステズウシナハヌナリ らざれ」 (礼讃) といふ。
◇二に恭敬修といふは、 極楽の仏法僧宝において、 つねに憶念して尊重をなすなり。 ¬往生要集¼ にあり。
◇また ¬要決¼ (意) にいはく、 「恭敬修、 これにつきて五あり。 一には有縁の聖人をうやまふ、 二には有縁の像と教とをうやまふ、 三には有縁の善知識をうやまふ、 四には同縁の伴をうやまふ、 五には三宝をうやまふ。
◇一に有縁の聖人をうやまふといふは、 行住座臥西方をそむかず、 涕ツワキ唾ハキ便利ダイベン西方にむかはざれといふ。
◇二に有縁の像と教とをうやまふといふは、 弥陀の像をあまねくつくりもかきもせよ。 ひろくする事あたはずは、 一仏二菩薩をつくれ。 また教をうやまふといふは、 ¬弥陀経¼ 等を五色の袋にいれて、 みづからもよみ他をおしへてもよませよ。 像と経とを室のうちイヱノウチナリ に安置して、 六時に礼讃し、 香華供養すべし。
◇三に有縁の善知識をうやまふといふは、 浄土の教をのべむものおば、 もしは千由旬よりこのかた、 ならびに敬重し親近し供養すべし。 別学のものおも総じてうやまふこゝろをおこすべし。 もし慢をなさば、 つみをうる事きわまりなし。 すゝめても衆生のために1061善知識となりて、 かならず西方に帰する事をもちゐよ。 この火宅に住せば、 退シリゾキ没シヅムありていでがたきがゆへなり。 火界の修道はなはだかたきがゆへに、 すゝめて西方に帰せしむ。 ひとたび往生をえつれば、 三学自然に勝進しぬ。 万行ならびにそなわるがゆへに、 弥陀の浄国は造悪の地なし。
◇四に同縁の伴をうやまふといふは、 おなじく業を修するものなり。 みづからはさとりおもくして独業は成ぜりといゑども、 かならずよきともによりて、 まさに行をなす。 あやうきをたすけ、 あやうきをすくふ事、 同伴の善縁なり、 ふかくあひたのみておもくすべし。
◇五に木のかたぶきたるが、 たうるゝには、 まがれるによるがごとし。 ことのさわりありて、 西にむかふにおよばずは、 たゞ西にむかふおもひをなすにはしかず」。
◇三に无間修といふは、 ¬要決¼ (意) に云、 「つねに念仏して往生のこゝろをなせ。 一切の時において、 こゝろにつねにおもひたくむべし。 たとへばもし人他に抄トラレ掠カスメせラレらテ れて、 身下賎となりて艱辛をカラキメヲミルうく。 たちまちに父母をおもひて、 本国にはしりかへらむとおもふて、 ゆくべきはかりこと、 いまだわきまへずして他郷にあり、 日夜に思惟す。 苦たえしのぶべからず、 時としても本国をおもはずといふことなし。 計をなすことえて、 すでにかへりて達することをえて、 父母に親シタシミ 近チカヅクしナリて、 ほ1062しきまゝに歓娯 ヨロコブ するがごとし。 行者またしかなり。 往因の煩悩に善心を壊乱せられヤブラレミダラルヽナリて、 福智の珍財ならメヅラシキタカラびに散チラシ 失ウシナフして、 ひさしく生死にしづみて、 六道に駈馳してカリツカワレハシル、 苦身心をせむ。 いま善縁にあひて、 弥陀の慈父をきゝて、 まさに仏恩を念じて、 報尽を期ムクヒツキテト として、 こゝろにつねにおもふべし。 こゝろにあひつぎて余業をまじへざれ」。
◇四に无余修といふは、 ¬要決¼ にいはく、 「もはら極楽をもとめて礼念するなり。 諸余の行業を雑マジヘ起オコせサズざれ。 所作の業は日別に念仏すべし」。 善導ののたまはく、 「専かの仏の名号を念じ、 専礼し、 もはらかの仏およびかの土の一切の聖衆等をほめて、 余業をまじえざれ。 専修のものは百はすなわち百ながらむまれ、 雑修のものは百が中にわづかに一二なり。 雑縁にねがひつきぬれば、 みづからもさえ、 他の往生の正行おもさうるなり。 なにをもてのゆへに。 われみづから諸方をみきくに、 道俗解行不同にして、 専雑ことなり。 たゞこゝろをもはらになさば、 十はすなわち十ながらむまる。 雑修のものは、 一もえず」 (礼讃意) といふ。
◇また善導釈してのたまはく、 「西方浄土の業を修せむとおもはむものは、 四修おつる事なく、 三業まじわる事なくして、 一切の諸願を廃しステツ て、 たゞ西方の一行と一願とを修せよ」 (群疑論巻四意) とこそ候へ。
◇十一1063 問。 一切の善根は魔王のためにさまたげらる。 これはいかゞして対治しムカヘタスクル候べき。
◇答。 魔界といふものは、 衆生をたぶろかすものなり。 一切の行業は、 自力をたのむがゆへ也。 念仏の行者は、 みおば罪悪生死の凡夫とおもへば、 自力をたのむ事なくして、 たゞ弥陀の願力にのりて往生せむとねがふに、 魔縁たよりをうる事なし。
◇観慧をこらす人にも、 なほ空界の魔事ありといふ。 弥陀の一事には、 もとより魔事なし、 観人清浄なるがゆへにといへり。 仏をたぶろかす魔縁なければ、 念仏のものおばさまたぐべからず、 他力をたのむによるがゆへに、 百丈の石をふねにおきつれば、 万里の大海をすぐといふがごとし。
◇または念仏の行者のまへには、 弥陀・観音つねにきたりたまふ。 廿五の菩薩、 百重千重護念したまふに、 たよりをうべからず。
◇十二 問。 阿弥陀仏を念ずるに、 いかばかりの罪おか滅し候。
◇答。 「一念によく八十億劫の生死の罪を滅す」 (観経意) といひ、 また 「但聞仏名二菩薩名、 除无量億劫生死之罪」 (観経) など申候ぞかし。
◇十三 問。 念仏と申候は、 仏の色相・光明を念ずるは、 ◇観仏三昧なり。 報身を念じ同体の仏性を観ずるは、 智あさくこゝろすくなきわれらが境界にあらず。
◇答。 善1064導ののたまはく、 「相を観ぜずして、 たゞ名字を称せよ。 衆生障重して、 観成ずる事かたし。 このゆへに大聖あシヤカ仏ナリ はれみて、 称名をもはらにすゝめたまへり。 こゝろはかすかにして、 たましひ十方にとびちるがゆへなり」 (礼讃意) といふ。
◇本願の文を、 善導釈してのたまはく、
「もしわれ成仏せむに、 十方の衆生わが国に生れむと願じて、 わが名号を称すること、 下十声に至るまで、 わが願力に乗じて、 もし生れずは、 正覚を取らじと。 かの仏今現に在して成仏したまへり。 まさに知るべし、 本誓重願虚しからず、 衆生称念せばかならず往生を得む」 (礼讃)
「若我成仏、 十方衆生願↠生↢我国↡、 称↢我名号↡、 下至↢十声↡、 乗↢我願力↡、 若不↠生者、 不↠取↢正覚↡。 彼仏今現在成仏。 当↠知、 本誓重願不↠虚、 衆生称念必得↢往生↡」
とおほせられて候。
◇とくとく安楽の浄土に往生せさせおはしまして、 弥陀・観音を師として、 法華の真如実相平等の妙理、 般若の第一義空、 真言の即身成仏、 一切の聖教、 こゝろのまゝにさとらせおはしますべし。▽
退没 左 シリゾキオツルナリ イルトモイフ
発遣 左 シヤカノスヽメツカハストナリ