あいさつ (4月11日)

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このたび、長久寺でもHPを開設することになりました。

浄土真宗・本願寺派では、本山西本願寺の下、各地に「教区」があり、教区は「組(そ)」から成ります。長久寺は山口教区・都濃西組(つのにしそ)に属します。

都濃西組の若僧会を「浄信会」と言います。今、浄信会の活動の一部として、浄土真宗聖典の脚註入力を進めています。

浄土真宗・本願寺派では、典拠する聖教(しょうぎょう)の電子化は本山サイドで完了しているのですが、本文に対する脚註までは(完全には)電子化されていません。そこで、脚註の入力を進めることをきっかけとして聖教に触れる機会を増やそうと、上述のような活動に取り組んでいる次第です。

実は、このHPの直接の意図は、分担して脚註の入力を進めるにあたって進行状況を共有することにあります。半分は「身内」向けのものと言ってよいでしょう。

その意味では、少なくとも「浄土真宗聖典」のページにはアクセス制限をもうける方が適切かもしれません。しかし活動状況が一般の方の目に触れることで、思いがけないご縁が生れるならば素敵だなと思いなおしました。

せっかくHPを開設するのならばと、他にも少しだけ手を拡げています。細々と続けていければと思っています。また思い出した頃にでも、再訪していただけると幸いに存じます。

合掌。

続信


年をとる練習 (4月14日)

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最近は、みんな年をとるのがヘタになっているように思えてなりません。

イラク戦争を通じて、ブッシュ大統領の「リーダーシップ」に対する支持がアメリカ国内で高まっていると聞きました。わかりやすい目標を掲げ、断固とした姿勢で遂行する。矢面に立つべき局面と、裏方にまわるべき場面とを心得ている。確かに、リーダーとしての資質は備えていると思います。

私が子供の頃は、沢庵石のようなお年寄りがいたものでした。中心からはややはずれたところに陣取り、特に積極的に発言するわけでもなく、しずかに全体を見回している。一度意識にのぼると、何とも煙たい人ではありました。

今、世の中全体がむしょうに「わかりやすく」なっています。問題がすべて解決され、なくなっているという意味ではありません。すっきりしない話、煙たいもの、時間のかかることが、じょうずに隠され、意識しにくくなっているだけのことです。若者にはその方が快適でしょう。お年寄りも、無理してでもそれに合わせ、ものわかりよさそうに振舞うのが「今風」と心得ているように見受けられます。

しかしそれはおかしい。老病死から目をそらすことができると思っているとすれば、思いあがりでなければ幼さでしかありません。

わかりやすい話がわかりやすいのは当然です。けれども、わかりやすい話ばかり追いかけていたのでは、人生は薄っぺらになります。

年をとる練習をしましょう。お寺にお参りください。

合掌。


幽霊 (4月20日)

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幽霊の姿は、三世にわたる迷いを表しているのだそうです。

後ろ髪を引かれる思いがつのって、髪が長い。これは過去に対する迷いです。手をもの欲しそうに前に垂らしているのは、未来に対する迷い。そして足がないのは、言うまでもなく現在に対する迷い。

幽霊と、幽霊でないものとの違いは、自分自身を引き受けているか否かです。今の自分が今の自分としてあるには、プラスもマイナスも、どのような過去もかけがえのない私の歴史であり、後悔の入り込む余地はありません。自分の身の程を心得、自分の債務をきちんと担っているならば、自然と足が地につきます。自分の足でしっかりと立っている人が、未来に対して根拠のないおそれや身勝手な願望を抱くことはありません。

現代は、だれもが自分の重さを嫌い、身軽になろう、楽をしようとこせこせしている時代です。そのあげく、みんな生きたまま幽霊になってしまっている。自分からすすんで幽霊になっておいて、心細い、さみしい、何とかしてくれというのはちょっと虫がよすぎます。

とは言え、もう少していねいに考えてみると、私たち人間は、自由勝手に幽霊に「なれる」訳ではありません。幽霊になってしまっているということ自体、一分と違(たが)うことなく、因果の道理にそっているのです。因果の道理なくしては幽霊にすらなれない。そこに気づけば、ふわふわさまよう幽霊の身の上が、そのまま仏とならせていただく道程に転ぜられます。

それを、他力のはたらきと呼ぶのです。

合掌。


市町村合併 (4月25日)

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4月21日付けで長久寺の住所が変りました。これまでの「都濃郡鹿野町」が、「周南市」になります。

いわゆる平成の大合併の一貫で、山口県内では最初の合併です。合併に伴う住所変更で、宗教法人である長久寺も、寺則の変更や事務所変更登記といった事務処理をしなくてはならず、こういうことの苦手な「住職」はちょっと気が重くなっています。(実際には、ほとんどの手続きは「自動的」に完了しているので、本当にしなければならないことはほんのわずかなのですが、慣れない者には法務局に行かなくてはいけないというだけで十分気が重くなります。)

(旧)鹿野町は、中枢機能の集まる「市街地(?)」を中心に、大雑把にいって東西南北方向の谷沿いに4つの地域に分れ、長久寺は町の東側、山を越えると島根県という地域にあり、この地域は「鹿野町」的には渋川と呼ばれます。(「渋川」は、この地域を流れる川の名前でもあります。)

一方、公式な住所表示では(旧)鹿野町全域が上・中・下に分かれ、それに従えば長久寺は鹿野上910番地となります。ただ、鹿野町的にはこの上・中・下という区分は実情に合わず(一部地域では局所的に鹿野中よりも「北」に鹿野下が来ていることさえあります)、個人的には町「外」の人に対してのみ鹿野上という表現を用いていたように思います。

つまり、長久寺を定位するに当って、これまではほとんど無意識に2つの座標系を使い分けていたことになります。鹿野町という「宇宙」が共有できる人に対しては、地勢を反映した「渋川」という定位、そうでなければ無表情な「都濃郡鹿野町」を基準にした「鹿野上」という定位です。

ところが、「鹿野町」という座標系が解体する事態に直面して、長久寺をどう定位するか、けっこう正直にとまどいました。今思うと自分ながらウソのような気もするのですが、「周南市鹿野(町)鹿野上」ととらえていた時期もあります。高校生の長女曰く、「〈周南市〉で目を(旧)徳山市あたりにもってきて、〈鹿野(町)〉で北に上がって、それから〈鹿野上〉なのよね。」

(旧)鹿野町の住人にとって、区分が実情にそぐわないだけに余計に、鹿野上・鹿野中・鹿野下という位置決めは、「鹿野(町)」というワンクッションをはさまないと、リアリティが持ちにくかったのです。

結局、公式には「周南市大字鹿野上」です。人間の適応能力はあなどれないもので、今ではそれでリアリティが持てます。おそらく、今後「周南市(大字)鹿野上(字)渋川」などという、これまでであればほとんどナンセンスな表記も発生してくるでしょう。少なくとも今年までは「町内渋川 長久寺様」という年賀状がたくさんあったのですから。

周南市は、旧徳山市・新南陽市・鹿野町・熊毛町の2市2町の合併です。徳山市、新南陽市はともかく、熊毛町は直接境を接しておらず、地誌的に自然な交流のあり得た位置関係にもないので、これまでは端的にいって「縁遠い」ところでした。京都から子供たちを伴って鹿野町に「帰って=引っ越して」きたとき、町内探検と称して、町の東西南北各地域に1校ずつある小学校跡(現在ではすべて廃校ないし休校)に行ってみたのですが、今また、熊毛ってどんなところなの? という関心が湧いています。

個人的には、これはほとんど自己確認のための本能的な衝動、といってもよいようなもので、「周南市(鹿野町抜きの)鹿野上」にリアリティを持つよう迫られた当然の帰結です。

人間とは、かくも深く「言葉」に縛られた存在であったのか。思いがけず、それを痛感することができました。

『仏説阿弥陀経』に、「舎利弗(しゃりほつ)、その仏国土にはなほ三悪道の名すらなし、いかにいはんや実あらんや」という一節があります。味わいたいものです。

合掌。

文頭


サンスクリット語 (4月29日)

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ふと思い立って、サンスクリット語(梵語)で仏典を読んでみようという気になりました。

浄土三部経の中では、無量寿経(=大教)と阿弥陀経(=小経)のみサンスクリット語原典が見つかっており、観無量寿経(=観経)のサンスクリット語原典は発見されていません。そのため、観経中国撰述説もあります。

調べてみると、インターネットは恐ろしいもので、大経・小経についてはサンスクリット語原典がアップロードされていました(http://mujintou.lib.net/)。ただし、表記はローマ字に書き換えられています。

それならばと、デーバナーガリー(梵字。サンスクリット語はじめ、パーリ語および今日のヒンディー語などの表記に用いられる文字)で表示・印刷できないものか試したところ、Windows XP と Office XP の組み合わせでならば、ほとんど何の苦もなく、表示・印刷ばかりか入力までもできます。さっそく、当HPで実験してみることにしました。

Windows XP 上で Office XP を使っているのならば、スペルチェックができない(!)などの小さな制約を除けば基本的に問題はありません。言語の設定でサンスクリット語を導入すると、キーボードもサンスクリット語入力用のものに切り替えることができるようになります。ただ、異なる環境で Arial Unicode MS というユニコード対応フォントのみはインストールされているという方に、入力結果がどう見えるのかを知りたいのですが、どなたかレポートしていただけませんでしょうか。(デーバナーガリーでは、子音文字が連続するとき「結合体」という特殊な字体に変ります。調べてみた限りでは、上記 Arial Unicode MS 内に個々の結合体のフォントは見あたらないのです。そのため、Arial Unicode MS だけではきちんと表示されない可能性があります。)

なお、今実験用にアップロードしているファイルは、ローマ字表記から逆にデーバナーガリーに戻したものです。実は、現時点でデーバナーガリー表記のテキストが手元にありません。近いうちに入手し、その後はそれに基いて入力していく予定ですので、現在のものはあくまで「仮」と思っていただけると助かります。(後日付記:原典が届き、校正も終了しました。)

10年ばかり前には、(日本で)サンスクリット語をコンピュータで扱うなど、思いもよりませんでした。(外字を作りかけて、上記の「結合体」が意外に多いのに気付き、挫折した経験があります。)それが、フォントも追加のソフトも必要なく、買ったままの「素の」機械でできてしまうのですから、隔世の念があります。

もっとも、機械は数年、場合によっては数ヶ月で「進化」できますが、生物体である人間はそうはいきません。大人になっても牛乳などの乳製品が消化できるかどうかといった比較的「小さな」変化に千年前後、目に見えるほどの変化(環境への対応)となるとふつう数万年がかかります。

サンスクリット語で仏典が記録されたのが、およそ 2000年前です。何だか、時間の感覚が混乱し始めてきました。ただ、紀元前6世紀頃にインドで活躍なされた釈尊の教えが、数千年を隔てて日本にも伝わっており、それを米 Microsoft 社の OS を載せた韓国 Samsung 社のコンピュータで「当初のままに」再現しようとしている者がいるというのは――いろんな面で、驚いてよいことのように思います。

今回は支離滅裂なままに、合掌。

続信 文頭