一二(972)、鎌倉二品比丘への御返事
▲かまくらの二品比丘尼、 聖人の御もとへ念仏の功徳をたづね申されたりけるに御返事。
◇御ふみくはしくうけたまはり候ぬ。 念仏の功徳は仏もときつくしがたしとのたまへり。 また智慧第一の舎利弗、 多聞第一の阿難も、 念仏の功徳はしりがたしとのたまひし広大の善根にて候へば、 まして源空などは申つくすべくも候はず。
◇源空、 この朝にわたりて候仏教を随分にひらきみ候へども、 浄土の教文、 震旦よりとりわ0973たして候聖教のこゝろをだにも、 一年二年などにては申つくすべくもおぼえ候はず。 さりながら、 おほせたまはりたることなれば、 申のべ候べし。
◇まづ念仏を信ぜざる人々の申候なる事、 くまがへの入道・つのとの三郎は無智のものなればこそ余行をせさせず、 念仏ばかりおば法然房はすゝめたれと申候なる事、 きわめたるひがごとにて候也。
◇そのゆへは、 念仏の行は、 もとより有智・無智をえらばず。 弥陀のむかしのちかひたまひし大願は、 あまねく一切衆生のため也。 無智のためには念仏を願とし、 有智のためには余行を願としたまふ事なし。
◇十方世界の衆生のためなり、 有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒・貴賎・男女もへだてず。 もとは仏の在世の衆生、 もしは仏の滅後の衆生、 もしは釈迦末法万年ののちに三宝みなうせてのゝちの衆生まで、 たゞ念仏ばかりこそ現当の祈祷とはなイノリトナルトナリ り候へ。
◇善導和尚は弥陀の化身にて、 ことに一切の聖教をかゞみて専修の念仏をすゝめたまへるも、 ひろく一切衆生のため也。 方便時節末法にあたりたるいまの教これなり。
◇されば無智の人の身にかぎらず、 ひろく弥陀の本願をたのみて、 あまねく善導の御こゝろにしたがひて、 念仏の一門をすゝめ候はむに、 いかに无智の人のみにかぎりて、 有智の人おばへだてて往生せさせじとはし候はむや。
◇しか0974らずは、 大願にもそむき、 善導の御こゝろにもかなふべからず。 しかればすなわち、 この辺にまうできて往生の道をとひたづね候にも、 有智・無智を論ぜず、 ひとへに専修念仏をすゝめ候也。
◇かまえてさやうに専修の念仏を申とゞめむとつかまつる人は、 さきの世に念仏三昧の得道の法門をきかずして、 後世にまたさだめて三悪におつべきものゝ、 しかるべくしてさやうに申候也。 そのゆへは、 聖教にひろくみへて候。
◇しかればすなわち、 「修行することあるをみては毒心をおこし、 方便してきおふて怨なす。 かくのごとくの生盲闡提のムマルヽヨリメシヒタリともがら、 頓教を毀滅 ソシリホロボスながく沈淪す。 大地微塵劫を超過すとも、 いまだ三途の身をはなるゝことをえず」 (法事讃巻下) とときたまへり。
「修行あるを見ては瞋毒を起し、 方便し破壊して競て怨を生ぜむ。
かくのごとき生盲闡提の輩、 頓教を毀滅して永く沈淪せむ。
大地微塵劫を超過すとも、 いまだ三途の身を離ゝことを得べからず。
大衆同心にみな所有の破法の罪の因縁を懺悔すべしと」 (法事讃巻下) 文
「見↠有↢修行↡起↢瞋毒↡ | 方便破壊競生↠怨 |
如↠此生盲闡提輩 | 毀↢滅頓教↡永沈淪 |
超↢過大地微塵劫↡ | 未↠可↠得↠離↢三途身↡ |
大衆同心皆懺↢悔 | 所有破法罪因縁↡」 文 |
◇この文の心は、 浄土をねがひ念仏を行ずる人をみては、 毒心をおこし、 ひがごとをたくみめぐらして、 やうやうの方便をなして専修の念仏の行をやぶり、 あだおな0975して申とゞむるに候也。 かくのごとくの人は、 むまれてより仏性のまなこしひて、 善のたねをうしなへる闡提人のともがらなり。 この弥陀の名号をとなえて、 ながき生死をはなれて常住の極楽に往生すべけれども、 この教法をそしりほろぼして、 この罪によりてながく三悪道にしづむとき、 かくのごときの人は、 大地微塵劫をすぐれども、 ながく三途の身をはなれむことあるべからずといふ也。
◇しかればすなわち、 さやうにひがごと申候らむ人おば、 かへりてあはれみたまふべきもの也。 さほどの罪人の申によりて、 専修念仏に懈怠をなし、 念仏往生にうたがひをなし不審をおこさむ人は、 いふかひなきことにてこそ候はめ。
◇凡縁あさく往生の時いたらぬものは、 きけども信ぜず、 念仏のものをみればはらだち、 声を聞ていかりをなし、 悪事なれども経論にもみえぬことを申也。 御こゝろえさせたまひて、 いかに申とも御こゝろがはりは候べからず。
◇あながちに信ぜざらむ人おば御すゝめ候べからず。 ◇かゝる不信の衆生をおもへば、 過去の父母チヽハヽ・兄 アニ 弟オトヽ・親類也とシタシキモノト おもひ候にも、 慈悲をおこして、 念仏かゝで申て極楽の上品上生にまいりてさとりをひらき、 生死にかへりて誹謗不信の人おもむかへむと、 善根を修してはおぼしめすべき事にて候也。 このよしを御こゝろえあるべきなり。
◇一0976 異解の人々の余の功徳を修するには、 財宝あひ助成タスケテトしておぼしめすべきやうは、 我はこの一向専修にて決定して往生すべき身なり、 他人のとおき道をわがちかき道に結縁せさせむとおぼしめすべき也。 その上に専修をさまたげ候はねば、 結番せむにもとがなし。
◇一 人々の堂をつくり、 仏をつくり、 経をかき、 僧を供養せむ事は、 こゝろみだれずして慈悲をおこして、 かくのごときの雑善根おば修せさせたまへと御すゝめ候べし。
◇一 このよのいのりに、 念仏のこゝろをしらずして仏神にも申し、 経おもかき、 堂おもつくらむと。 これもさきのごとく、 せめてはまた後世のためにつかまつらばこそ候はめ。 その用事なしとおほせ候べからず。 専修をさえぬ行にてもあらざりけりとも、 おぼしめし候べし。
◇一 念仏申事、 やうやうの義は候へども、 六字をとなふるに一切をおさめて候也。 心には願をたのみ、 口には名号をとなえて、 かずをとるばかりなり。 常に心にかくるが、 きわめたる決定の業にて候也。 念仏の行は、 もとより行住座臥・時処諸縁をえらばず、 身口の不浄おもきらはぬ行にて候へば、 楽行往生とは申つた0977へて候也。
◇たゞしこゝろをきよくして申おば、 第一の行と申候也。 浄土をこゝろにかくれば、 心ココロ浄キヨキの行法にて候也。 さやうに御すゝめ候べし。 つねに申たまひ候はむをば、 とかく申べきやうも候はず。 我身ながらもしかるべくて、 このたび往生すべしとおぼしめして、 ゆめゆめこのこゝろつよくならせたまふべし。
◇一 念仏の行を信ぜぬ人にあひて論じ、 あらぬ行の異計の人々にむかひて執論候べからず。 あながちに異解・異学の人をみては、 あなづりそしること候まじ。 いよいよ重罪の人になし候はむこと不便に候。
◇同心に極楽をねがひ念仏を申人おば、 卑賎の人なりとも父母の慈悲におとらずおぼしめし候べし。 今生の財宝のともしからむにも、 力をくわへたまふべし。
◇さりながらも、 すこしも念仏にこゝろをかけ候はむおば、 すゝめたまふべし。 これ弥陀如来の御みやづかへとおぼしめすべく候也。
◇如来滅後よりこのかた、 小智小行にまかりなりて候也。 われもわれもと智慧ありがほに申人は、 さとり候べし。 せめては録の経教おもきゝみず、 いかにいはむや、 録のほかのみざる人の智慧ありがほに申は、 井のそこの蛙ににたり。
◇随分に震旦・日本の聖教をとりあつめて、 このあひだ勘て候也。 念仏信ぜぬ人は、 前世に重罪をつくりて地獄にひさしくありて、 また地獄にはやくかへるべ0978き人なり。 たとひ千仏世にいでゝ、 念仏よりほかにまた往生の業ありとおしへたまふとも信ずべからず。
◇これは釈迦・弥陀よりはじめて、 恒沙の仏の証誠せしめたまへることなればとおぼしめして、 御こゝろざし金剛よりもかたくして、 一向専修の御変改あるべからず。
◇もし論じ申さむ人おば、 これへつかはして、 たて申さむやうをきけと候べし。 やうやうの証文かきしるしてまいらすべく候へども、 たゞこゝろこれにすぎ候べからず。
◇また娑婆世界の人は、 よの浄土をねがはむことは、 弓なくして空の鳥をとり、 足なくしてたかきこずゑの華をとらむがごとし。
◇かならず専修の念仏は現当のいのりとなり候也。 これ略してかくのごとし、 これも経の説にて候。 御中の人々には九品の業を、 人のねがひにしたがひて、 はじめおはりたえぬべきほどに御すゝめ候べきなり。 あなかしこ、 あなかしこ。▽