二(925)、建保四年公胤夢告
▲建保けんぽう四し年ねん四し月ぐわち廿にじふ六日ろくにち、 薗おん城じやう寺じ長ちやう吏り、 ○公胤こういん僧そう正じやう之の夢ゆめに、 空そら◗の中なかに告つげ◗て云いは、く
源ぐゑん空く本ほん地ぢの身しんは大だい勢せい至し菩ぼ薩さちなり、 衆しゆ生じやう教化けうくゑのゆへにこの界かいに来きたれること度度たびたび
源ぐゑん空く本ほん地ぢ身しん大だい勢せい至し菩ぼ薩さち、 衆しゆ生じやう教化けうくゑ故こ来らい↢此し界かい↡度度どど
と。
かの僧そう正じやうの弟子でし大進だいしん◗の公きみ実じつ名みやうをしらず 記之これをきす。