一九(1018)、基親上書・法然聖人御返事
▲兵部卿三位のもとより、 聖人の御房へまいらせらるゝ御文の按。 基親はたゞひらに本願を信じ候て、 念仏を申候なり。 料間も候はざるゆへなり。
◇そのゝち何事候乎。 抑念仏の数遍ならびに本願を信ずるやう、 基親が愚按かくのごとく候。 しかるに難者候て、 いわれなくおぼえ候。 このおりがみに、 御存知のむね、 御自筆をもてかきたまはるべく候、 難者にやぶらるべからざるゆへなり。
◇別解・別行の人にて候はゞ、 みみにもきゝいるべからず候に、 御弟子等の説に候へば、 不審をなし候也。 又念仏者、 女犯はゞかるべからずと申あひて候、 在家は勿論なりロンナシトナリ 。 出家はこはく本願を信ずとて、 出家の人の女にちかづき候条、 いはれな1019く候。 善導は 「目をあげて女人をみるべからず」 (龍舒浄土文巻五) とこそ候めれ。 このことあらあらおほせをかぶるべく候。 恐々謹言。 基親
○聖人◗御房之御返事の案
◇おほせのむね、 つゝしむでうけたまはり候ぬ。 御信心とらしめたまふやう、 おりがみつぶさにみ候に、 一分も愚意に存じ候ところにたがはず候。 ふかく随喜したてまつり候ところなり。
◇しかるに近来一念のほかの数返無益なりと申義いできたり候よし、 ほぼつたへうけたまはり候。 勿論ろんなく不ず ↠足たら↠言のまふすに事か、 文義をはなれて申人すでに証をえ候か、 いかむ。 もとも不審に候。 またふかく本願を信ずるもの、 破戒もかへりみるべからざるよしの事、 これまたとはせたまふにもおよぶべからざる事か。 附仏法の外道、 ほかにもとむべからず候。
◇おほよそは、 ちかごろ念仏の天魔きおいきたりて、 かくのごときの狂言いでクルハスコトバナリきたり候か。 なほなほさらにあたはず候、 あたはず候。 恐々謹言。
◇八月十七日