遊 (4月27日)
いきなりですが。
死んだらどうなりますか。
死ぬとはどんな出来事でしょうか。
というより、必ず死ぬとわかっていて生きるという謎をどう引き受けていますか。
こんなことはふつう考えないのかもしれませんね。
あるいは、怖くて目をそむけているのか。
そうでなければ、自分も死ぬのだということを知らずにいるのかしら。
残念ですが、みんな死にます。
こんな大切なことをほおってはおけない。
ゆったりと生きませんか。
自分が死ぬことに気づかずにいる人は、まだ生きる喜びを知らない人です。
死を避けて通ろうとしている人は、生きる真似事がしたいだけです。
どっちもつまらん。
実は、死ぬって、ものすごく面白いことです。
自殺の勧めをしているのではないので、
もう少し丁寧に話しましょう。
いつか必ず死ぬ、ということを心得て今を生きるというのは、
何と出会っても楽しめる境界だと言いたいのです。
少し理屈話を。
セキュリティという言葉がありますが、
これはセ+キュアからできています。
セは「~がない」という意味。英語の without です。
キュアは「関心を持つ」で、care(かまう)や curious(好奇心のある)とつながりがあります。
要するに、安全・確実に過ごしたいならば、
周囲に関心を払わなくても済むようにすればよいのです。
ただし、私はそれを生きているとは呼びたくないな。
わくわく・どきどきするには、
つまり私の好きな言葉で「遊び」続けるには、
興味を持たずにいられない、
大きくて豊かで未知なるものが欲しくありませんか。
いきなり仏教の話に飛んで強縮ながら。
私にとって一番、
大きくて豊かで不可知なるものは、
阿弥陀如来のお慈悲です。
死ぬ、とは、
いえ、もう少し正確に
必ず死ぬと心得て今を生きるとは、
いつも如来のお慈悲に包まれているということです。
合掌。