地獄 (10月25日)
ここ最近、
全三巻十章からなる大部の作品ですが、その冒頭第一章が「
学生時代にも通読したことはあり、今回初めて読むという訳ではありません。また、今回にしても熟読というのとはほど遠く、書き下し文にルビをつけ脚註を添えていくといった単純作業を通じての触れ方です。さらに、『往生要集』の「本論」が厭離穢土ましてや地獄の紹介にあるわけではないことも断っておく必要があります。
その上で、地獄全般について一番はっとさせられたことが、「地獄では死ねない」ことです。全部で八つある大地獄の一番上(程度の軽いもの)が「等活地獄」ですが、「等活」とはまさにこの「死ねない」ことを意味する。
これは……まさに現代の姿ではないか。
そもそも、骨だけになって、あるいは土くれのように打ち砕かれて、常識的に「生き続けて」いられるはずがありません。それでも死なずに生き続け繰り返しよみがえるのは、地獄に居ついているのが生理的な身体ではなくて私たちの欲望、我執そのものだからです。
そう気づいて思いなおしてみれば、このような地獄の描写が「成立」するには何がしかの個、ないし主体の意識が先行しているはずだということになります。源信和尚は10世紀の人、引用の文は2世紀頃の経論を出典としたものなので、それをいきなり「近代的個人」に引きつけてくるのは行き過ぎとしても、少なくとも私たち現代人がこの地獄の相を抜け出せずにいることは確かでしょう。
というより、事態はより悪いのかもしれない。『往生要集』では「厭離穢土」に「
小児がんが再発し、入院していた息子が退院してきました。手術、そして術後の厳しい化学療法と、5ヶ月に及ぶ入院でしたから、無事退院して来られたことに正直ほっとし、喜んでいます。
しかし、何かがずっと引っかかっているのです。病気が治ること=喜ぶべきこと、嬉しいこと、だけで片付けてよいのか。
言うまでもありませんが、私は子供の病気が治らなくてもよいと斜に構えているのではありません。「あきらめずに頑張れば必ず治療法はある」「頑張ろう」そして「よく頑張ったね!」と、右も左も全景が「頑張る」と「治ってよかったね!」で埋められてしまっている中で、何とも言えない息苦しさを感じているのです。
頑張らなかったら悪いのか。治らなかったら負けなのか。
一度立ち止まって、使い慣れ聞き慣れた言葉の先入観を離れ、ゆっくり考え直してみてください。実は、「頑張り続ける」ことこそが「苦」であり、地獄に居つく原因なのです。頑張り続け走り続けることしか知らず、貧乏くじを引いて負け組みに回ってしまうことを恐れ、内心おびえながら小さな達成感にすがってかろうじて自分を支えたつもりになっているのでは息苦しくありませんか?
ある意味、フリーターやニートといった生き方も、「頑張る」に対するアンチテーゼとしては積極的に評価してみてよいのかもしれません。しかし、それらが根っこの部分で快楽原則にのっており欲望の掌から抜け出ていない以上、「頑張らない」が「だらしなく生きる」に短絡してしまって、問題の解決(地獄から抜け出すこと)にはなっていない。
ついでに話をそらして拡げてしまうならば、私はネット自殺(を含めた自殺全般)にもものすごく憤りを覚えています。人道的な立場からの「生きよう、死ぬのはさみしい」といった生ぬるい感覚ではなくて、「死んだのでは何も解決にならない!」といった激しい気持ちです。死は終わりではない。というより、地獄の苦の根源はまさに「終われない」ことにある。
頑張るを、「だらしなく生きる」につなげるのではなしにほぐすには、背景に意識を拡げる必要がある。「私(個人、主体)」を拠りどころとする限り、「頑張らない」は私が私であり続けることの放棄につながるのを避けられず、積極的な態度とはなり得ません。せいぜいよくて「力を抜こうと力みかえる」ような滑稽な姿になるのが落ちです。
上手に「頑張らない」ためには、「私」を裏側から眺めればよいのです。たとえば逆立ちをするとき、脚の代りに腕で「立とう」とするとなかなかうまくいかないものですが、「地球にぶら下がる(ぶら上がる?)」という感覚がつかめると、案外簡単に立てます。任せるところを任せてしまうのがコツで、落ちようとする足首の下に膝があり、膝の下に腰があり、腰の下に肩があり、肩の下に手がきて、そして手の下に地面があれば、それで立派な逆立ちですから。
私の裏側、私を取り巻く一切のものが、得体の知れない不気味なもの・暗黒・空虚・無意味としてではなく、この私を慈しみ育む慈愛の総体として味わわれたとき、それを他力と呼びます。地獄は「行く」ところではなくて、今現にこの私が「造り住み着いて」いるところに他なりません。目の前(自分の欲望)しか見ず、大きな全体を知らずして、自分で自分の首をしめ、それで一人前のつもりでいるのが地獄の住人です。要は、自分を重く見すぎて結果的に自己に「閉じて」しまった(頑張る=我に張る)ところが地獄だということでしょう。
私は、息子の退院を、単に「治った=よかった=頑張った」というところで小さく喜びたくない。「治る(という自分に望ましいできごと)」がゴールならそれは小さな達成感に過ぎず、また達成できないこともあり得る話で、詰まるところ地獄の中の話に留まります。
治ってよし治らなくてもまたよし。その中で何と比べるでなく「端的な今の出来事」として大きな背景の中に退院を喜びたい。欲望を限りなく加速させることでかろうじて意味を支えている現代は、切りなくエントロピーを高める、くつろぎのない、熱い時代です。耳慣れた現代的な意味づけ(治った=よかった)に逆らい、状況にかかわらずそのままに「今のあり様」として慈しむことができれば、それは跡を汚さない(エントロピーを高めない)生き方にもつながるはずです。
今回は、熱い時代へ対する静かな提言です。
合掌。
乾く (10月31日)
朝晩はめっきり冷え込んできて、午前中、日が高くなって暖かくなるまでの間、暖炉を焚き始めました。そうは言ってもまだ10月、本気で焚くと暑くなるので、庭の手入れでできた小木を片づけを兼ねて燃やす程度ですが。
家族が過している家の並びの土地は荒地のままで、梅・栗・柿などの木がまばらにに生えています。いつもは夏に下草を刈るだけなのですが、今年は春先に薮になっていたところにも手を入れ、はねた茶の木の枝や邪魔になるので切り倒した柿の木などが軽トラックに2杯分くらい分、集めて山に積んだままになっていました。
冬の暖房の薪にできるほどの木ではありませんから、いつもならば焚き火をして片付けてしまいます。しかし子どもの入院の付き添いなどで夏間ばたばたしていたためにそのまま残っていて、ここまでくれば焚き火で燃やすのも暖炉で焚くのも同じことと、適当に折ってきては燃やしているのです。焚きつけにするのが精一杯のものですからあっという間に燃えてしまって、火持ちはしません。でも火の燃えるボーボーという音だけでも暖かく感じられます。
朝にはぐっしょりと露が降り、表面は雨に濡れたようになっていますが、ひと夏しっかり乾いた木ですから、大して問題もなく燃えます。同じ「濡れている」といっても、一度芯まで乾いたものが雨や露で濡れているのと、木そのものが生乾きなのとではまったく別物で、手にした重さからしてまったく違う。芯が生で重い木は精一杯工夫しても最後までぐずぐずとしか燃えてくれません。
薪は、だいたい三寸角の柱のボリュームくらいの目安で作ります。直径で 10センチ強くらいまでなら丸太のまま、15センチを超えると半分に割り、20センチ近くならさらに半分にする見当です。このくらいの太さだとしっかり乾くには半年近くかかり、急いで乾かそうと日に当ててみたところで一月で乾くというものでもありません。去年の冬は秋になって切った栗を無理矢理使ったので、燃えなくて苦労しました。
大げさに言えば、薪はただ切って割りさえすればよいというものではなくて、形にしたものを雨がかからず風が通るように積み、きちんと薪に「育てて」やらないといけないということでしょうか。その意味では今焚いている小木もたきぎにするつもりで「育てた」ものではないので、風の当っていた上の方はいいものの、下は腐ってぼろぼろになってしまっています。
何につけ、ものが育つには相応の時間がかかります。そしてきちんと育てられたものと、付け焼刃のものあるいはただほったらかしにされていたものとでは、大きな違いがある。
浄土真宗の「他力の信心」はいただいたときがお救いのとき、時間を待ちません。しかしそれは阿弥陀様の側の話、ご信心喜べるようになるにはゆっくりじっくりお育てに会わないといけないのでしょう。いただいたばかりではまだまだ生乾きで、とても気持ちよく燃えるどころではありません。またいただきっぱなしでは気がついた頃にはたきぎを通り越して、腐ってしまっていないとも限らない。心掛けてお慈悲の風に当たり、ご恩の光を浴びて、一人前のたきぎへ育てられたいものです。
お慈悲染み渡って芯まで乾いた暁には、少々煩悩の雨に濡れようと、大したことはありません。
合掌。