存覚 (1290-1373) 本願寺第三代しゅうしゅ覚如かくにょ上人の長子。 げん元年 (1303) 東大とうだいで出家受戒じゅかいし、 なん叡山えいざんで諸宗の教義を学んだ後、 京都大谷おおたにに帰って父覚如上人に従い教化を助けた。 しょう三年 (1314) 父覚如上人より大谷びょうどう留守るすしきを継職するが、 八年後、 覚如上人との間に不和を生じ、 覚如上人から義絶され留守職の地位を剥奪はくだつされた。 その後、 和解と義絶を繰り返したが、 再び留守職に就任することはなかった。 晩年は大谷いま小路こうじじょうらくだいに住した。 仏教の広汎な知識に立って親鸞しんらんしょうにんの教義を解釈し、 初期本願寺教団の教学を学問的に組織した功績は大きい。 著述には ¬六要ろくようしょう¼ 十巻 ¬じょう真要しんようしょう¼ 二巻 ¬みょうしょう¼ 二巻 ¬せんしょう¼ 二巻 ¬けん名鈔みょうしょう¼ ¬けっしょう¼ ¬嘆徳たんどくもん¼ 各一巻などがある。